「全員野球には反対だ。あしき体質を引きずった人をベンチに入れるべきではない。そういう人はスタンドで見ていればいい。」河野太郎 於:6/19 日本記者クラブ「候補者討論会」
自民党総裁選に立候補している、河野太郎氏の発言が少し話題になっている。世代交代を訴えるあまり、党の重鎮を厳しく批判して、引退勧告まで仄めかしているのがその理由だという。
自民党は、色々な考えの議員が集まっているせいか、党内での足の引っ張り合いが激しいとも言われている。最近では、麻生前総理に対する、所謂「麻生降ろし」が取り沙汰されていた。
筆者も、一致団結でやらなければいけないときに、何を足の引っ張り合いをしているのか、と思っていたけれど、やはり、民主主義を標榜するのであれば、たとえ足の引っ張り合いに見えたとしても、そうでないよりはずっと良いのだ、と思うようになった。
勿論、誹謗中傷や人格攻撃、つまらぬ揚げ足取りなどは論外だけれど、異論は異論としてあって良く、また、それを自由にぶつけ合って、堂々と議論をすべきなのだ、と。
それとは反対に、自分と違う意見のものを問答無用で封殺するようなやり方は、権力を持っているものだけが全て正しいという全体主義に繋がる危険を秘めている。
なぜ、こんなことをいうかといえば、今回の選挙において、民主党のマニフェストに対して、意見を述べた民主党所属の都議会議員を除名する云々の動きがあったから。
東京都議会の土屋議員は、然る民主党のマニフェストに、党の重要政策としている筈の、夫婦別姓などが掲載されていないことなどを、氏のブログや、WILL10月号への寄稿にて指摘した。
その寄稿を民主党の首脳部は問題視して、「倫理委員会」なるもので審議するようだ。中には「土屋を除名しろ」なんて声まで上がっているという。
土屋氏は、「マニフェストには「正直に」政策を書くべきだと言ったまでだ。・・・重要政策が、それも党内で議論のある政策が、一行もマニフェストに書かれていないことに「意義あり」と言うのは党員として当然の責務だ。」と、一歩も引かない構え。
こんなことで「除名」云々というのが本当なのであれば、自民党総裁選候補の河野太郎氏のように、執行部に対して、「悪しき体質を引きずった人はベンチに入るべきではない。」なんて言おうものなら、ただではすまない筈。
それにしても、土屋議員の意見は、ただ「政策は正直に書くべき。」といっただけのことであって、異論ですらない。それなのに、これだけの理由で除名とは極端に過ぎる。党議拘束なんかの比じゃない。
これが民主党全体の体質だとは思わないけれど、政権与党についたのだから、批判されるのは当たり前だと受け止めて、粛々と政治を行なっていただきたい。


自民党総裁選(28日投開票)に立候補した河野太郎前法務副大臣(46)が19日、日本記者クラブでの候補者討論会で、「全員野球には反対だ。あしき体質を引きずった人をベンチに入れるべきではない。そういう人はスタンドで見ていればいい」と、過激な調子で世代交代を訴えた。党の再生ができなければ「何らかの行動を起こすかも」と、離党の可能性に言及。総裁選は、党再建どころか、泥仕合の様相を見せ始めた。
森喜朗元首相に近い西村康稔前外務政務官(46)の立候補は「河野つぶし」が目的といわれる中、河野氏は対抗心丸出し。スタンドに追放する具体名を問われ、「森さんや青木(幹雄・参院議員)さんをはじめ、衆院選の小選挙区で敗れ比例で復活した派閥の領袖」と、あらためて引退勧告した。
また、「党は日本を上回る少子高齢化。比例の議席を次の選挙前、若い人に譲ってほしい」「森さんのクモの巣に絡め取られている人に、派閥を出ようと言っても難しい」と言いたい放題。「私が森派や町村派にいたら、外務政務官や副大臣になれただろうが、やらせてもらえなかった」と、西村氏を皮肉る場面もあった。
西村氏は「私は1人で推薦人を集めた。中堅若手の分断といわれるのは大変不名誉」と反論したが、推薦人集めで、重鎮の“圧力”を受けたという河野氏に感想を問われると、「私を思う親心だと思う」と、ポロリ。谷垣禎一元財務相(64)に議員票(199)で先行される河野氏は、地方票(300)に重点を置いているが、西村氏に決選投票での2、3位連合をこの日の討論の場で持ちかけるなど奇策も目立ち、混乱の火種になっている。
[2009年9月20日9時21分 紙面から]
URL:http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20090920-545950.html

民主党所属の都議会議員が同党の衆院選マニフェスト(政権公約)を「(耐震)偽装マンションのパンフレット」と批判する論文を発表することが24日、分かった。都議会民主党の土屋敬之副団長が26日発売の月刊誌「WiLL」10月号に寄稿したもので、衆院選投開票を目前に身内の反乱が起きた格好だ。
民主党は7月に発表した政策集に、永住外国人への地方参政権付与の方針の維持、選択的夫婦別姓の導入、慰安婦問題への取り組み-などを盛り込んだ。だが、その後に発表したマニフェストにはこれらの政策を盛り込まなかった。
土屋氏は「国民の目を欺こうとしている。国論を二分する政策を載せれば、有権者の支持が得られないと考えたからだ」とし、マニフェストを耐震偽装マンションのパンフレットになぞらえた。その上で「マニフェストを読んで民主党に投票しても、思いもよらなかったような政策が実行される」と指摘している。
URL:http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090824/elc0908241925004-n1.htm

市井の人間でもそうだが、偏狭な人間ほど、異なる意見を排除したがる。
私は、自民党秘書時代が長かったが、かつての自民党は、部会での議論は非常に活発であった。党是に改憲をかかげていたが、護憲派も多数いた。その議論の中で、激高した大石代議士は灰皿を投げつけて議論をした。だからと言って「除名」などと言われた議員はいない。
私が驚いたのは、都議会議員になって、例の「所沢高校事件」について、産経新聞に小論を書いた折、党の政調から「議員が論文を書く場合、事前に政調会の同意が必要だ」との論があったことだ。とんでもない思い上がりで、旧社会党的発想だ。早速、誰が言ったのかと電話を書けたが、言った本人が名乗り出ない。だらしのない連中だが、そんな体質をこの党はひきづっている。
その後、雑誌などに積極的に論文を発表するようになって、そうした干渉はなくなった。多少、改善されたと言うことだ。
今回の、マニフェストの件でも、どう考えても「本心を書かない」「世間受けしない政策を書かない」ことは、選挙民に嘘の政策を言っていることになる。
言えないような政策なら止めればいいし、それが正しいと思うのなら堂々と主張すべきだ。
私の論に何の間違いはない。政権を取れば、マニフェストと同時に、党の政策も遂行されるのだから、選挙民に正直でなくてはならない。
目的が手段を正当化している。
政権交代なら、どうかしている社民党とも手を組み、何が何でも多数を取ろうとする。それが、「国益」にプラスになるかどうかの議論がない。
都議会も紛糾しているが、仮に共産党と組むことがあったとするなら、それは重大な問題だ。民主党と、共産党の意見表明は天と地との差がある。その政党が議長選挙などで連携するなどありえないことだ。
先に書いたが、ネットなどの容共的政党も含めて、数だけは確保するやり方は、党の体質が次第に左傾化することに通じる。
国民の期待は、第二社会党ではない。これは明白だ。
「老後心配ですね」と言いながら、本心は家庭崩壊、国家否定の思想を持っている。そんな政党にしていい訳はない。
夫婦別姓、ジェンダーなど、その実態を国民に説明して見たらいい。大方が反対だ。靖国に変わる国立追悼施設も同じ。何の盛り上がりもない。
それを知っているから、マニフェストから欠落させたのではないか。
その議論をしたところが、「党幹部の間で問題になった」と聞いている。私は公約は正直に書くことにしている。更に演説も正直にすることにしている。当然反発もあるが、支持も硬くなる。いいことづくめ、誰も反対しないような演説や公約などあり得ないし、正直に話すことは議員の最低の義務だと思っている。
皆さんはどう思うだろうか。
きれいごとの羅列で、ふたを開けたら違うでは、何とか商法と同じだ。
選挙は、この政党はこう言う考えを持っていると正直に話し、それに同調したものが納得の上、投票することが肝心だ。
その当然のことを言ったまでで、「それが問題になる」とは驚きだ。
我が党が、夫婦別姓などの政策を掲げていることがバレルことが問題なのかと疑いたくなる。
当然、私は、夫婦別姓、ジェンダーフリーなどには反対の立場にいるし、都議会でもその論を展開して来た。ミニ集会や大集会でもパネルを使って解説するが、皆「驚天動地」
『平凡な人間の最も簡単になせる業は、嘘の行動を支持しないこと、嘘の行動に参加しないこと』だとソルジェニーツインは言っている。
政治だから、テクニックは必要だとは思うが、党の基本政策くらい、堂々とマニフェストに載せるべきではないか。それが正しいと本心から思っているとするのならの話だが。
大体、マニフェストなど、外国では書店で買って読むもので、配布するものではない。実際、内容をまともに読んでいる人はごく少数だ。
それを「マニフェスト選挙」などと言うから、知り合いの外国人は笑っている。
選挙はゲームでもないし、夏のバーゲンセールでもない。当然でしょう。
第一、議員の言論は議会だけでなく、マスコミその他で最大限尊重すべきだ。私は民主党を良くしようと論を主張している。それが、意に沿わないからと異をとなえることは、議会制民主主義における議員の活動を制限することになり、国会議員主導の党を形成することになる。時代への逆行だ。
国民の皆さんはどうお考えでしょうか。
正直に政策を主張して選挙を戦うこと、当然でしょう。
No.421
URL:http://www2u.biglobe.ne.jp/~t-tutiya/cgi-bin/sf2_diary/sf2_diary/
この記事へのコメント
GT.
今回は民主党の土屋都議の問題ですが、民主党に限らず
「議論をする」「し尽くして決を採る」「結果に従い全力で推進する」
というのが民主主義の大原則でしょう。
こういう仮定を経ない仕組みは排除すべきだと思います。
「あしき体質を引きずった人をベンチに入れるべきではない。」
といいたい気持ちはわからないでもないですが、
それは言い方が違うだけで同じことをやろうとしていることに
気がつかないんだろうか。
「みんなでやろうよ」というのも
わざとらしくて「なんだかなあ」という気もしますがね。
ただ、自民党には一つにまとまって欲しい。
それが外交でも景気対策でも国防でもいいですし。
以上。
日比野
河野氏の発言に関してですけれど、多少ひねた見方かもしれませんが、私は半分芝居ではないのかな、と見ています。つまり、自民党はこれだけ自由闊達な議論ができるのだ、とアピールする為に、多少、どぎつい表現を使ってでも「半分」芝居を打っているのではないか、ということですね。もちろん民主党との違いを浮き立たせるためなんですけどね。
そのくせ、ベンチ入りするな、なんて言い方は、民主党の除名と同じ類のものではないのか、というのは仰るとおりです。減点としていいかと思います。
ただ、民主党は党代表選挙では対抗馬に圧力を掛けて出馬させなかったり、党員サポーターに投票させなかったりしてましたから、発言に対する基本的姿勢に大きな違いがあるということは言えるのではないかと思っています。
というのも、9/10のエントリーのコメ欄にpaka様からのコメントがあり、そこで紹介されているURL先を読んだからなんですね。あれを読むと、自民党は発言の自由をとても大切にしていることが分かります。
最後に、執行部の態度も少し違うように思いますね。党執行部でもない土屋議員の発言に対して、党執行部が