思う力は時空を捻じ曲げる(認識力について考える その3)

 
何かの事象があり、それに対する様々な見方があったとき、それを弁証法によって統一するためには、それぞれの見方について三次元的な座標位置を確定しておく必要がある。

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そのとき、その個々の見方の座標位置をどうやって認識するのだろうか。それとも自らの座標位置を知ることは不可能なのだろうか。

昨日のエントリーで取り上げた、仏教の例では、Z軸として時間軸を設定したわけだけれど、現実の人間は時間を遡ることは不可能だから、お釈迦様に、実際のところはどうだったのかと伺うことはできない。

だけど、人間には考える力というものが存在する。この考える力、思う力というものは、実は時間も空間も捻じ曲げて飛び越える力を持っている。

最先端の科学の世界では、仮説モデルというものが良く使われる。

まず、宇宙の構造や素粒子の世界を解き明かすために、仮にこうではないか、という仮想モデルを作ってみる。

次に、その仮想モデルに対して、実際もその通りであったら、こういう結果が観測される筈だ、という想定をして、それを観測することで、仮想モデルは真実に極めて近いのだ、という手法を良く用いている。

これを不明推測法といって、チャールズ・サンダース・ピアスという人が提唱した思考方法。

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この不明推測法は、まず仮想モデルを頭の中で創造して作り上げてしまうことから始まるら、まさに考える力、思う力を駆使している。仮想モデルを立てたあとは、観測や実験を行なうけれど、その中でいくつかのモデルは成立しないことが立証されて消え去ってゆく。

そして、最後にひとつのモデルが残り、そのモデルが最も真実に近いと認定されることになる。中にはその証明まで何年も何十年も要することさえある。だけど、それらは、そうであると思い続けた人がいてこそ始めて成し遂げられたことでもあることは大事。

ある仮想モデルを思いつき、そうである、と思った人にとっては、そのモデルが真実であった場合には、その瞬間にモデルの証明に要する時間を飛び越えて、現実の事実として「思い」の中でそれを手にしている。

それは、ただの思い込みにしか過ぎないという声もあるだろうけれど、科学などの発達はその思い込みを前提にして、あのモデルが成り立つならば、これが成り立つといった、仮定を出発点にして組み上げられた理論を土台にしているものも多い。これなども、未来社会を現在に持ってくる、という時間を捻じ曲げた例だといえる。

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