ニュースの価値を構成するもの (ニュースの価値について考える 前編)
ニュースの価値について考えてみたい。全2回シリーズでエントリーする。
昨今、新聞・雑誌などの紙媒体の部数が落ち込んでいるという。ネットがこれだけ普及してくると、それもある意味、必然の流れだとは思うけれど、業を煮やした一部新聞社などは、ニュースの有料化なども検討しているという。
何がしかの情報を有料化するためには、その情報になんらかの「価値」がないといけないのだけれど、今のように情報化が進んだ社会では、通り一遍のニュースは、その価値が低くなる。そんな情報はそこら中に転がっていて、希少価値がないから。
どこからでも、同じニュースを手に入れられる環境が整っていると、ありきたりのニュースなんて金まで払って買う人なんていない。特に日本のメディアのニュースは、横並びで同じ様なニュースばかりだから、尚更、有料化は難しい。
だから、そうした、相対的に低い「価値」しかないニュースで金を取ろうとしたら、そんな「ありきたり」のニュースですら、簡単に手に入れられないようにして、擬似的に「希少価値」を上げるしかなくなってしまう。
たとえば、報道機関同士で「談合」して、全部一斉に有料化してしまうとか。
だけど、そんな「姑息な」手段でお金を取ったとしても、長続きするものじゃない。なぜかといえば、特にネットが顕著なのだけれど、国民ひとりひとりが、自分で情報を伝達できる手段を持っているから。
誰か一人でも、その「つまらない」有料情報を手に入れて、ネットにアップしてしまえば、たちまちのうちにその情報が拡散してしまう。
ネットでは、希少価値が希少でいられる期間は、物凄く短くて、その情報がコピペで拡散する途中で、あっという間に「希少」で無くなってしまう。
だから、これまでのように、「ニュース」しているだけでは、お金を取れる時代じゃなくなってきている。
確かに、ニュースはニュースとして、価値があることはあるのだけれど、もはや、そのニュース自身の中身を問われる時代になっている、ということ。
ニュースの価値を価値たらしめているものは何かといえば、大きく二つある。
ひとつは、希少性。そして、もうひとつは、見識。
ニュースの希少性とは、いわゆる極秘情報。特別なニュースソースを持っているごく限られた人しか知らないこと。
すなわち、特ダネとか、スクープとか、すっぱ抜きだとかの類はこれに近いのだけれど、これは元々、世の中に広く流される性質のものじゃないから、いつもこれをあてにすることは難しい。
また、今のメディアは、記者クラブを作ってしまっているから、自分達で特ダネを探し出すことを難しくしている。
もうひとつの見識というのは、あるニュースに対して、自分達がどういった捉え方をしているか、といった価値判断の部分。具体的には、どのニュースにスポットを当てて、普段気付かないような事実をクローズアップするとか、ある事柄に対して、どの識者を選んでコメントしてもらうか、といった編集的な部分。
ニュースの価値は、こうした「希少性」と「見識」の二つの要素で成り立っているのだけれど、今の時代、ニュースそのものに「希少性」を見出すのはだんだん難しくなっている。だから残るもう一つ、「見識」の部分で、付加価値を付ける時代になっていることを知らなきゃいけない。
だけど、今のメディアは、その肝心の「見識」の部分がまた怪しい。「空気読めない、漢字読めない、バー通いだ。」が見識だというのなら、そんなものでお金を貰おうとするのは、はなはだ甘い。
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記者クラブを楯にして新聞を有料化しようと企てる人たち 公開日時: 2009/08/17 18:20 著者: 佐々木俊尚
元木昌彦氏の「週刊誌は死なず」
元週刊現代編集長で、ついでに言えば元オーマイニュース編集長でもある元木昌彦氏の週刊誌は死なず (朝日新書)という新刊を読んだ。この中に、「ネットの影響を受けているのは新聞も同じである」として次のようなくだりがある。すこし長いが引用しよう。
しばらく前に、朝比奈豊毎日新聞社長と若宮啓文朝日新聞元論説主幹と話す機会があった。私は、こうした人たちと会う時、必ず聞いてみることがある。それは「どの新聞社もネットを充実させればさせるほど紙の部数が落ち込んでいることで悩んでいる。ここら辺で、新聞社が”談合”して、情報(ニュース)はタダという風潮を断ち切り、有料化に踏み切ってはどうか」ということである。
談合という言葉は刺激的すぎるが、要は、日本語という狭いマーケットの中で、バラバラに情報を垂れ流し合っていても、広告収入で採算をとるのは不可能に近い。「Yahoo!」など巨大ポータルサイトへのコンテンツ販売も、安く買い叩かれ、莫大なネットの維持費を穴埋めすることはできない。まだ、新聞討が体力のあるうちに有料化に踏み切らなければ、手遅れになりかねないからだ。
両氏も同感だとして、朝比奈社長は、ドイツの新聞社が同じようなことをやろうとしたが、たった1社が反対したために、できなかったという話をしてくれた。1社でも「協定」を守らず、無科配信を続ければ有料化はできないとよくいわれるが、そんなことはない。新聞の6割方は発表ものだから、新聞社お家芸の「記者クラブからの締め出し」をすれば、その社には情報が入らなくなる。共同、時事通信が配信しなければ独自取材をしなければならず、採算面でも追い込まれる。
驚くべき話。あきれ果てて声も出ない。
◆新聞社は有料化を画策しているが……
私は先月末に出した2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)という本で、新聞やテレビの垂直統合モデルはいまや終焉を迎えつつあって、メディアのコンテナプラットフォームはヤフーなどのニュースアグリゲーター(ニュース集約サイト)に移りつつあるということを書いた。
この潮流に対抗するために、新聞のウェブサイトを有料化させようという動きは世界のあちこちで起きている。たとえばAP通信は自社の記事を引用した場合にはカネを払えよ、とブロガーたちに要求している。またメディア王ことルパート・マードックは、つい昨年までは「ウォールストリートジャーナルも有料モデルを捨てて無料化し、広告で稼ぐべきだ」と主張していたのが、リーマンショック以降の不況で広告収入が激減するに至って、「ニュースコーポレーションのすべてのテレビと新聞のコンテンツを1年以内にすべて有料にする」と言い出した。
しかしこうした新聞業界側の対抗策が本当にうまくいくのかどうかといえば、かなり無理がある。特に英語圏にその傾向が強いと思うが、アグリゲーター側の力が圧倒的に強くなってしまっていて、「情報はまずヤフーやグーグルやAOLで見る」という人がネットでは大半。新聞社のウェブサイトのトップページはあまり読まれなくなっている。アグリゲーターでまず記事の見出しやサマリーをチェックして、それから新聞社のディープリンクをたどって本文記事を読む、というスタイルが定着してきている。日本でもそうなりつつある。そういう状況で、今さら新聞社側にプラットフォームを引き戻すのは難しい。
さらに加えて、有料化はすべてのメディア企業が一丸となって実施しなければ不可能だ。たとえばデイヴィッド・カーはニューヨークタイムズに書いたコラムで、こうマードックの有料化戦略をバカにしている。
「ふーん、わかった。じゃあおまえんとこのブックマークを消して、他のニュースサイトに移動しよう。そして新たにブックマークすればいい。マードック? 誰それ」
AP通信の「おいブロガー、金払えよ」戦略に対しても、ロイター通信が「AP通信がそんなにリンクや引用されるのが嫌なら、ブロガーはロイターの記事にリンクするといいよ」と宣言している。
そもそもメディア業界がこぞって有料化するというようなことをすれば、独占禁止法に抵触する可能性があるだろう。おまけにアメリカではいまや新聞業界に公的資金を注入するかどうかという議論になっている状況で、いまこのような愚挙を行えば、新聞業界が一気に完全崩壊に向かってなだれ落ちかねない。
そういう瀬戸際の状況にあるということだ。
◆記者クラブを楯にしてビジネスを守るのか?
さて再び冒頭に紹介した元木氏の話に戻ろう。なんと驚くべきことにこの人は、記者クラブによる情報独占を楯にして、談合によってこの有料化戦略を成功させればいい、と主張しているのである。
これはどういうことを意味するのか。たとえば具体的にシナリオを描けば、こういうことだ。
被害者となるのは、まあどの新聞社でもいい。ウェブパーフェクトを掲げてソーシャルメディアやウェブの戦略を頑張っている産経新聞にしておこうか。
――朝日や読売、毎日、日経、そして共同通信と時事通信が、なぜか同じ日に突如として「ウェブサイトでの記事の有料化」を発表する。新聞価格の値上げと同じで、「これは談合ではありません。偶然同じ日に偶然発表しただけなんです。私たちもびっくりしましたよ、他の新聞社さんも同じことをするなんて」と言い張る。
しかし産経は、ロイター通信と同じように「私たちは他の新聞社のような談合はいたしません。今後もウェブでは記事を無料で読んでいただけるようにサービスを続行します」と高らかに宣言する。ネットユーザーたちは、大喜びだ。だいたい新聞社の記事の大半は官庁や企業の発表モノだから、ニュースソースはひとつあれば十分。これからは産経の記事にリンクを張っていこう。
ところが数週間後、国内すべての記者クラブで突然クラブ総会が招集され、その場で産経新聞は脱会を命じられる。理由ははっきりしない。「クラブの和を乱した」とか「ルールに反する行為があった」とかそんな名目だ。「違反行為」の明確な内容は決して明らかにされない。
そうして産経新聞は独自のニュースソースによってオリジナルの記事を書くことしかできなくなり、発表モノを報じることはできなくなってしまう。この結果、ウェブ上では無料のニュースはごくわずかしかなくなってしまい、みんな新聞社の有料サービスに申し込まざるを得なくなる。これによって新聞社の有料モデルはついに成功を収めた。良かった、良かった。そして産経もついに音を上げて、産経ウェブとiza!を有料化することを条件に記者クラブへの復帰を認められることになったのだった。
――と、元木氏が提案しているのはこういうシナリオになるわけだ。
こんなバカげた話を書いている元雑誌編集者が、日本のメディア業界では「ネットのことがよくわかっていて、われわれの行き先を指し示すことができる数少ない人」として尊敬されているのである。だから日本のメディア業界は絶望的なのだ。
◆民主党の人たちは肝に銘じてほしい
記者クラブを楯にして情報を有料化するなどというこの暗愚な戦略が実現したら、新聞社はカネが再び儲かるようになって良いのかもしれないが、しかしそれはわれわれ国民にとって良いメディア空間といえるのだろうか? もちろん答はいうまでもない。
民主党は記者クラブ解体を検討しているという話もあるようだが、新聞社や出版社の一部で(しかも大手紙の社長や論説主幹も交えて)こういうバカげた企てが堂々と語られて、しかも書物にまで収められているという情けない状況を、民主党関係者はきちんと肝に銘じていてほしい。政治と有権者はきちんとダイレクトに直結するべきであって、このようなくだらない人たちに情報をフィルタリングさせるべきではない。
◆追記
元木氏の書籍での発言を「記者クラブを批判している元木氏独特の強烈な皮肉なんじゃないか」と指摘していらっしゃる方がいるが、そう思うのならまず元木氏の本を読んでみてほしい。そうでないことがわかるはずだ。
それから私が本の紹介をアフィリエイトにしていることを批判しているこのような人やこのような人もいるが、なぜアフィリエイトを批判するのだろうか? 私はこのアフィリエイトで別に儲けようと思っているわけではなく、単に自分のエントリーの影響力を測りたいだけなのだが、仮に儲けのためだとしても、自分のブログから広告によって収益を得ようと考えることをなぜ批判するのか? 情報がオープンになっていく時代においては、基本的にはコンテンツプロバイダーがそれぞれの収益モデルを確立していくべきであって、その収益モデルそのものをも否定する人というのは、私にはまったく理解できない。情報が独占された時代の収益モデルは終わりを告げ、情報がオープンになったメディア空間における新たな収益モデルを確立すべき時がやってきていることをなぜわからないのだろう。もちろんアフィリエイトはそのひとつの手段でしかなく、それがすべてではないが、アフィリエイトモデルを決して否定すべきではない。
URL:http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2009/08/17/entry_27024384/
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