オーマイニュースの失敗(メディアのビジネスモデルとネットについて その2)

 
 『何よりわかったことは、誰もがジャーナリストとなるなら、その競争は所属する組織や媒体名ではなく、言論の質になるということだろう。オーマイニュースは、残念ながら編集部発の記事ですら質で勝負するレベルではなかった。これはどのような点よりも決定的であるし、既存メディアにとっても重要な示唆となる。』

期待裏切った2年・オーマイニュースはなぜ失敗したか(下) ガ島流ネット社会学より

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これまで新聞各社は、より多くの広告収入を得るために、発行部数の拡大・維持に努めてきた。そうした従来型のビジネスモデルが限界に来ているという指摘もある。いわゆる「押し紙」問題がそれを象徴してる。

国内全国紙の発行部数は読売新聞が1002万部。朝日新聞が803万部。発行部数だけでいえば、世界トップ3を日本勢が独占しているそうだ。

だけど、そうした公称発行部数と実売数に大きな乖離があるのが現実で、実売数は公称の7~8割程度とも言われている。「押し紙」とはそうした売れ残りを全国の販売店が自己負担で処分している問題。昨今は「押し紙」問題をめぐって訴訟問題にまで発展している例も出てきた。

もう拡大路線だけではやっていけなくなってきたことは明らか。

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そうしたこともあって、大手新聞社もニュースのネット配信にも力を入れるようになってきたのだけれど、まだまだビジネスモデルとして確立するまでには至っていない。

そんな中、市民参加型インターネット新聞サイトの「Oh! MyLife(オーマイライフ)」が、2009年4月24日をもって遂に閉鎖した。

失敗の原因はいくつも分析されているけれど、著名ブロガー「ガ島通信」の藤代裕之氏によれば、

・市民メディアを標榜しながらフリーライターの記事を多数掲載するなど体質が既存メディアそのものだったこと
・この時期にメディアを持つことの意味を理解できていなかったこと

の二つがその原因だという。

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市民メディアと銘打ちながら、記事の選定や市民記者達に対する目線が従来メディアのままであったということは、まだネットの双方向性やリテラシーに対する意識が全然追いついていないということを示している。

06年9月にオーマイニュース(オーマイライフの発足当初の名称)をテーマにしたシンポジウム『ブロガー×オーマイニュース「市民メディアの可能性」』が開かれたのだけど、その中で編集部員からは「ブログの世界がこんなに広がっていたとは知らなかった」「(先行する市民メディアである)JanJanもライブドアニュースも見たことがない」との発言が繰り返されたというから、さもありなん。

あれから3年。果たして今はどうなのだろうか。

以前、「真実と暴露と高い見識(メディアについての雑考 後編)」や「ブログの記事と知性について」でも触れたのだけれど、ネットの世界で価値のあるものは真実と暴露と高い見識。

冒頭の藤代裕之氏の指摘に見られるように、もはや言論の質、知の性能が測られる時代に入っている。それにどこまで気づけるかどうか、質においてネットに伍するものがあるかどうかが、新聞の未来を決める。

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画像新聞業界の苦悩 自らの首を絞める「押し紙」問題 3月29日13時0分配信 MONEYzine

 日本は世界でも「新聞大国」として知られている。国内の全国紙の発行部数は読売新聞の1002万部をトップに、朝日新聞803万部、毎日新聞385万部と続く。この発行部数は世界の新聞紙と比較しても群を抜いた数字で世界トップ3を日本勢が独占している。海外では米国で首位の「USAトゥデイ」が227万部、英国の「ザ・サン」でも307万部程度だ。

 しかし新聞業界がこれまで築いてきた強固な地盤も近年では崩れつつあるのも事実。年々読者の新聞離れが進み、広告費は縮小傾向にあり、大手新聞社は軒並み業績不振に苦しんでいるのだ。そのような中、限界に近づいているのが「押し紙」という業界の悪しき習慣だ。

 一般にはあまり知られていないが、「押し紙」とは新聞社が新聞配達業務などを請け負う販売店に販売した新聞のうち、購読者に届けられなかった売れ残りを指す。印刷所で刷られた新聞はすべてがユーザーに行き渡るのではなく、廃棄される部数がかなりの割合で存在するのだ。そのため実売部数と公称部数はかなりかけ離れているのが実態で、その数は新聞社によって異なるものの、2割とも3割とも言われており、場合によっては「5割に達するケースもある」(業界関係者)という。

 なぜ新聞社はユーザーの手元に届かず廃棄されてしまう無駄な部数を刷るのだろうか。主な理由としては2つある。1つが新聞社の売り上げを増やすため。そしてもう1つが広告料を高く取るためだ。

 まず1つ目だが、新聞社は販売店契約を結んだ時点から販売店よりも有利な立場にあるため、過大なノルマを販売店に課すことがある。このノルマのうち達成できない分は、当然大量の売れ残りとして発生してしまうが、販売店は廃棄分を含んだ代金を新聞社に支払わなければならない。新聞社は売れようが売れまいが、販売店に押し付けてしまえば売り上げが計上されるが、「押し紙」の数が多くなればなるほど、販売店の経営はきびしくなってしまう。実際に元販売店と新聞社との間で「押し紙」問題をめぐって訴訟問題にまで発展している例もある。

 しかし新聞社は売り上げもさることながら、広告収入を維持するために発行部数を落とすことはできない。これが2つ目の理由だ。新聞の紙面にはたくさんの企業広告などが掲載されているが、新聞社は広告クライアントに対して公称部数をもとに広告枠を販売している。もし「押し紙」分を除いた実売部数が明らかになれば広告収入は大幅に減少する上に、「これまで水増し発行部数分の広告料を摂られていた」とこれまた訴訟問題に発展するリスクも出てきてしまう。

 これまで新聞業界で公然の秘密となっていた「押し紙」問題だが、これ以上続けた場合には販売店から、止めた場合も広告クライアントからそれぞれ訴訟問題に発展する可能性がある。ゆがんだシステムではあるが、長い間機能してきただけに、「押し紙」を廃止することは容易ではなく、業界は身動きができない状態に陥っている。

URL:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090329-00000000-sh_mon-bus_all



画像新たなビジネスモデルを作れるか「活発化する大手新聞社のネット戦略」MONEYzine編集部 2009年03月06日 13:00

 大手新聞社がインターネットでのニュース配信に力を入れだした。発行部数が業界首位の読売新聞と2位の朝日新聞は日本経済新聞と3社共同のネットニュース「あらたにす」を昨年から開始。全国紙3紙の新聞記事やコラムの一部を並べて掲載しており、読み比べができるのが特徴だ。

 3社はすでに、読売新聞が「ヨミウリ・オンライン」を、朝日新聞が「アサヒ・コム」、日経新聞が「日経ネット」をそれぞれ自社サイトで情報を発信しており、論調や専門分野が異なる新聞間でのこうした提携は異例の出来事だが、読者層の拡大のためインターネット事業と販売分野で提携をはたした。

 また産業経済新聞はマイクロソフトと07年10月に提携し、「MSN産経ニュース」を共同運営している。それまでMSNと共同でMSN毎日インタラクティブを提供していた毎日新聞は独自に「毎日jp」を開設し、今にいたっている。

 全国紙を展開する大手新聞社がインターネットを通じた情報提供の強化を競っている背景には「紙が売れなくなっている」(業界関係者)という現実がある。若者を中心に新聞離れが進んでおり、購読者の減少とともに広告費も縮小傾向、さらに用紙代の上昇や金融危機も業界による不況も深刻な影響をおよぼしている。もはや既存のビジネスモデルは崩壊寸前に陥っている。

 新聞離れの原因の1つとして、ユーザーがパソコンや携帯電話などからインターネットによって情報を取得し始めたことがあげられるが、「現在ネットで配信されているニュースも、大半は新聞社の記者が取材をして記事にしたもの」と日経新聞の杉田亮毅社長が以前コメントしたように、新聞社は発信する報道や解説、評論の価値には自信を抱いている。そこで各社ともインターネット分野での進出を課題にネットニュースの勢力拡大を進め、いったん失った読者をネット上で取り戻すため試行錯誤を行っているのだ。

 ただし課題はネット事業での売上をどれだけ伸ばせるかだ。今のところネット事業は紙媒体に取って代わるほどの収益はあげておらず、将来の展望は決して明るいとはいえない。大手新聞社は「ネットでの新聞社の存在感を高めることにより、新聞自体の売上も伸ばしていきたい」としているが、紙媒体とネット媒体の融合を進めていくなかで、共同サイト運営やポータルサイトとの連携の増加を含めた新聞業界の再編が活発化していきそうだ。

URL:http://moneyzine.jp/article/detail/135200



画像期待裏切った2年・オーマイニュースはなぜ失敗したか(下) ガ島流ネット社会学

 9月1日にサイト名を「オーマイライフ」に変え、大幅リニューアルした「オーマイニュース」。市民メディアを標榜しながらその本質は従来型メディアそのもの、という矛盾は創刊前から見え隠れしていたが、インターネットメディアにも関わらずネットユーザーと対立したオーマイニュースは創刊初日に早くもしっぺ返しを食らうことになる。(ガ島流ネット社会学)

 創刊当日の2006年8月28日、オーマイニュースのアクセス数トップを記録したのは「インターネット上ではびこる浅はかなナショナリズム」という記事だった。これが2ちゃんねるユーザーによるいたずら投稿であったことが判明する。

 この記事は、ベストセラーとなった「嫌韓流」の主張が2ちゃんねるでは当たり前のようになっていると指摘し、「筆者は、同年代に生きる同じ日本人として、彼らの言論、そしてこの国の未来が心配である」と憂える体裁になっている。それは初代編集長だった鳥越俊太郎氏が創刊準備ブログ「オーマイニュース開店準備中Blog」が炎上した理由を「韓国への差別意識」と発言したことへの明らかな皮肉だった。

 さらに、オーマイニュースに掲載されなかった記事を紹介する「NoranaiNewsオーマイニュースにノラナイニュース」というサイトまで開設された。これも編集部の記事採用方針に政治的に偏った面があるのではないかという疑念を煽ることになり、オーマイニュースの炎上は加速した。


■シンポジウムで明らかになった編集部の問題

 前回も触れたブログエントリーがきっかけになり、創刊直後の2006年9月2日にオーマイニュースをテーマにしたシンポジウム『ブロガー×オーマイニュース「市民メディアの可能性」』を企画した。多くの関係者の協力を得て、ボランティアで運営された。パネリストとして、オーマイニュース編集部から鳥越編集長ら3人、同編集委員でジャーナリストの佐々木俊尚氏、駒澤大学准教授で「H-Yamaguchi.net」の山口浩氏らが顔をそろえ、私が司会を担当。会場の早稲田大学には記者、ブロガー、研究者ら70人を超える参加者が集まり、3時間以上にわたって白熱した議論が行われた。

 ここで、いくつかの重要なポイントが明確になった。編集部がネットやブログの世界をほとんど知らなかったこと、市民記者の原稿に対して編集部自身が懐疑的であること、先行事例・競合分析をしていなかったことだ。

 それは彼らによる「ブログの世界がこんなに広がっていたとは知らなかった」や「JanJanもライブドアニュースも見たことがないので分かりません」「市民記者の記事だから……」といった発言に象徴されていた。読者についてもほとんど言及されることはなかった。

 シンポジウムの後に会場で行ったアンケートの回答は当然のことながらオーマイニュースに対して厳しいものだった。「先行事例から全く学んでいないのは致命的。信じられない」「既存マスメディア型の一方通行の発想しかない」「読み手についてオーマイが意識していないことがよくわかった」などだ。

 にもかかわらず、「オーマイニュースは成功すると思いますか?」という質問には、成功する=3、成功しない=6、わからない=30、成功してほしい・成功の可能性あり(これは選択肢になかったが記入者が書き加えたもの)=3で、この段階でも期待は失われていなかった。

 シンポジウムでは、パネリストや参加者から、編集部へのアドバイスや改善案がいくつも提示された。このような提案は、炎上しているコメント欄や2ちゃんねるの書き込みの中にすら存在していた。


■炎上にも薄い危機感

 2006年9月段階ではブログなどのネットメディアは大きな存在になりつつあったものの、社会的な認知はまだまだで、ネット言論の核となるようなメディアプラットフォームが求められていた。資金と組織があるオーマイニュースなら、まだチャンスがあるように思えたのだ。

 編集長である鳥越氏の存在も大きかった。自身が癌と戦いながら新しいメディアに賭けるという意気込みは会場の参加者の心をつかんだ。ブログ「くりおねあくえりあむ」は『鳥越さんの「志」を直に感じられたのが、今回参加して私にとっての一番の収穫だった』と記している。しかしながら、これらのアドバイスが生かされることはなかった。

 相次ぐ炎上に対してオーマイニュース編集部は驚くほど危機感を持っていなかった。シンポジウムでは、釣り記事について「あれは6万PV行きました。我々も楽しませてくれたというか」と笑わせ、「月400万PVいかないと広告が入らない。今はなんとか(話題になったので)そのペースは超えている」という炎上容認と見られる発言すらあった。編集部はシンポジウムの模様を会場からオーマイニュースに速報したが、そのタイトルは「鳥越編集長、引退の危機!?」だった。


 編集部は自らネットユーザーの「お遊び」の土俵に乗った。これにより、見かけのアクセス数は増やしたかもしれないが、ニュースメディアにとって重要な信頼感を失っていった。読者(ネットユーザー)不在、市民記者を軽視するスタンスも変わらなかった。編集部員は「発信できる場を作っているから市民は喜んで書くだろう」といった既存のマスメディア的発想を持ち込んだうえに、次第に「市民メディア」を自分たちのものとして利用し始める。


■強まるプロ記者主導

 2007年2月に鳥越氏が体調不良となり、元週刊現代編集長の元木昌彦氏が編集長になって、プロ記者主導は一層明確となった。フリーライターの記事が増え、雑誌のようになったことに「市民記者が主役のはずなのに」との不満が高まった。創刊から約1年後の2007年9月、「なぜ市民記者は辞めてしまうのか」と題する記事がオーマイニュースに掲載される。

 この記事ではトップ記事の掲載比率を計算していて、編集部発の記事が44.4%、市民記者発が55.6%という結果について、『「市民みんなが記者だ」を合言葉に創刊された市民記者メディアとしては、いささか看板倒れではないだろうか』と、市民記者への対応がおろそかになっている現状を批判した。

 これに対して編集部が反論した記事『「なぜ市民記者は辞めてしまうのか」への異論 プロ記者がオーマイニュースを語りますよ』は、市民メディアであるはずのオーマイニュースが市民記者をどのように考えていたかを如実に物語っている。市民記者の実働率が3%であることは紙媒体の世界から言えばむしろ立派と反論し、さらに記事を「取材力不足の典型例」と批判する。一部には市民記者を見下すような記述すらあった。


■本質はマスメディアジャーナリズム中心主義

 オーマイニュースの市民記者本部長・社長室長を務めていた田中康文氏は2007年に出版された「メディアイノベーションの衝撃」への寄稿で、編集部の中に『特ダネを提供してくれる「通報者」としての市民、自分が関心をもっている取材を現地で協力してくれる市民、といった「市民記者=編集部の補完・代替」だという考えや、市民はろくに文章を書くことができない上、ウルサイことを電話で言ってくる』と市民記者を捉える雰囲気があったことを明かしている。

 これは市民メディアという言葉や、ブログ黎明期にあった参加型ジャーナリズムという言葉の反対側にあるマスメディアジャーナリズム中心主義を明らかにしている。誰もが情報発信できるということは、誰もが記者として、ジャーナリストとして同じ地平に立つことであるというパラダイムシフトが理解できなかったのだろう。

 オーマイニュースの創刊宣言はこのような言葉から始まっている。

 『ニュースが生み出される方法、消費される過程を含めて、ニュースの仕組みが根底から変わります。これまで傍観者、あるいは情報提供者にとどまっていた人々がニュースづくりの主役になるのです。新聞社のゴミ箱に捨てられていた読者の投稿、胸に秘められていた想いなど、これまでないがしろにされてきた皆さんの声を、オーマイニュースは大切にしていきます。オーマイニュースは日本で最も自由なメディア、ニュースを通じた市民参加の「プラットフォーム」になるのです』


 結局、市民記者の声は以前と同じようにないがしろにされ、ニュースの仕組みは何ら変わらなかった。オーマイニュースは、ネットという新しい薄皮に包まれた古いメディア、既存メディアを真似した「劣化メディア」でしかなかった。シンポジウム当時にオーマイニュースに期待された役割の一つは、ミドルメディアという別の形によって実現した。掲示板やブログに拡散したネット上の情報をミドルメディアがアグリゲートし、それが大手ポータルサイトにも配信されるようになっている。ブログの社会的な認知度、影響力も高まった。オーマイニュースは時代の変革期に咲いたあだ花だった。


■媒体名で競争できる時代の終わり

 創刊からの2年間を外から振り返ってみると、反省を生かす要素が見つからないぐらい、失敗を重ねてきたことが分かる。インターネット事業にも関わらずネットを知らないスタッフ、ネットユーザーの情報発信力を軽視し、参加者・読者のメリットを考えない姿勢、そして市場環境や競合分析すらせず新たなビジネスに取り組む……。

 何よりわかったことは、誰もがジャーナリストとなるなら、その競争は所属する組織や媒体名ではなく、言論の質になるということだろう。オーマイニュースは、残念ながら編集部発の記事ですら質で勝負するレベルではなかった。これはどのような点よりも決定的であるし、既存メディアにとっても重要な示唆となる。

 媒体に所属するだけで記者・ジャーナリストとして価値があった時代は過ぎ去った。以前のコラム「イノベーションのジレンマに襲われるニュースメディア」で述べたように、深い洞察力、分析といったコンテンツをそろえなければ、競争力を失いオーマイニュースと同じ道をたどることになるだろう。

[2008年9月5日]

URL:http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMIT11000004092008

この記事へのコメント

  • 日比野

    スポンタ様。はじめまして。お返事遅くなりまして、すみません。
    仰るとおり、ネット上の質はネットが決めるものだと思います。情報の民主化をプロジャーナリストが受け入れられるかどうかだと思います。
    2015年08月10日 16:51
  • スポンタ

    全て仰るとおり。

    ただ、ガ島氏は、「言論の質」と事も無げに言うが、「質」はプロジャーナリストが決めるものではない。受信者の数だけ、多様な「質の価値観」がある。
    そして、ウェブは「言論」であることさえも求めない。
    2015年08月10日 16:51

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