下位レイヤーに伝達する方法(S.A.C.について考える その7)
日本で生活する限り、望みさえすれば、どの縁起レイヤーにも自由に行き来できるといったけれど、逆に言えば、望むことがなければ、どの層にもアクセスしないことだってできる。
もう少し正確に言えば、自分の好む情報にのみアクセスして、それ以外の情報は受信しない、という選択だって可能。
これは、人の自由意思に関わる問題でもあって、強制できる類のものではないのだけれど、そのハードルを低くする手段は無いわけじゃない。それは、大きく分けて二つある。
ひとつは、興味関心以外の情報にアクセスする手間を極力なくしてゆく方法。もうひとつは本人の意思に関わりなく、外から勝手にその情報がやってくるという方法。
前者は、テレビに代表されるのように、スイッチを入れるだけで、簡単にニュース情報が勝手に流れくる場合が相当するし、後者は、たとえば政治団体や各種団体が自宅に電話を掛けてきたり、個別訪問したりして、向こうから情報を持ってくる場合なんかがそれにあたる。
自分が何かの団体に属していたり、企業経営者のように、守るべき組織を持っていたりする人は、その団体や企業の利益のために政治に関心を持って、そのための活動をするのも当たり前になるのだけれど、政治に興味がない、または、興味を持たなくても普通に暮らしていける人は、自分の生活だけを考える限り、それほど積極的に政治に興味を持つ理由がない。
特に、国が経済発展して国民が豊かになってくると、政治に関心を持たなくても生きていける余地が広がるから、ますます政治への興味関心が無くなってしまう。ましてや戦後60年、戦争に巻き込まれることもなく、国民生活が向上して経済大国となった日本なら、尚のことそうなってゆく。
平和な時代が長く続いた影の側面として、国民意識の中で、今の生活が当たり前になってしまってる。
だけど、民主選挙においては、特に政治に対して興味を持っていない人でも一票を持っている。それらの人たちが、有権者全体に対して極少数であれば、無視してしまっても、差し支えないかもしれないけれど、今の日本においては、そういう人はかなりの数を占めるようになった。
今や日本の無党派層は有権者の半数を超えるとも言われているし、投票率も上がらない。
1890年に日本で始めて、総選挙が行われたときの投票率は94%近くもあったし、1925年に普通選挙法が施行された後も、戦後までは大体80%以上の投票率はあった。
ところが、1996年の小選挙区制導入後は投票率が70%を超えたことは一度もない。
それだけ国民の政治意識が低くなったとも言えるし、意識しなくても国民生活が成り立つくらいまでに政治が成功したのだと言えなくもない。
だけど、特に小選挙区制が導入されてからは、政治家は選挙において自身の支持母体を固めるのは当然のこととして、さらに無党派層をどこまで取り込めるかが大きな鍵を握るようになった。ただ一人しか当選しない小選挙区制では、ほんの一票の差が当落に直結するから。
しかもその一票は、真剣に考えた一票であっても、単なるムードだけで決めた一票であっても、同じ一票として扱われる。
だから、選挙になったら、普段、上位レイヤーに住んでいない人にどれだけアプローチして、自分に投票してくれるかが大きなウェートを占めるようになってくる。
畢竟、メディア、特にテレビを使った報道が物凄く影響を与えるし、個別訪問や辻立ちといった、所謂ドブ板選挙がいまだに有効である理由はここにある。
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この記事へのコメント
オーパ
やっぱり、ここに今の政治をゆがめている原因があるように思いますね。
政治家が貢献したことは報道しないで、ネガティブなことは大々的に報道する姿勢。
ここが改まらないと日本がましな方向にはなかなか向かないように感じます。