情報管理についての雑考

 
今日は、日比野庵メルマガの2009.09.01配信記事を御紹介いたします。

画像


今の時代は、確かに情報に溢れています。しかも爆発的に増大する一方です。しかしながら、その情報そのもののの精査、ということになると、私には、まだまだ不十分といいますか、あまり意識されていないように思うのです。

「情報」を辞書で引くと、次のように定義されています。

・じょうほう [情報]
(1) 状況や事情の知らせ.
(2) 判断や行動のための知識.インフォメーション.

情報には、現実の事象を知らせる「報」の部分とそれに対して、何がしかの価値判断を行なう「情」の部分とで構成されています。

前者が辞書で定義されているところの(1)状況や事情の知らせ、に該当しますし、後者は(2) 判断や行動のための知識に対応します。

これは、まったく同じ事実である「報」があったとしても、それをどう位置づけるかという「情」によって、全く正反対の結論が導き出せるということを意味しています。

作家の三橋貴明氏が、よく指摘されていることですが、日本のメディアは、いかなる経済指標が出ても、常に「日本は破滅する」というの記事を書く場合が多いのです。

たとえば、円高になれば「輸出企業壊滅で、日本は破滅する。」といい、円安になれば「円安からドル建てGDPが減少して、日本は破滅する」という具合にです。

画像


これなどは、「報」の段階では、それぞれ「円高」と「円安」という正反対の事実を提示していながら、その価値判断であるところの「情」は、常に「破滅」であるわけです。

実際には、円高にも、円安にも、良い面、悪い面共にあるのですが、都合の悪い部分には触れないのですね。メディアは。

公平を期するのであれば、できる限り多角的に分析を行い、それを記事にすべきなのですが、もしも、それを十分理解していながら、そうしないのであれば、それは、メディアの怠慢か自分の主張を言いたいだけだということになります。

もちろん「情」の判断は個々の記者や新聞社の判断もあるでしょうから、とやかく言える類のものではないかもしれません。しかしながら、そうであるならば、せめて「情」と「報」で字体を変えるとか、色を変えるとかして、「情」と「報」の区別をひとめで分かるようにしていただきたいものです。

逆にいえば、読む側としては、記事の中で、どこまでが「報」でどこからが「情」なのかをしっかりチェックしながら読んでゆくようなリテラシーが求められるということにもなります。

ある評論家の方からお聞きしたことがあるのですが、その方は新聞・雑誌から情報収集する時は、図表や統計のみを切り抜いて、記事の部分は全部捨てるんだそうです。

これなども徹底した「情」と「報」の区別と、その管理方法のひとつだといえるでしょう。


☆参考URL
メディアのダブルスタンダード 経済編(08年12月22日 改訂)三橋貴明氏
URL:http://members3.jcom.home.ne.jp/takaaki.mitsuhashi/data_12.html#DSE0808


画像

画像 ←人気ブログランキングへ

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック