落語にみる伝統と創作(文化の普及について その9)
「・・もひとつそれから我々の噺はぁ、もぉ古すぎましてね。え~段々段々この頃世の中が変わってきて分らん事が多なりましたんです。なんでもないことが分らんのです。蚊帳なんてものは昔はもぉ誰でも知ってたんですけど、今でもご存じでっしゃろけど、蚊帳なか入って寝たという若い御方はあんま無いと思いますわ。わたしらもぉ昔はぁ~蚊一杯おりました。蚊も蝿もね。でぇ、わ~んと音がしてた。蚊帳入るときそのねぇ、団扇であおいでその辺の蚊ぁを払ろうてから、くっと中入った。そうせんと蚊ぁが一緒に入って来ますからな。そんなことも分らん。・・・」
桂米朝 「百年目」より
時代の移り変わりによって、過去の文化が分らなくなってくることは良くあること。生活様式が変わり、考え方が変わってきたりすることで、当時当たり前だったことが説明しないと分らない領域に追いやられてゆく。
ルビを振ることで繁体字や歴史的仮名遣いの表記のまま、現代語で読む手法は、文法構造が近似している事の他にもうひとつ大切な条件がある。それは、漢字や単語が指し示す概念が同じか、又は非常に似ていなければならないということ。
たとえば、互いの話し言葉が分らない日本人と中国人が筆談で意思疎通を試みたとする。どこかへ旅行に行く時に、電車でいこうと日本人が「電車」と書いても通じない。ならば、と「汽車」と書いたら通じて良かったと思っていたら、相手の中国人は「電車」ではなくて「自動車」で行くつもりでいたとか。中国語では、鉄道は「火車」で自動車を「汽車」と表記する。鉄道でも日本の「特急」に当たるのは「快速」または「特快」だし、日本の「普通」は「直客」または「客」になるらしい。
「軽井沢シンドローム」から漫画界に流行して定着した、漢字に本来とは違う読みのルビを振る手法が新鮮だったり、面白かったりするのも、読む人がその漢字本来の意味を当然知っているという前提がある。そうでなかったら、本来と違う読みや意味が本当の意味や読みだと勘違いしてしまうことになる。
だから、同じ漢字文化圏でも、発音体系が全く違う人同士が漢字による意思疎通を図ろうと思ったら、その漢字が表意している意味や概念が同一でなくちゃならない。
それがない場合は、情報伝達に齟齬が起きることになる。
こうした互いに当たり前だと思っていたことが、相手に通じなくなる事は、先の落語のように時代によって当たり前でなくなっていくケースと、国の違いによって単語の使い方が違うケースがあり、時間的にも、空間的にもズレを起こしていくことがあることは知っておく必要がある。
そうしたズレをそのままにして相互理解を図るのは非常に難しいのだけれど、そうした時に往々にして行われるのが相手に理解できるように今風に「翻訳」したり、相手が理解できる対象に例え直したりすること。
先ほどの落語の例でいけば、内容が古くなって理解できないことは現代風に焼きなおしてしまう。いわゆる新作落語とか改作落語とかがそう。
ニセ住職と旅の修行僧のやりとりを描いた「こんにゃく問答」は舞台をバグダッドに移した「シシカバブ問答」になったり、染物屋の職人と吉原の花魁の純愛を描いた「紺屋高尾」が、現代のジーンズ工場の従業員とグラビアアイドルの恋物語「ジーンズ屋ようこたん」になったりとか。
こうした新作落語や改作落語が行われ、それが面白くなるためには、やはり「上求菩提 下化衆生」の精神がなくちゃいけない。
落語に限らず、どんな文化であれ、その奥には何がしかの精神が宿っているもの。それがなければ多くの人に受け入れられることは無いし、ましてや伝統文化になることはない。
そうした奥に潜む精神や本質を掴むには、それを求める気持ち「上求菩提」がなくちゃいけない。そして、それを分かりやすく、如何に伝えていくかにおいて「下化衆生」が求められる。
それができた場合は、新作落語、改作落語であっても面白さを維持できる。
だから、新作落語や改作落語は「上求菩提」によって元々の噺本来が持つ面白さを掴み 「下化衆生」によって現代人に分かるように改編しているとも言える。
「昔の落語全集を読むと、今の形とはずいぶん違う。常に時代に合わせて変化してきたものだとわかります。ところが今の落語ファンは桂文楽や三遊亭円生が刈り込んで演じた形を、昔から変わらず演じられてきた落語だと思いこんでいる。そうじゃない。落語家は噺(はなし)を時代に合わせる努力をやめちゃいけないんだ」 立川談笑
創作落語 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
創作落語(そうさくらくご)とは、近年になって新しく創作された落語。
1960年代のアンツルこと安藤鶴夫の膨大な業績から生まれた「落語芸術論」に不満な若手らが、エンターテイメントとしての落語の発展系として実験落語などの試行錯誤をする中で発生したものを主流としている。この背景には大量真打により定席に出演できない二ツ目や若手真打の動きがあった。 また、都市文化としての落語の中では関東にくらべ地方色の強い関西弁というハンデを負っている上方落語においても新作に活路を見出そうとする落語家もいた事は見過ごせない。
古典落語の中にも三遊亭圓朝の作品のように比較的時代の新しいものもあり、これらも広義の創作落語と呼べる。
内容で分けた場合、江戸時代などに過去に時代設定をした、比較的古典落語に似た内容の物(擬古典)と、現代を舞台に現代人が登場する物語として作られた物とに大きく分けられる。後者は時事ネタなどを盛り込むことが多い。そのため時期を過ぎると、古典落語よりもっと古臭く感じられてしまう欠点を持つ。また、漫談と区別が付かない、単なる「枕」の延長であるといった意見や、同じ時事ネタなら漫才の方が面白いという批判もある。
作者で分けた場合、落語家が自ら新しいレパートリー開拓のために落語を創作する場合と、専門の落語作家、あるいは作家など落語家ではない人物が創作する場合がある。前者の代表には桂三枝などがあげられる。後者の代表としては桂枝雀に数多くの作品を提供した小佐田定雄や、作家の中島らも等がいる。
大阪では「平成創作落語の会」や「新世紀落語の会」など、創作落語専門の落語会が天満天神繁昌亭などで開かれている。
URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E4%BD%9C%E8%90%BD%E8%AA%9E
今こそ聴いておきたい現役落語家(広瀬和生) 第3回 等身大で語る新作落語家
過去の落語名人を懐かしむ書籍は数あれど、現代の落語家を語る書籍はそう多くない。30年来の落語ファンで、音楽雑誌編集長の広瀬和生さんは『この落語家を聴け!』(アスペクト刊)の中で、聴いておきたい落語家51人を紹介している。落語ブームと言われる昨今、どんな落語家が旬なのかを、広瀬さんに教えてもらった。
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若者に受け入れられる新作落語で、すっかり人気者になった春風亭昇太は、「新作落語のメジャー化」に貢献しています。彼を中心として、創作話芸グループ、SWA(創作話芸アソシエーション)が結成されました。
世間一般には「新作落語は古典落語よりも地位が低い」という思い込みがあるようです。もちろん、新作落語が低く見られているのは、稚拙で面白くない演目が多いことが理由の1つです。
「新作落語は亜流」という見解に挑戦して、面白い新作落語を作る目的で結成されたのがSWAなのです。昇太に加えて、林家彦いち、三遊亭白鳥、柳家喬太郎がSWAの構成メンバーです。
新作落語の流れを呼び込んだ人に三遊亭円丈がいます。円丈は1970~80年代にかけて、実験的な新作落語を次々に発表しました。それを見て「こういうのも『あり』なんだ」と衝撃を受けた1人が、若き日の昇太です。
いわばSWAは、「円丈チルドレン」が結成したグループと言えるでしょう。4人は等身大の語り口で人気を呼び、新しい落語ファンをどんどん開拓しています。
注目株は喬太郎です。古典落語の名人、柳家さん喬に弟子入りしただけに、人情噺(ばなし)でも滑稽(こっけい)噺でも、本格的な話芸を聴かせる力を持っています。その一方で、ナンセンスな新作落語も発表しています。古典落語と新作落語を、交互に高座にかけている喬太郎の人気は急上昇中で、チケットを取るのが難しい落語家の1人です。
白鳥は落語の世界を全く知らないままに、「物語を作りたい」と言って円丈に弟子入りした人です。古典落語を見事に演じるという種類のうまさはまだ持っていないようですが、自分が作った新作落語の面白さを完ぺきに伝える力があります。
白鳥の新作落語は荒唐無稽(むけい)なものも多く、古典を好む向きからは低く評価されがちです。しかし、落語を聴いたことのない若い女性にも落語の魅力を伝えている落語家です。
広瀬和生(ひろせ・かずお)
雑誌編集長
1960年埼玉県生まれ。東京大学工学部都市工学科卒。レコード会社勤務を経て、87年シンコーミュージック・エンタテイメントに入社。93年から音楽専門誌「BURRN!」の編集長を務める。70年代に六代目三遊亭円生に魅せられて以後、ホール落語や寄席に通う。80年代に夢中になった落語家は、古今亭志ん朝と立川談志。30年来の落語ファンで、ここ数年は年間350回以上も落語会や寄席に通い、1500席以上の落語をナマで聴いている。
自分の体験を、巧みな話術で面白く語って聴かせる達人が彦いちです。学生時代に柔道や極真空手の経験があることから、「落語界の武闘派」と呼ばれています。格闘技やスポーツに関するネタがとても楽しく、ファンを喜ばせています。
落語を知らなかった人たちにも、面白さを伝え続けている旬なグループが、SWAなのです。
URL:http://waga.nikkei.co.jp/enjoy/play.aspx?i=MMWAe4002002102008
落語芸術協会、5人が真打ち昇進
落語芸術協会の新真打ち5人 落語芸術協会(桂歌丸会長)所属の二つ目から、5人の真打ちが新たに誕生する。三遊亭遊喜、春風亭鯉枝、橘ノ杏奈、瀧川鯉太、桂枝太郎。5月1日から東京都内の寄席で始まる真打ち昇進披露興行に臨む。
遊喜は三遊亭小遊三門下。「師匠のような明るい芸を吸収したい」と語る。鯉枝、鯉太は瀧川鯉昇門下。鯉枝は「新作を100席作りたい。今は20席」、鯉太は「なごみの芸、癒やしの芸を目指す」と述べた。橘ノ圓門下の杏奈は「女に向けた落語のジャンルを作りたい」と意欲を示す。枝太郎は歌丸門下。花丸改め三代目枝太郎を襲名する。「うまい落語より面白い、明るい落語を目指せ、との師匠の教えを守る」
三代目枝太郎に歌丸は「枝太郎の名は、先代が亡くなってから(1978年)長く途切れていた。大きい名跡が復活して自分もうれしい」と話す。二代目枝太郎は新作、改作落語を得意とした噺家だった。三代目は「今後、だんだん名跡の重みが感じられると思う。将来に残るような新作を作りたい」と前向きだ。
歌丸は「5人は、次代の協会をしょって立つ真打ちばかり。年齢に応じた落語をやってほしい」と、笑顔ではなむけの言葉を贈った。
(2009年3月30日 読売新聞)
URL:http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/trad/20090330et02.htm
月刊笑いに生アクセス NO.22 2006/01/25
「いわゆる落語」からの逸脱
寄席には出ないので、のべ一ヶ月とは言わずとも、たとえ5日間でも続けて同じ高座に上がり続ける習慣のない立川流の弟子志の輔にとって、このたびのパルコ一ヶ月公演は実り多いものになった。
演劇舞台ならではの目で楽しませる仕掛け、いまに生きるテーマを元に組み立てられた新作落語の嵐、そしてなによりの収穫は、仕掛けはあくまでも仕掛けにすぎない、勝負の本命は落語、いや落語家である、ことを存分に知らしめたことだろう。
従来のブランドであるいわゆる落語世界から逸脱しなければ新規な枠組みは誕生しない。
ふと気が付けば、立川流の寄席知らず第一号としての宿命を果たしていた。
スタッフを抱え一人落語家座長としてさらに鉄骨を補強、次なる新たな自分空間の設計に入る道筋ができた。
落語界にいながら、知っていて当然の落語ルールに縛られず、自由奔放に物語を作り続けるのは三遊亭白鳥。
これがやれたら名人と落語通さえめったに聞けない演目「鰍沢」を叶姉妹も登場する「越後鬼ころ沢」に、「死神」は宇宙規模に飛翔、「時そば」は「(鳥の)トキそば」に、男のあだなから名付けられた落語「らくだ」は本物のらくだの死体が行ったり来たりする話に姿を変え、落語ファンをそんな改編で喜ばせるかと思えば、実録もの「青春残酷物語」や「お見立て」、浪曲もどきも入る「任侠流山動物園」、人間以外になる「コロコロ」「台所の隅」と幅の広さで群を抜く。落語界の治外法権。
方や、外目には今までの落語の真ん中を歩んでいそうで、周波数の違う波を内側からじわじわ送り続けるのは柳家喬太郎。
かつては信じられた感情を自分が得心いくよう現代人の心理に置き換えることによって、そのままだと浮世離れしがちな人物をぐっと身近に引き寄せ、落語を蘇らせる。新作を多く手がけてきたのは伊達じゃない。
いま流行の懐かし話を逆の視点から描いた林家彦いち「長島の満月」は、普遍性を兼ね備えた青春落語05年誕生の傑作。
06年、さらに落語はオンリー・ワンの世界へ。
■落語の概念ぶっとびライブ■
三遊亭白鳥独演会ファンタな夜 3月27日。出演=三遊亭白鳥 ゲストにあべあきら
東京芸術劇場小ホール2(東京・池袋)03-5785-0380夢空間 発売予約開始
モロ噺 2月28日。出演=モロ師岡。サラリーマン落語「天狗裁き」、コント「お父さんの手紙」
上野広小路亭。03-3375-3788リアクション
URL:http://marishiro.cool.ne.jp/kaguyahime/kakimono/access/access2006-1-25.html
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