満足が価値を生む(ニュースの価値について考える 後編)

  
ニュースにおける「見識」でお金を貰おうと思ったら、お客さんにその見識によって「満足」して貰わなければいけない。お客さんのニーズに応えることは、商売の基本だから。

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商品価値について(2009.02.8)」のエントリーで述べたけれど、満足を与えるということは、「抜苦与楽(ばっくよらく)」を行うことと殆ど同じ。

その見識を得ることで、「苦しみ」を抜き、「楽」を与えられるものであって、ようやく「満足になる」ということ。

では、苦しみを抜く見識とはなにかというと、端的には、現在ただ今の、苦境から逃れられるための、役に立つ情報やニュースということになる。

たとえば、麻生政権が行った経済対策の中に、中小企業向けの雇用調整助成金がある。これによって助かった会社も多々あったと思うけれど、これを知らなかったがために、倒産してしまったところもあったかもしれない。

もし、マスコミが、政府が雇用調整助成金を拡充してますよ、と大々的に報道していたならば、それはまさしく中小企業が陥っていた「経済的な苦しみ」を抜く、役に立つ情報となった筈。それであってこそ、お金を取れる「価値ある」ニュースというもの。

また、「楽」を与えるニュースとは何か、というと、ニュースとは少し違ってくるかもしれないけれど、たとえばスポーツなんかで、日本人選手が大活躍したとか、面白いバラエティ番組であるとかなんかはそうかもしれない。WBCの優勝で、日本中が多いに盛り上がったし、経済効果も上がった。これも「価値ある」ニュース。

ところが、今のマスコミはといえば、特にテレビなんかはそうなのだけど、昨年からの麻生総理に対する報道をみれば、「抜苦与楽」なんて全然してなくて、その反対。「苦しみ」を与えて「楽」を奪う報道ばかり。「抜楽与苦」に成り下がっている。これではテレビ離れも理の当然。

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昨今、今のニュースはバラエティ化している、と、よく言われるけれど、それも当然の話。なにせ、ニュースの中身が「抜楽与苦」なのだから、せめてバラエティ化して、そこで「楽」を与えでもしないと、とてもやっていけない。

つまるところ、根本に、視聴者に苦しみを与える報道姿勢を持っていると、いくらバラエティ化して、「楽」を供給したところで限度はある。せいぜいよくて、プラスマイナスゼロ。価値がゼロなのだから、利益は生まない。そんなやり方は、とても長続きするものじゃない。

マスコミは、「考え」や「文化」に金を払う、ということの意義をもっと真剣に考える必要があると思う。

そのニュースを得ることで、人々にどれだけの満足を与え得るのか。

そのニュースが、どれだけ人々の役に立って、苦しみを救う力があるのか。

そういう報道がなされていると、そこに感動が生まれ、感謝となって、沢山の人が見てくれるようになる。スポンサーも名乗りを上げてくれる。それはもはや対価などではなくて、布施になる。

教えてやるから、よおく見ろ、ではなくて、感動を提供して、お布施をいただく。実際は、経営としてやっていけるだけの広告収入なり、なんなりがないといけないのだけれど、精神としてはそうでなくちゃいけない。

今のような、苦しみを与えるだけのニュースをまだ流し続けるようであれば、マスコミの未来は暗い。

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この記事へのコメント

  • あかさたな

    西武鉄道の社訓は「感謝と奉仕」だったんですが、例の事件発覚後、
    それがいつの間にか堤家への「感謝と奉仕」になってしまったと揶揄されていました。
    んで、今のマスコミは誰への「感謝と奉仕」なのでしょう?スポンサー?仲間?

    いずれにしても読者や視聴者に対して向けられていないのは間違いないでしょう。
    2015年08月10日 16:50
  • ohpa

    日比野さん、こんにちは。

    ついに、全国(あのNHK、朝日でも)で、大川隆法総裁先生の政権放送が始まります。

    時間帯は、私のブログに書いてありますので、是非みてください。

    http://elhappy.blog51.fc2.com/
    2015年08月10日 16:50

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