ディバイド・アンド・ルールと第三計(アジア覇権とエネルギー戦略について考える その3)
宗主国が植民地を効率よく統治する方法として「ディバイド・アンド・ルール」というものがある。ディバイド・アンド・ルールとは分割統治の意味で、統治相手の内部を分断して対立させ、宗主国への抵抗運動の力を削ぐために使われた方法。
たとえば、一九〇五年に行われた、インドのベンガル分割などがそれ。
当時イギリスはこの地方の反イギリスの動きに対して、ディバイド・アンド・ルールを仕掛け、イスラム教の影響の強い東ベンガルとヒンズー教の強い西ベンガルをひとまとめの行政区にし、両者の対立を煽って統治した。
このディバイド・アンド・ルールは何もイギリスや西洋諸国の専売特許というわけじゃない。兵法三十六計の第三計に借刀殺人「刀を借りて人を殺す(かたなをかりて、ひとをころす)」というのがある。これは、相手の内情の矛盾を突いて混乱させたり、敵の敵を利用して戦わせて、自分の戦力を消耗する事無く相手を弱らせるという計略で、考え方はディバイド・アンド・ルールと殆ど同じ。
世界覇権国からみれば、仮にアジア諸国が内輪で仲違いしている間はその力が自分に向かってくる心配をしなくて良い。だからそう仕向けることだって当然あり得る。日本と胡政権が仲違いして喜ぶのはなにも上海閥だけじゃなくて、さらに外側の国々も喜んでいるかもしれないことは視野にいれておく必要はあるだろう。
と同時に、日本から中国に対して、ディバイド・アンド・ルール、「借刀殺人」を仕掛けることだってできる。それは、たとえば「指桑罵槐」を逆手に取るような方法とか。
今回のように、中国の潜水艦なり、調査船なりが領海侵犯したとする。そしてそれが、上海閥による胡政権への「指桑罵槐」だと見極めたとして、胡政権に味方することにしたとする。そのときにとるべき方法に如何なるものがありえるか。
これまでは、形だけの抗議をして、その行為は不問にすることで事を荒立てないという手を使ってきたけれど、昨今の日本の世論を見る限り、いつまでもそれでは苦しい。支持率低下の元になりかねない。
むしろ、「指桑罵槐」だと知った上で、あえて「指桑罵槐」に乗ってやるのがいい。無論、バカ正直に素直に乗るというわけじゃない。あくまで乗ったフリをして上海閥だけを狙い撃ちにした嫌がらせをするということ。たとえば、表向きにはこれまでどおりの抗議をするけれど、それで公式の政府間交渉をストップさせることはせずに、その代わり、裏で上海からだけの投資を引き上げるとか、上海からの輸入品だけストップさせる、とか。ピンポイントの嫌がらせをする。と同時に資本投資だとか、技術協力なんかを北京だけに行って胡政権に側面支援をする。
北京だって馬鹿じゃないから、こうしたやり方でもこちらの意図は十分汲み取るだろうし、日本側でもこうした実効を伴う抗議をすることによって、世論を抑えることができるだろう。
実際は、狙い撃ちできるような法的根拠があるのかとか、国際信義上そんなことができるのかとかいった問題があるのだろうけれど、要は「指桑罵槐」を仕掛けた側がしっぺ返しを食らうように持って行くということ。表向きは抗議の意思を実効を持って示しただけと言い訳できる。真の目的は狙い撃ちによる特定の勢力への肩入れ。
これだって形を変えたディバイド・アンド・ルール。
中曽根氏が首相だった時代とくらべて、世界情勢は様変わりしてる。アメリカの世界覇権力は後退して、東アジア、東南アジア諸国での中国の影響力が強くなってきている。
日本は、こうした中国の台頭および中国の地域覇権確立を狙った動きに対して、押さえ込みに入るのか、中国の属国になるのか、孤立政策をとるのか、はたまた、中国と組んで西欧に対抗するのかといったことを真剣に考えるべき段階にきていると思う。
第三計 借刀殺人 ~しゃくとうさつじん~
刀を借りて人を殺す(かたなをかりてひとをころす)
借刀殺人の計は自分の手を汚さずに、他人の力を利用して敵を倒す計略であると考えてよい。だが、本当に上手な借刀殺人は第三者を利用するのではなく敵自身を利用してやる方法である。
通常の借刀殺人でさえ自身の勢力を温存できるのに、敵の力を利用してやれば効率良く敵を崩壊に追いやることができるのだ。
さて、このような借刀殺人の計略は三国志において頻繁に使用された計略である。
外交戦略上、二国の内どちらかを利用してもう一方を叩くというのは至極当然な発想であろう。
ここでは前計、「囲魏救趙」に続いて関羽の樊城攻略を例としてみよう。ただし、「囲魏救趙」の方では呉の視点で考察したので今回は魏の視点で見てみよう。
さて、魏にとって荊州北部樊城や襄陽といった地域は地政学上のチョークポイントに相当する部分である。もし、ここが陥落すると魏は洛陽、許昌方面にまで敵軍の侵攻を許すことになり、戦略上絶対に死守しなければならない重要拠点なのである。その、戦略的用地樊城が関羽の侵攻によって危機にさらされる。
曹操は流石に事態の重要性を認識しており、幕僚を集め対策を講じた。曹操が遷都を口にした所(話しによっては曹操は司馬懿らに「おぬし等を試したのじゃ」と強がりを言ったりするが)、司馬懿が曹操にこのように進言した。
「孫権を動かすことにしましょう。荊州は孫権にとって悲願の地であり劉備の支配を苦々しく思っているはず。領土は分割統治し、長江以南は与えるという条件で出兵を依頼するのです。背後をつかれれば関羽とてひとたまりもありますまい。」
この進言に曹操はいたく感銘し、早速孫権に使者を派遣した。孫権の方も渡に船である。都督の呂蒙の作戦に従い出兵を決定する。こうして、孫権軍は江陵を占拠し、その結果関羽はやむを得ず樊城の包囲を解き、結果として捕らえられ斬首されるのである。
曹操が孫権を利用し、関羽を破ったこの荊州樊城をめぐる一連の戦いは典型的な借刀殺人の計であるといえる。
URL:http://www.geocities.jp/strategic_text_of_sun/syakutousatsujinn.html
この記事へのコメント
gujin
>たとえば、表向きにはこれまでどおりの抗議をするけれど、それで公式の政府間交渉をストップさせることはせずに、その代わり、裏で上海からだけの投資を引き上げるとか、上海からの輸入品だけストップさせる、とか。ピンポイントの嫌がらせをする。と同時に資本投資だとか、技術協力なんかを北京だけに行って胡政権に側面支援をする。……
これはいいですね。日本外交もこれくらいできるようになるといいんですが。
中国もまた動きだしたようですね。
ttp://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/218319/
わが国もこれからです。
日比野
これまでは隠れていろいろやっていたとは思うのですが、日本もそろそろ表に分かるように、したたかな外交をしてもいいと思います。