文化の多神教(文化の普及について その2)

 
中国で「繁体字」と呼ばれる旧字体の復活をめぐる議論が起きているそうだ。現在の「簡体字」は中国の伝統文化の継承を妨げるから、繁体字に戻すべきだというのがその理由らしい。

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漢字の簡略化は古くから俗字として行われていたのだけど、清朝末期から正字として使う運動が起こってきたとされている。

簡略化の方法は、字形の一部を残したり、元々の字の特徴や輪郭だけ残したり、偏や旁を置換えたり、簡略化したりする。

これらの簡体字は『簡化字総表』にまとめられていて、今では2,235字に及ぶという。

日本人の目から見ると、中国の簡体字はちょっと省略しすぎじゃないか、とも思うのだけど、よくよく考えてみれば、日本でも簡体字にあたるものを発明してとっくに使っていた。それも1000年以上も昔に。ひらがな・カタカナの所謂仮名文字がそれ。しかし簡略化の度合いだけで言えば、仮名文字は簡体字のそれを更に超える。

簡体字は字形の一部を残したり、偏や旁を簡略化したりして作っていったけれど、どんどん簡略化していけば同然、本来持っていた表意文字としての機能が失われ、単なる音を表す表音文字としての機能だけが残ってゆく。

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ひらがな、カタカナも元々は漢字の草書体を更に崩して作っていった文字だけれど、文字の機能としては表音しかない。

だけど、日本の文字と中国のそれを比較したときに、もっと注目すべきことがある。

それは、簡易で覚えやすいカナ文字を発明していながら、漢字を捨てなかったこと。カナ文字と漢字を「共存」させたこと。漢字は漢字として保存する一方、使いにくい部分について簡略化したカナ文字を作って、それぞれを共存させるやり方をとった。漢字そのものを捨て去ることはなかった。これは文化における多神教と言ってもいい。

中国は簡体字を使おうという発想まではよかったけれど、簡体字化をどんどん進めて教育して、繁体字を見捨ててしまった。これは繁体字を黒、簡体字を白という具合に、善悪の裁定をしたことと殆ど変わらない。これが良くてあれは駄目という具合に完全に白黒つけるやり方は一神教にも似ている。

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多神教はまとまりをつけるのは難しいけれど、一神教のように「我のみ正し」とはならないから、それぞれの神が生き残ることができる。だから、一神教文明による侵略と破壊が無い限り、過去の文化が保存されて堆積してゆく。

それに対して一神教は、「我のみ正し」で自分以外は全て排斥していく傾向があるのだけど、その代わり信仰の対象が唯一つ。簡単で分かりやすいから纏めるのが凄く楽。

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画像中国で旧字体復活? 漢字の行き過ぎた簡略化めぐり論議 配信元:2009/04/20 09:36更新

 【上海=河崎真澄】中国で「繁体字」と呼ばれる旧字体の復活をめぐる議論が起きている。政府の諮問機関、全国政治協商会議の潘慶林委員が、現在公式に使われている「簡体字」は中国の伝統文化の継承を妨げる、として繁体字に段階的に戻すよう提案を行ったためだ。ただ、簡体字は1960年代に識字率の向上のため導入された経緯があり、大半の中国人は画数の多い繁体字になじみがない。中国教育省は「簡体字継続は現行法で保護されている」と反論した。

 日本でも戦後、簡略化された当用漢字が公式に使われたが、例えば「廣」が日本で「広」と略されたのに対し、中国は「广」となるなど、極端な簡略化が進んだ。また、例えば幹部の「幹」も乾燥の「乾」も、中国の簡体字では「干」にひとくくりにされており、漢字本来の意味が分かりにくくなった場合もいる。

 共産党政権が推進した簡体字政策に対し、台湾や香港では「正体字」と呼ぶ旧字体を使い続けてきた。台湾では正体字を世界文化遺産に申請する動きも出ており、実現すれば“本家”中国は台湾にお株を奪われることになる。潘委員は「繁体字復活は両岸(中台)統一にも有利」と政治的な理由も挙げた。繁体字復活とは別に、行きすぎた簡略化を修正する見直し論もある。

URL:http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/244684/


画像平安時代の文化~国風文化

《前略》

2:国風文化の作品
①かな文字とかな文字による文学作品

かな文字にはカタカナ・ひらがなの2つの文字がある。
漢字のつくりやへんをもとにカタカナが、漢字をくずしてひらがながつくられた。
カタカナは外国の用語や漢文での送り仮名で使われた。平安時代では漢字を使えるのは男性だけで、かな文字は女性が使う文字であった。
かな文字ではすぐれた文学作品がつくれないと考えられていたが、 紀貫之が『土佐日記』でかな文字を使ったことから、多くの女性によってかな文字の作品が出来た。

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<例>

●『土佐日記(とさにっき)』紀貫之(きのつらゆき)
・・日本で最初のかな文字を使った日記。土佐(とさ。高知)の国守であった紀貫之が、土佐から京都に戻るまでの旅を描いた。

●『竹取物語(たけとりものがたり)』作者不明(紀貫之という説あり)
・・日本最古の作り物語。かぐや姫の物語として有名。

●『蜻蛉日記(かげろうにっき)』藤原道綱(ふじわらのみちつな)の母
・・夫の藤原兼家との結婚生活を描いた日記。今で言う、ブログと同じようなもの。兼家の他の恋人への嫉妬や母としての苦悩を芸術的な話題などを書き残す。藤原兼家は、藤原道長の父でにあたる。道長と作者の子である藤原道綱とは母は違う。

● 『枕草子(まくらのそうし)』清少納言(せいしょうなごん)
・・一条天皇(藤原兼家~藤原道長の摂関政治時代の天皇)の妻である藤原定子(ふじわらのていし)に使えた女性である清少納言が、自分の好きなものや宮廷での自分の生活や、藤原定子や一条天皇とのやりとりを書いたエッセイ(随筆)。

●『源氏物語(げんじものがたり)』紫式部(むらさきしきぶ)
・・第一部は光の君という男性の恋愛を、第二部は光の君の名目上の息子である薫の君を中心にした、宮廷の生活を表わした作り物語。作者の紫式部は、一条天皇(藤原兼家~藤原道長の摂関政治時代の天皇)の妻である藤原彰子(ふじわらのしょうし:藤原道長の娘)に仕えた女性で、藤原道長に重んじられた女性である。源氏物語は当時の女性の大ベストセラーだった。

●『古今和歌集』紀貫之(きのつらゆき)たちが編集
・・日本で最初の勅撰和歌集(天皇の命令でつくられた和歌集)。代表的な歌人に、紀貫之(きのつらゆき)、在原業平(ありわらのなりひら)、世界3大美女で有名な小野小町(おののこまち)などがいる。

URL:http://www.geocities.jp/syaka01gakuin/bunka-050.html

この記事へのコメント

  • mayo5

    日本も簡体字を作ってしまいましたね。当用漢字とか、常用漢字とか、もう分かりません。「鉄」はすでに繁体字ではないですよね。
    一神教であるキリストの内部抗争は凄いです。原理主義とは根本原理に遡るのではなく、都合のよいものを作るものですから。そして、過激であればあるほど正しいとされるのです。
    毛筆の素晴らしい字を見ると、心が安らぎます。習字をもう少し真面目にやっておくべきでした。
    2015年08月10日 16:51
  • 日比野

    こんばんは。お返事遅くなりまして、すみません。
    確かに日本も簡体字を作りました。が、それ以上に簡体字化したカナ文字があったために、中国に簡体字程に簡体化することはなかったことが幸いしたようみ思います。
    2015年08月10日 16:51

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