鼓腹撃壌の日本(政治家の世襲問題について考える その4)


有老人、含哺鼓腹、撃壌而歌曰、「日出而作 日入而息 鑿井而飲 耕田而食 帝力何有於我哉」

老人有り、哺を含み腹を鼓うち、壌を撃ちて歌ひて曰はく、「日出でて作し 日入りて息ふ 井を鑿ちて飲み 田を耕して食らふ帝力何ぞ我に有らんや」と。

口語訳:また一人の老人が口に食物をふくみながら、腹つづみをうち、足で地面をたたいて拍子をとりながら、「おてんとうさまが上れば耕作に出かけ、おてんとうさまが沈めば家に帰って休む。井戸を掘ってうまい水を飲み、田を耕しておいしい飯をたべる。天子のおかげなどわしらには何の関係もないことだ」
『十八史略』より


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古代中国の伝説の五賢帝の一人である堯帝は、ある日自分の政治がうまくいっているか知るために忍び姿で街に出たところ、一人の老人がこのような歌を歌っていて、それを聞いた堯帝は治世がうまくいっていることを知ったという有名な逸話。ここから治世がうまくいっていることを「鼓腹撃壌」というようになった。この老人は、日々の生活に充足し、満足しており、天子の政治を意識することすらない。

経営アナリストの増田悦佐氏はその著書で、高齢者の生活困窮者の国際比較データを例示している。

それによれば、経済的に日々の暮らしに困っている、または少し困っていると答えた人の割合は、日本で14.5%で一番少ない。この割合はアメリカで27.6%、ドイツで29.9%、フランスが40%、韓国に至っては49.6%だというからダントツに低い。

こうしてみると、日本人は政治に殊更関心を示さなくても、日々の暮らしは普通に行なわれ、社会が維持されている。日本は世界で一番「鼓腹撃壌」を成し遂げている国。

日本人は、政治に関心のない国民だと云われるけれど、逆に言えば、国民が政治を意識しなくても生きていけるという古代中国の理想社会になっているとも言える。

確かに国が戦乱に明け暮れていたり、餓死者を大量に出すような社会状況であれば、政治に関心を持たないと生きていけない。先日タイでクーデター騒ぎがあったけれど、そんな社会だったら要人暗殺も日常茶飯事だし、いつ戒厳令が敷かれるかもわからない。安心して暮らせない。

日本でも昨年大騒ぎになった毒餃子事件。昨今の豚インフルエンザもそう。普段政治のことなんて知らん振りのくせに、いざ自分の身に危険が及ぶとなったら大騒ぎ。

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老子の第十七章には「太上下知有之」《 太上(たいじょう)は、下(しも)これあるを知るのみ》とあり、治められた人民が、ただ自分たちの上に政治をする人がいるということを知るだけで、有り難いとも何とも感じていないのが最上の政治だとしている。

本当にこのようなことが在り得るとしたら、本当に行き届いた理想的な政治が行なわれているか、民の要求レベルが極めて低くて生きているだけで満足する程度の、実に慎ましやかな欲求しか持っていないかのどちらか。

昨今の毒餃子問題、新型インフルエンザ騒ぎのみならず、時にガラパゴスとも揶揄される機能満載の携帯電話やデジタル家電、これでもかというくらいのサービスに加え、次から次へと新製品が登場する日本。

日本人の要求レベルは極めて高い。

だから、日本の政治が「太上下知有之」になっているとしたら、それは本当に「鼓腹撃壌」の国になっていたのだ、と考えるべき。

もし日本が、毒餃子や豚インフルエンザが日常茶飯事の国であったなら、もっともっと政治への関心は高くなる筈。だけどそれは、決して褒められたものじゃない。

そして更に、日本がその高まった関心を抑圧し、弾圧するような国家体制だったとしら、どこかの国のように日常的に暴動が起こっているに違いない。

日本は荒れてきたとはいえ、そこまで酷くはない。日本はまだまだ老子の理想の国の範疇にある。

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