政治と宗教について考えてみたい。全7回のシリーズでエントリーする。
宗教の定義について、WEB辞書で引くと次のようになっている。
・しゅうきょう1 [宗教]
神仏を信仰し,幸福を求めようとする教え. (派)(~)的「三省堂 Web Dictionary http://www.sanseido.net/User/Dic/Index.aspx」
・しゅうきょう ―けう 1 【宗教】
(1)神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また、神仏の教え。
(2)〔religion〕経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在に対し、積極的な意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の体系。アニミズム・トーテミズム・シャーマニズムから、ユダヤ教・バラモン教・神道などの民族宗教、さらにキリスト教・仏教・イスラム教などの世界宗教にいたる種々の形態がある。「Goo辞書 http://dictionary.goo.ne.jp/jn/」
要は、目に見えず、理解の外にある存在、いわゆる、神様的存在に価値を見出し、信じることで安らぎを得、幸福を求める体系のこと、となっている。
これは、非常にこの世的というか、無神論的立場でみた定義にも見えなくはないのだけれど、今回はこの定義から話を進めてみたい。
宗教というと、よくカルトであるとか、自分は信じてないから、とかいう人も多いけれど、おそらくは、その人の宗教に対する感覚は、
「宗教をやっている人は、神様だの、仏様だの、目に見えないものを信じることで、心のやすらぎを「勝手に」得て満足しているだけだ。そうした人が入信するのが「宗教」なのだ。」
というものではないかと思う。あんなのは、心の弱い人がすがるものなのだ、と。
ところが、敬虔な宗教信者にしてみれば、
「本物の信仰によって、真に心が解放され、魂は救済されるのです。貴方達は、思い通りに勝手に生きているように思っているかもしれませんが、その信仰なき生は、地獄の門の前に立っているということを知らなければなりません。」
という具合に見えているのではないかと思う。つまり、救われるべきは、信仰なき貴方達の方なのだ、と。
この時点で、既に双方の認識が随分と異なっている。
したがって、政治と宗教を考えるにあたって、日本に限ってみれば、宗教を信仰する人とそうでない人の間には、こうした深い認識のギャップがあると予想される所から出発しなきゃいけない。
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