では、上手くいく、という期待どおりにいく保証もないのに、なぜ期待してしまうのか。
ひとつには、先に引用した記事にあるように、「飽きた」からというのもあるでしょう。しかしもうひとつ重要な点があるように思われます。
それは、やはり、今だに日本人は自国の政治家達に「徳」を期待しているところがあると思うのです。
すなわち、日本の政治家なのだから、日本の国益を第一にして当たり前だ、とか、なんだかんだいってもやはり日本人なのだから、愛国であるはずだ、という前提で考えているのではないかということです。
日本国民の多くが、政治家の「徳」を期待している。けれども、その徳を確認できるくらいその政治家を知っているかといえば、そうでもない。殆どがテレビなどから流れてくる、マスコミ報道だけでしかその政治家を知らないわけです。
以前、「徳治主義と民主主義の隙間」のエントリーでも述べましたが、やはり日本人は政治に対して徳治主義を求めているところがある。であるがゆえに、民主主義のコストを支払わない。その隙間に国難が迫っている。そう思うわけです。
だけれども、北朝鮮が核実験をし、ミサイルを発射して、現実の脅威が目の前に迫っているこの国難のときに、確証のない「淡い期待」に従って、一度やらせてみたはいいけれど、二度と取り返しがつかなかった、ということは十分あり得る話です。
戦術レベルで何度敗退したところで、戦略レベルで負けなければ、最終的に破れることはありません。しかし、戦略レベルで間違えてしまったら、取り返すのは大変なのです。
たとえば、一例を上げると、毛沢東政権下の中国なんかはそうでしょう。太平洋戦争終結後、日本は民主国家として、アメリカのような国になることを国家ビジョンとして持ちましたが、中国はマルクスの共産国家を理想として、それを国家ビジョンとしました。その結果50年、60年たって、現れた世界は何であったか。
日本は繁栄し、中国は燻っています。中国は今でこそ経済大国として台頭していますが、それは鄧小平時代に改革開放路線に戦略を転換して、経済レベルで資本主義を導入したからです。
それまでの20年、30年はどうだったかといえば、大躍進できずに数千万ともいわれる餓死者を出しています。経済繁栄など夢の世界でした。
それほど国家戦略の間違いは大きいのです。下手をすると亡国に近いところまで行ってしまうのです。
幸か不幸か、民主党は国家戦略を示していません。示していないのか、示せないのかは分かりませんけれども、国家戦略なき政策である以上、その場その場で、ころころと路線変更される確率は高いと見ていいと思います。
しかしながら、近々に限ってみれば、民主党の経済政策が行なわれれば、景気後退になる可能性は極めて高い。一見、給付金を皆に支給するように見えて、実質増税となる政策が多いからです。
あまつさえ、民主党の最高顧問は「財源にはそこまで触れなくていいんだ。どうにかなるし、どうにもならなかったら、ごめんなさいと言えばいいじゃないか」と発言しているのです。
財源の裏づけがない政策をやってみた結果、失業者だらけになって、それで「ごめんなさい」で済むと思っているのだとしたら、随分と国民を馬鹿にした話です。
ただ、政策の中には一度施行してしまったら、後からは中々変えられないものもあるでしょうから、いくら民主党の政策に国家戦略がないと言っても、何が取り返しがついて、何が取り返しがつかないかの見極めは必要になると思います。
7月8日 読売新聞朝刊より
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