歴史的仮名遣いの伝統保持機能(文化の普及について その6)

  
『しかし、世間一般が考へてゐるのとは反對に、漢字問題よりは假名遣問題の方が重大である。なぜなら、第一に、漢字制限や音訓整理の方は始めから無理があり、現にその制限は破られつつあるからである。第二に、假名遣の表音化は國語の語義、語法、文法の根幹を破壞するからである。最後の「陪審員に訴ふ」は國字改惡運動の政治的小細工を暴露する爲に書いたもので、評論集に收めるには聊か品の無いものであるが、さういふ事もせずにはゐられぬほど低級な世界で國語國字が處理されてゐる事を知つて戴きたいのである。』

「福田恆存評論集7 言葉とはなにか」より

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福田恆存氏は、仮名遣いの問題で表音主義には問題があるとして、それを突き詰めれば、自身の文化を破壊すると主張した。

「世界中」の"中"の字は音読みで「ちゅう」だから、「世界中」は「せかいぢゅう」であるべきであって、「せかいじゅう」じゃない。また「稲妻」も稲の妻だから「いなづま」と書くべきで「いなずま」じゃない。

それでいて、「時計」は「とけい」と書いて「とけえ」と発音するし、「原因」も「げんいん」と書いて「げいいん」と発音してる。書き言葉と話し言葉のズレは今でも存在してる。


かういふ具合に、歴史的かなづかひによる表記は、本来の意味を保存する機能がある。だから、それを放擲してしまふ現代かなづかひを使ひ続けると、やがて國語の語義、語法、文法の根幹が破壞されてゆくと言ふ福田恆存氏の主張には頷けるものがある。

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歴史的仮名遣いは、平安前期の発音・仮名遣を基盤として、組み上げているものだから、ひらがな、カタカナの発明当時の伝統を継承していることになる。

たしかに話し言葉は、喋る傍から音になって消えてゆくし、発音自体も時代とともに変化して変わってゆくけれど、書き言葉は、文字記号として保存されるから長くその形を留めることになる。

だから、書き言葉は本来の表記のままにとどめて、発音するときにはその時代の発音で喋るというやり方はそれはそれで合理的なものだと言える。だけど、残念なことに現代仮名遣いに改めてから60年が経過しており、もうすっかり日本社会に現代仮名遣いは定着してしまってる。

一部の識者から歴史的仮名遣いを復活させようという主張も聞くことはあるのだけれど、実際問題としては殆ど不可能だろう。

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画像歴史的仮名遣 [wikipedia]

歴史的仮名遣(れきしてきかなづかい)とは仮名遣の一種である。復古仮名遣いとも呼ばれ、また現代仮名遣いと対比し旧仮名遣もしくは正仮名遣とも呼ばれる。契沖仮名遣を発展させ、明治期以降、第二次世界大戦後の国語国字改革による「現代かなづかい」の発表までのほとんどの期間で公教育の場で仮名遣いとして教えられてきたものである。主として平安前期の発音・仮名遣を基盤として、奈良時代ごろまで遡及することのできる古代の用字・発音を加味したものであり、現代仮名遣いに対してより語源主義・文法主義である。 発音に対して変化しにくい、あるいは変化することのない語源、文法を基準とするため、歴史的変化による影響を受けにくい利点があり、そのことを理由にあるいは「日本語の伝統に鑑みて最も正統な書記法である」という信念の下に現在でも使用する人もいる。

歴史
歴史的仮名遣は契沖が和字正濫抄(1695年)以降の諸著作で、日本書紀・古事記・万葉集からだいたい平安時代中期以前の仮名遣い用例に即した仮名遣いを標榜したのにはじまる。この立場は楫取魚彦や本居宣長などの国学者に受けつがれ、理論づけがなされていった。また明治維新後、政府は法案に歴史的仮名遣いをもちいるようになり、公教育にも導入されたことにより、それまで国学者の間でのみもちいられていたこの仮名遣いは公的なものとされていく。しかし、その非表音的立場は幾度となく批判され、ついに1946年にハ行音転呼などを反映させた「現代かなづかい」が公教育にもちいられるようになったことで、再び特殊な層が用いる仮名遣いとなっていった。


背景
時代の変化に伴い日本語の発音は変化する。そのため、語の表記と発音とにはしばしばずれが生じ、同音でも異なる表記がありうるようになった。そのとき、厳密を重んずる上である一つの表記を正しいものと看做し、それとは別の表記を誤りと決定する必要が生じ、仮名遣が考えられるようになった。

鎌倉時代初期には発音と表記とにずれが生じ、既に表記が混乱した状態にあった。そのため、藤原定家は古い文献を渉猟した上で「を・お」「え・ゑ・へ」「い・ゐ・ひ」の区別に就いて論じた。これに行阿が補正・増補を行って定家仮名遣が成立した。江戸時代まで定家仮名遣は正式なものとして、歌人の間などに普及した。しかし、定家らの調べた文献は十分古いものではなく、すでに仮名遣の混乱を含んだものであった。また、いくつかの語に就いてはアクセントに基づいて表記が決定されたため、上代のものと異なる仮名遣が「正しい」とされた場合があった。


制定
江戸時代になって契沖は万葉集(萬葉集)などのより古い文献を調べ、定家仮名遣とは異なる用法が多く見られる事を発見し、それを改訂して復古仮名遣を創始したのである。その後、本居宣長らに依り理論的な改訂がなされ、更に明治以降の研究によって近代的な表記法として整備された。


明治以降
明治維新前後以来、国語の簡易化が表音主義者によって何度も主張された。それらは漢字を廃止してアルファベット(ローマ字)や仮名のみを使用するもので、中には日本語の代りにフランス語を採用するものもあった。表記と発音とのずれが大き過ぎる歴史的仮名遣の学習は非効率的である、表音的仮名遣を採用することで国語教育にかける時間を短縮し、他の学科の教育を充実させるべきであると表音主義者は主張した。これに対して森鴎外や芥川龍之介といった文学者、山田孝雄ら国語学者の反対があった。民間からの抵抗も大きく、戦前は表音的仮名遣の採用は見送られた。

敗戦直後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の民主化政策の一環として来日したアメリカ教育使節団の勧告により政府は表記の簡易化を決定、国語審議会の検討による「現代かなづかい」を採用、内閣告示で実施した。以来、この新しい仮名遣である「現代かなづかい」(新仮名遣、新かな)に対して歴史的仮名遣は旧仮名遣(旧かな)と呼ばれる様になった。なお漢字制限も同時に為され、当用漢字(現・常用漢字)や人名用漢字の範囲内での表記が推奨され、「まぜ書き」と呼ばれる新たな表記法が誕生した。

この国語改革に対しては、批評家・劇作家の福田恆存が『私の國語教室』を書いて現代仮名遣の論理的な矛盾を衝き、徹底的な批判を行った。現代仮名遣は、表音的であるとするが一部歴史的仮名遣を継承し、完全に発音通りであるわけではない。助詞の「は」「へ」「を」を発音通りに「わ」「え」「お」と書かないのは歴史的仮名遣を部分的にそのまま踏襲したものであるし、「え」「お」を伸ばした音の表記は歴史的仮名遣の規則に準じて定められたものである。

また福田は「現代かなづかい」の制定過程や国語審議会の体制に問題があると指摘した。その後、国語審議会から「表意主義者」4名が脱退する騒動が勃発し、表音主義者中心の体制が改められることとなった。その結果、1986年に内閣から告示された「現代仮名遣い」では「歴史的仮名遣いは、我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして尊重されるべき」(「序文」)であると書かれるようになった。

現代仮名遣いは戦後速やかに定着し、1970年代以降は、小説や詩のほとんどが現代仮名遣いで書かれるようになっている。しかし、不完全な現代仮名遣の見直しを含む国語改革と歴史的仮名遣の復権を主張する人は今も残る。現存の作家では阿川弘之、丸谷才一、大岡信、高森明勅等、学者では小堀桂一郎、中村粲、長谷川三千子等がそれであり、井上ひさしや山崎正和にも歴史的仮名遣によって発表された著作がある。

また現代仮名遣は原則として口語文に就いてのみ使用されるものであるので、文語文法によって作品を書く俳句や短歌の世界においては歴史的仮名遣の方が一般的である。

なお、現代においても固有名詞などに歴史的仮名遣が使用されている場合がある。

URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E4%BB%AE%E5%90%8D%E9%81%A3

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