今日は少し趣向を変えて…
光と闇の斗い
日輪を 仰ぎ見るもの
日輪を 引き裂くもの
斗いのときは 訪れた
日輪を巡る 争い
自由と独裁の 闘い
それは
光と闇の斗い
気づいているものは 少ない
日輪の運命 決するとき来る
目の前に広がる 暗黒と
微かに覗く 煌きと
選択のときは 訪れた
何のために 選ぶのか
誰のために 選ぶのか
力を握るもの 貶めて
有頂天になって 喜ぶものたちよ
汝ら 暗黒の淵に 飲み込まれん
全てを 擲って
愛するものを 守る想いは
光の矢
そして 天駆ける 希望
誰が悪いとか 誰のせいだとか
自分ではない 誰か
責める気持ちの その隙間
闇の触手は 忍び寄る
暗黒の心 全てを覆う
事実も
真実も
なにもかも 暗闇に閉ざす
過去を いくら断罪しても
未来は拓けない
未来の扉を ひらくのは
未来を掴み取る 熱き想い 力強き意思
未来を拓く 意思こそが
未来の扉を 開け放つ
光と闇の斗い
それは
内なる心との 闘い
勝利せよ
自らの 心の内に
勝利せよ
自らの 慾望に
勝利せよ
おのが心を 光で満たせ
8月24日、「責任ある選択」という記事をエントリーしました。
なぜ、あのような記事を書いたかというと、どうしてマスコミにのせられて、ムードだけで決めてしまう人がいるのだろうか、という素朴な疑問があったからです。
そして、それについて、色々と思いを巡らせていたところ、どうやら「慾望」がキーワードになっているのではないか、と思えてきたのですね。
今回の選挙では、これまで、支持したことはなかったし、支持したくもないけれど、今回だけは鼻をつまんで入れる、とか、子供にちゃんとした社会を残したい、という人達が居ます。
その人達は、その想いにおいて、私心(わたくしごころ)がないのです。自分ではない、愛する誰かのために行動しているからです。
その一方で、「一度お灸をすえてやる」、という人もいます。しかしそれは、一見、正義感に燃えているように見えて、実は、その人には、権力者を貶めて喜ぶ気持ち、力あるものを断罪する気持ち、過去を裁く気持ちが隠れている。そして、それに気づいていないと思うのです。
なぜなら、慾があるからです。心が自分に向いているからです。私心(わたくしごころ)が、暗黒の触手に絡め取られてしまっているのです。
そこから逃れるには、一度、慾を捨て、私心を去って、直き心で見つめ直さなければなりません。
アナキン・スカイウォーカーを、ダースベーダーにしてはならないのです。
憎しみの心で投票したら、ダークサイドに堕ちるのです。
それが、先日のエントリーの主旨でした。
過去を何万回責め立てたところで、未来は決して拓けません。過去には未来への手立てが何もないからです。
未来を拓くのは、現在ただいまからの想いと行動によってのみ始まります。
そのための選択を、私達は行うのです。
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この記事へのコメント
日比野
「葉隠」ですか。まさにそうですね。今こそ、公の精神が何より求められるのだと思います。
「力」なき「正義」は無力。「正義」なき「力」は暴力、ですね。
meso1
個人的には、「慾」というより「嫉妬」だとも思います。
「あいつ、上手い事やりやがって!いっちょ懲らしめてやろうかww」
的な。
ohpa
記事、すばらしいので一部転載させていただきました。
http://elhappy.blog51.fc2.com/
by ohpa
mor*y*ma_*atu
参照URL
http://www.dl.saga-u.ac.jp/OgiNabesima/haga.htm