メディアとネットの共存(メディアのビジネスモデルとネットについて 最終回)


こうして既存メディアとネットを比較してみると、ネットが圧倒的に勝利を収めているようにも見えるのだけど、ネットにも欠点がないわけじゃない。

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それは、書き込みされた内容が本当に真実であるかどうかの見極めが難しいこと。リテラシーの問題。

これは、ネットの匿名性と、組織でない個人ユーザーが大半を占めていることに起因してる。もちろん匿名性と個人ユーザーの数の多さが「事実」の配信や「暴露」をリークしたり、はたまた、優れた「見識」の披露に大きく寄与していることは疑いない。その反面、ネットが既存メディアに勝る理由のいわば影に当たる部分が、信憑性の確認の難しさ。

これを補うものは、ネットユーザーの正直さと冷静さ。民度と論理的思考能力。

情報を書き込みするネットユーザーが正直であり、自らの過ちを素直に認める態度があってこそ、真実の情報がネットに供給されるし、情報に触れる側も論理的思考能力がしっかりしていればこそ、その言論の矛盾に気づくことができる。

だから、ネットが正しく機能するためには、個々のユーザーの民度に負うところが大きく、それをどこまで高めることができるかでネット言論の質は定まってくる。

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既存メディアがネットに勝る部分を持とうとすれば、個人が個人としては中々手の届かない部分、真実の裏取りであるとか、個人では到底いけないような危険地帯に踏み込むとか、そうした部分でアドバンテージを持つしか無くなってくるだろう。あとは誰も注目しないような小さな記事をクローズアップして報道できるところなんかは、個人ではちょっと敵わない部分。要は組織ならではの強みを生かすということ。

もちろん、そうして確認した事実を偏りなく報道し、間違いに対しては自ら自浄作用を働かせなくてはならない事は、当然の前提。

見識は、それこそ高い見識を持つ人はいくらでもいるのだから、そうした人に如何にアクセスして報道できるかどうか。メディア各社の方針によって、取り上げる見解に傾向は当然あってもいいけれど、事実を事実として報道することと、社としてのスタンスに従った見解を述べるのとは分けて考えないといけない。

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自分の見解を述べたいがために、都合のよい事実しか取り上げなかったり、あまつさえその事実を捏造したりしなければならないのであれば、その報道の真実性の判断は、一般視聴者に委ねるべき。この報道は事実とは限りませんと断りを入れて、報道局数をうんと増やして、いろんな見解を放送できるようにしてやれば、あとは視聴者がそれなりに判断できるようになるだろう。だけど、そんなものは最早報道では無くなっている。

世界不況になって、広告収入が激減している今だからこそ、既存メディアは本来のあるべき姿に立ち戻るチャンスを迎えているといえる。

そうして初めて、メディアとネットが共存できることになる。

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