世の中一般に通用している正義と宗教の説く正義がぶつかるとき、その場での勝敗は何某かの結果となって現われる。
この世において、権力と権威が戦えば、普通は権力側が勝つことになっている。武力を掌握しているのは権力側だから、当然そうなる。
民主国家においては、法の下の平等、すなわち国民の自由意思は、最大限尊重されなければならない。故に、「信教の自由」が保障されているのだけれど、その自由は当然、他の何物にも侵害されることはあってはいけない。
むろん、その自由が他人の自由を脅かすものであれば、それは当然制約の対象になる。国民一人一人の自由意思を互いに尊重し合うのが前提での話。
本当は、他人の心は自由にできないものだから、「信教の自由」そのものを侵害することはできない筈なのだけれど、権力が「信教の自由」の表明を出来なくさせることはできる。
たとえば、国家権力か何かで、ある特定の宗教を弾圧してしまえば、社会的にその宗教は抹殺できるし、その宗教の信者を片っ端から捕まえてしまえば、社会的にその宗教に対する信仰の表明はできなくなる。
要は、「信教の自由」といっても、権力なり武力によって、特定の団体なり宗教なりを、いつでも社会的に抹殺できてしまう危険があるということ。
中国共産党が、法輪功に対してやっていることは、正にこれ。
これを許してしまっては、民主国家は成り立たない。だから、民主国家には、国家権力がいかなる宗教・宗派を弾圧したり、特定の宗教や団体を強要または規制してはならない、という取り決めが必要になる。それが、いわゆる「政教分離の原則」と呼ばれるもの。
今の民主国家の多くは、権力が宗教を押しつぶすことを防ぐ為に、法律としてそれを禁止している。
戦前の日本では、神道を国家神道にして、廃仏毀釈をしたことがあるけれど、今の憲法では、それは禁止されている。
逆にいえば、個人が自主的に何かの宗教を信仰するのは、その限りではないし、その宗教団体が政治的主張をするのも別に構わない。「信教の自由」と「表現の自由」、そして、「思想結社の自由」によって、それは保障されている。
政教分離の原則に従えば、仮にどこかの宗教政党が第一党になって国政担ったとしても、自分の宗教以外の宗教を弾圧することはあってはならない。それが守られる限り、民主国家は成立する。
宗教政党が国政に参加するとなった途端に、全体主義に陥る危険がある、と警戒する人は、おそらく、この点を気にしているものと思われる。
今の日本で、いわゆるカルト教団が嫌われる理由は、その偏狭性にある。自分以外は信じてはならない、とか、自分達だけが正しくて、他は皆間違っているのだ、とかいう心の狭さと、自分の教団に次々と信者を引っ張りこもうという姿勢が嫌われている。
民主国家の前提である、法の下の平等を基準にすれば、いかなる教団であれ「来るものは拒まず、去るものは追わず」でないといけない。でないと、個人の自由意思を尊重していることにはならない。
ところがカルトは、来たくない者でも引きずり込み、去る者は、地の果てまで追いかける。こうした態度が応々にして見受けられるし、実際そう思われている。そこが嫌われている理由。
要は、自分の意思と関係なく、何かの主張なり思想なりを押し付けられることを警戒し、拒絶する気持ち。それがカルトが忌避される根本にある。
だけど、この「思想の押し付け」という行為は、政教分離規定で禁止されているところの、国家による何某かの信仰の押し付け、または弾圧と構造的にはなんら変わらない。
だから、個人の自由意思の尊重、「信教の自由」という規定が、いかに民主国家としての根本を支えているかということを、国民一人一人が、しっかりと自覚しなきゃいけない。「信教の自由」に対する理解が広がれば広がるほど、権力の専横を防いでゆく力になるから。
したがって、民主国家においては、カルト教団が自らの教えを布教すればするほど、自らの在り方を変えざるを得なくなる。カルトはカルトであるが故に、ごく一部の人達の支持しか集めることしかできないから、そのままでは、国民全部を信者にするのは難しい。他人の自由意志を尊重すればするほど、自らの偏狭性を捨てなくてはならなくなる。
カルトが自身の偏狭性を捨て去れば、それは、もはやカルトでは無くなってくる。更に、その教えに普遍性があれば、時代を超えて教えが伝えられ、広がり、やがて世界宗教へと成長してゆくことも在り得る。
だから、民主国家において、もし何かの宗教政党が第一党になるくらい支持を集めることがあるとしたら、もうそれは、かなりの部分はカルトではない、と考えてもいいのではないかと思う。
下駄の雪な政党が、結党以来40年以上たっても未だに第一党になれない現状を考えると、日本において、ある特定の思想団体が、いくら多くの日本人の支持を集めようと試みたとしても、それがどれほど困難な事であるのか良く分かる。


政教分離原則(せいきょうぶんりげんそく)は、国家と宗教の分離の原則をいう[1]。
狭義には日本[2]・フランス[3]のように宗教の特権や権力行使を認めない厳格な分離(分離型)を指す。
広義には融合型[4]・コンコルダート型[5]のようなゆるやかな分離を含む[6][7][8]。
▼ 近代
《前略》
イングランドにあっては、1534年にヘンリー8世によって首長令が発布され、イングランド国教会が成立した。このことは、カトリック教会の支配下にあった世俗権力が独立し、逆に教会支配を確立した点で革命的な出来事であったが、公定宗教がカトリックから国教会に変化しただけであるという意味では、政教分離はほとんど実現したとはいえない。
エリザベス女王時代にはピューリタン(カルヴァン派)がいまだ教義の確定しない国教会からカトリック色を一掃して教会改革を徹底するよう要求を繰り返し、何度か迫害を受けるなどしていたが、議会派を中心に常に勢力を保ち続けていた。ピューリタン革命前夜、議会派ピューリタンも、長老派(国王との妥協を模索し、国教会のなかで改革をする)と独立派(国教会から分離し、自然に発生した末端の会衆教会を基本単位として、下からの教会純化を考える)、平等派(王制を廃止し、人民主権を達成しようとする)などの分離派(国教会からの分離を主張)に分裂した。
クロムウェルに教会設立の自由を宣言した演説が見られるなど独立派には政教分離の思想的萌芽が見られるものの、クロムウェル政権(1653年 - 1658年)は独立派の会衆派教会を優遇した。同じ分離派でもクエーカー教徒、平等派などは認められず、強く信教の自由を主張した。特に平等派は弾圧に遭い、1640年代から衰退していった。これらの人々はアメリカ、オランダなどへ亡命してのちに帰国する人も多く、信教の自由、政教分離への主張を強めていった。
1660年の王政復古後、イングランド国教会は公定宗教として復活した。即位したチャールズ2世はピューリタン各派への弾圧を繰り返したが、それを根絶やしにすることは不可能であった。しかも、国王の本心がカトリックの復活にあることが判明すると、議会は1673年に審査律を制定し、公職に就くには国教会の信者でなければならないとの規定を行った。
そうした中、信教の自由を求める運動は継続され、1689年の名誉革命に際して、「プロテスタント非国教徒を現行の諸刑罰から免除する法」(寛容法)が制定され、プロテスタントの非国教徒は信仰を理由に迫害されることはなくなった。しかし、1828年の審査律廃止まで公職に就くことはできなかった。また、カトリックは1801年のアイルランド併合の際に解放が約束されたが、その後も迫害を受け続け、ダニエル・オコンネルの解放運動による1829年のカトリック教徒解放令によって認められた。
政教分離を「国教制度」の否定と捉えた場合、政教分離を歴史上もっとも明確に打ち出した最初の事例はアメリカである。1776年の独立宣言に「すべての人間は平等につくられている。創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている。」とあるように、キリスト教的な思想の上に誕生したアメリカ合衆国だったが、合衆国憲法には神やキリスト教への言及がみあたらない。
1791年に合衆国憲法修正第1条「合衆国議会は、国教を樹立、または宗教上の行為を自由に行なうことを禁止する法律(中略)を制定してはならない。」が批准され、連邦政府としての国教は否定された。新国家建設の基本原理の一つに政教分離が選ばれたのは指導者たちが啓蒙主義を自らの思想としていたことと密接に関係しているが、それだけでなく、新国家がイギリスにおいて宗教的に迫害された人々による「合衆国」であり、異なった宗教的背景を持った人びとによって構成されていたという現実があったことが最大の原因であった[14]。
《後略》
▼日本の政教分離
日本国憲法に「政教分離」の言葉はないが、根拠として日本国憲法第20条1項後段、3項ならびに第89条が挙げられる。
日本国憲法二〇条
一 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
三 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
日本国憲法八九条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便宜若しくは維持のため、……これを支出し、又はその利用に供してはならない。
したがって、政教分離の具体的内容とは次の通りである[7]。
・特権付与の禁止 - 特定の宗教団体に特権を付与すること。宗教団体すべてに対し他の団体と区別して特権を与えること。
・宗教団体の「政治的権力」行使の禁止(「宗教団体の政治参加」を参照)。
・国の宗教的活動の禁止 - 宗教の布教、教化、宣伝の活動、宗教上の祝典、儀式、行事など(「目的効果基準」を参照)。
政教分離と信教の自由の関係につき、最高裁判所は津地鎮祭訴訟の判決で、「信教の自由を確実に実現するためには、単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず、国家といかなる宗教との結びつきをも排除するため、政教分離規定を設ける必要性が大であつた[18]」として、信教の自由と政教分離は目的と手段の関係にあり、個人の権利ではなく制度的保障(自由権本体を保障するために、権利とは別に一定の制度をあらかじめ憲法によって制定すること)であるとしている。これに対しては、信教の自由を侵していないという理由で政教分離の規定が縮小されてしまう可能性があり不適切であるという批判もある[19]。
《後略》
▼ 学界の議論から
国家が宗教団体に行使させてはならない「政治上の権力」とは、立法権、課税権、裁判権・公務員の任免権・同意権などの本来国が独占すべき統治的権力のことを指すので、宗教団体の政治参加は問題ないと理解するのが通説である[20][22][26]。
この説に対して、宗教団体の政治参加を制限する立場から、国の統治的権力を宗教団体が行使するということは現代では考えられないので「政治上の権力」とは「政治上の権威とでもいうべき観念」であり、「政教分離の原則を明らかにするために宗教団体が政治的権威の機能を営んではならない」とする説もある[27]。
この説には、世界の政教分離の態様は様々であり、例えばドイツには現に教会に租税徴収権が認められていることを留意すべきという反論[28]、「政治的権威の機能」の意味が明確を欠き、疑問が残るという批判がある[26]。
また、「政治上の権力」を「積極的な政治活動によって政治に強い影響を与えること」ととらえ、その理由として「宗教団体の政治活動は他の政治団体と容易に妥協しない性格を持つから民主政治にそぐわない(趣意)」をあげる説もある[29]。この説に対しては、宗教団体の政治活動の自由を制限したり禁止したりするのは宗教を理由に差別することになる、という反論がなされている[22][26]。
宗教団体・宗教団体構成員の政治活動・政党結成を制限することができない理由は、制限すれば、以下の複数の規定に違反するからである。
1.信条による差別全般を禁止した憲法14条1項
2.公務員の選定を「国民固有の権利」(=全ての国民に保障された権利)とした憲法15条1項
3.思想・良心の自由を保障した憲法19条
4.結社・言論の自由を保障した憲法21条1項
5.国政選挙における信条による差別を禁止した憲法44条
6.地方選挙権を「住民」に保障した憲法93条2項
憲法20条1項を厳しく解釈した結果それ以外の複数の条項に違反するのは明らかに不合理なので、宗教団体・宗教団体構成員の政治活動・政党結成を認めざるをえない、というのが通説的見解の根拠である。
《後略》
URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%95%99%E5%88%86%E9%9B%A2%E5%8E%9F%E5%89%87
この記事へのコメント
カルト宗教
衛藤せいいちは●日本人【以外】が中心点で口出し可能の地方組織社会福祉起業家により、韓国手本シェルター支援名目の【緊急】措置口実、でっち上げ一時預かり画策、領収書さえ無用ジェンダーフリー市民自治、村山政権河野談話擁立に直接働きかけた、八木中国スパイ密通つくる会にも介在!
日比野
>全ての個人の価値観が・・・共通の価値観を有するグループがまとまって政治の勢力を構成することで、グループ間の妥協で取引が成立し政治の推進が出来るのでしょう。
これは、そのとおりかと思います。このくだりで、藤子F不二夫のSF短編「征地球論」を思い出しました。
日本の価値観については、以前「日本的価値観の構造」で触れたことがあるのですが、
http://kotobukibune.at.webry.info/200803/article_37.html
日本の価値観は、日本神道というWINDOWSに色んな外来の価値観をソフトとして、起動して、並存させるという、多神教的価値観だと解釈しています。よって「我のみ正し」というのが基本的に合わないのですね。これは宗教でも同じで、取り入れはしますが、強要はしない。ただ全く相互不干渉というわけではなく、本地垂迹説のように相互理解をする試みはなされたりはしていますから、価値観の調整というか、共有は全く不可能ではないと思いますが、時間がかかるでしょうね。いずれにせよ寛容さは不可欠であるの間違いないと思います。
mor*y*ma_*atu