人間は互いに、同じ国、同じ社会の中で生きているように見えて、その実、縁の繋がりという観点でみると、全く違った世界の中で生きている。
そうした異なった縁起レイヤーをメインの活動レイヤーとして生きている人が、政治に対して、投票をしようとすると、まずは、自分が生きている世界を基準に考えるだろう。
つまり、自らのメインの活動レイヤーを強化し、手当てしてくれる政策を望むだろうということ。
たとえば、家族レイヤーで殆ど全ての生活が成り立つような人にとっては、子供手当はとても有難いものだろうし、知人(地域共同体)レイヤーが中心の人は、公共事業とか補助金とか、地方の声をちゃんと聞いてほしいとなる。
また経済レイヤーの人は、税金を安くして、企業が活性化する政策を望むし、思想レイヤーの人は、自らの信条や、国家観、世界情勢などを睨んだ上での選択をする。
そのとき問題になるのは、各レイヤーごとに、それぞれどれくらいの割合で国民が存在しているか、ということ。
ひとり一票を与えられる民主国家であれば、どのレイヤーが一番活性化しているかがその国の政策に大きく影響を及ぼすことになる。当然、一番人数の多いレイヤーを重視した政策が選ばれやすくなる。
上位レイヤーと下位レイヤーを比較した場合、下位レイヤーの方が、より個人の生活に密着し、身近なレイヤーだから、このレイヤーに大きく影響が及ぶ政策となると、国民は鋭く反応する。それは自己の生活防衛のため。
消費税や所得税、そして年金なんかは、下位レイヤーに影響を与えるから、こういった点での失政はあっという間に国民の信頼を失ってしまう。
逆に、法人税や、マクロの経済政策となると、今一つ感度は鈍くなるし、更には、外交・安保といった上位レイヤーに関わる政策となると、更に関心が薄くなってしまう。
外交が票にならないと言われるのは、こうした理由による。上位レイヤーを中心にして生きている人が少なければ少ないほど、この傾向はもっと顕著になる。
北朝鮮による拉致とか、核開発やテポドンとかで、世論が外交問題で沸騰するときもあるけれど、それは、もしかしたら自分も拉致されるんじゃないかとか、頭の上にミサイルが降ってくるかもしれない、といった身近な脅威を感じるためであって、それは下位レイヤーレベルでの反応だったりするが故。
だから、下位レイヤーに影響がある、と感じられにくいものとなると、反応は鈍くなる。たとえば、中東情勢が緊迫したり、ソマリアの海賊対策やインド洋での給油活動が行われなくなったりしたら、日本に石油が入って来なくなる危険があるなんてピンと来ない。
また、沖縄の人には悪く聞こえるかも知れないけれど、普天間基地の問題だって、本土の人にとってはどこか他所の話としてしか感じていないのではないか。
「生活第一」という言葉には、個人の「メイン活動レイヤーにとっての生活が第一」という前提がある。
だから、政治家は、票を得るためには、なるべく地元に入って、直接有権者の声を聞く必要があるし、逆に地元からは、自分達の声をちゃんと聞いてもらえる人だ、と思って貰う必要がある。
そしてその上で上位レイヤーでの出来事が、今の生活に如何に関わっているかを丁寧に説明して納得して貰わなくちゃいけない。なかなか大変。

この記事へのコメント
mor*y*ma_*atu
日比野
コメント返しもままならず、申し訳ありません。
>つまり民主主義を忠実に実現すれば、下部レイヤーにフォーカスするので愚民が増える結果になるのですね。
仰るとおりです。今回のエントリーを通して、私自身もこのことに改めて気付かされました。
愚民の上に如き政府あり、とは良くいったもので、ほおっておくとそうなってしまいます。やはり国民が、サッカーのサポーターくらい、政治家のプレーひとつひとつに注文をつけるくらいにならないと中々レベルアップは難しいのかもしれません。
オーパ
やっぱり、幸福実現党の目指す、徳治主義的民主主義ですね。
これができないと、やっぱり愚民主義政治になっちゃいますね。