ブログ記事のスタイルについて

 
今日は、日比野庵メルマガの記事(2008.6.18,25配信分)を少しリライトしつつ紹介したいと思います。

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ブログで記事をエントリーするにあたって、記事を書く方法にも色々あるかと思います。私は特に、時事問題を扱うブログ記事には、大きく分けて次の3つがあると考えています。

1.過去を扱うもの
2.現在ただいまの事象に対して論評するもの
3.未来を予測し、提言を行なうもの

ブログの多くは、2.の現在論評型だと思いますが、そのほうが書きやすいからなのだろうと思っています。実際、私も2.の記事を書くときには、書きやすさを感じているのは事実です。

とりわけ、報道されている旬な記事を貼り付けて、それにコメントを数行つけるタイプのブログがありますが、あれが一番手間の掛からないやり方ではないかと思います。

ただし、あの方式には、少し落とし穴があって、似たようなブログが他にも沢山あることと、筆者コメントがともすれば単なる感想に終わってしまいがちであるということです。

それ故、このタイプのブログは毎日更新しやすい反面、読者が飽きるのも早いという欠点があり、ブログとして長続きさせるためには、筆者コメントの質に一定以上の水準が求められることになります。これが意外と難しい。

なぜかと言うと、一定水準以上のコメントを書く為には、水面下にそれなりの下敷きとなる情報が必要であり、さらにそれらを咀嚼した上で、気の利いたコメントに仕上げるという筆力が必要になるからです。

勿論、そうしたブログもあることはありますが、やはり、数としては少なくなるように思います。たとえば「新世紀のビッグブラザーへ blog 」さんや、「株式日記」さんとかはそうかもしれません。他の有名どころでは「ネットゲリラ」さんであるとか、「陳さんのWorld view」さんあたりもそれに該当するかと思いますが、この二つは取り上げる記事の選択眼に優れたものがあり、それ故に人気を博している部分も多いのではないかと思います。

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そのような、気の利いたコメントを書いているブログには、ある共通した特徴があるように思われます。

それは、コメントを書く上で、価値観なり、考えの基準というものが確固としてあるということです。スタンスが明確であるというのが、ひとつあるように思います。そしてそのスタンスが長年ブレていない。このブレない、というのが長年続く要素のひとつでもあるのではないかと思っています。記事についているコメントを読んでみても、読者側にも、ある種の安心感があることが伺えます。

ネットやブログの世界というものは、その匿名性や自由度によって、個人の本音が実に出やすい世界です。良い面も悪い面も赤裸々に出てしまいます。故に、記事を書く方も読む方も自分の書きたいもの、読みたいものに集まる傾向が出来上がってしまいます。

そこで、何が書きたいのか、何を読みたいのか、という、いわゆる判定基準なるものが必要になってくるのですが、それが記事を書くスタンスに繋がってくるわけです。読む側も政権擁護なり、政権批判なり、右とか左とか、保守なのか革新なのか、そうした価値観の基準が明確なブログ程、安心して(覚悟して)読むことができます。

ゆえに、ブログを書く側にどこまで明確なスタンスがあるか、しっかりした考えの基準を持っているのかが、逆に大切になってくるわけです。記事の選択やコメントの確かさはそうした水面下の部分に支えられているのだと考えています。


関連エントリー:「ブログの記事と知性について」 2008.04.02

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