共感力がスタンド・アローン・コンプレックスを生む(S.A.C.について考える その10)

 
昨今、ネットでの呼びかけに端を発したちょっとした運動、所謂「祭り」が度々行われるようになってきたけれど、あれだって、一種のスタンド・アローン・コンプレックスだと言っていい。

画像


祭りは、その為の参入障壁が低ければ低いほど起こり易い。参加する人の時間と空間をなるべく制約しなければしないほど、祭りの参加者は増えてゆく。

何時でも、何処でも、誰でも参加できて、お金も掛からず、どこからも不利益を被ることのないものが一番都合がいい。

だから、麻生さんにクリスマスカードを送ろう祭りとか、故中川氏に供花を贈ろう祭りなどは、葉書を書いて送ったり、お花を送る申し込みをするだけだから、リスクも少なく抵抗感があまりない。

その一方で、街頭アンケートとか、テレビインタビューなんかになると、抵抗があって、敬遠する人も少なくない。

その意味では、昨年の長野聖火リレー事件で起こった、フリーチベットを呼びかけるデモへの参加などは、物凄く参入障壁が高かった。なにせ時間と金を掛けて長野までいかなければならなかったのだけれど、あれほどの人が手弁当で駆けつけた。これは物凄いこと。

街頭アンケートは敬遠するのに、長野聖火リレーには、多くの人が集まった。これをどう考えるべきなのか。

画像


スタンド・アローン・コンプレックスが起こるためには、一定の条件がある。それは、その考えや提案に、ある程度以上の「共感力」がなくちゃいけないということ。

いくら良き考えがネット上で拡散したところで、その考えに多くの人が賛同し、やろうとまで思わせることがなければ、行動には至らない。誰かが、ネットでこれをやろうよ、と呼びかけたところで、誰も賛同しなかったら、何も起こらない。

その考えになんらかの感化力なり影響力がないと効果はない。ここにスタンド・アローン・コンプレックスの核心が隠されている。

つまり、祭りの提案の奥には、なんらかの目的、志というものがあって、それを多くの人が了としたとき、スタンド・アローン・コンプレックスとして結実してゆく。

だから、その志の大きさや純粋性などの要素が、物凄く大きな意味を持つことになる。何故かというと、基本的にネットを中心とした思想レイヤーで繋がる縁には、利害関係が発生しにくいから。

思想レイヤーはその他のレイヤーに比べて、より抽象的で、ハードというよりは、ソフト側に特化している。

家族レイヤーには肉親の情が働き、知人レイヤーには、友情や義理が纏わりついている。そして、経済レイヤーは契約で縛られている。

それに対して、思想レイヤーは、思想信条で繋がる縁だから、気に入らなければ、ハイサヨナラできる。利害関係が薄いから抵抗も少ない。逆に言えば、そうしたソフト的なレイヤーであるからこそ、他者の考えに共鳴できたときには、そのつながりは強固なものになる。

そこで問題になるのは、その「志」が如何なる性質のものであるのか、という点。

画像

画像 ←人気ブログランキングへ

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック