われわれ自民党は、自助・共助・公助による絆社会を打ち立てたいと考えております。あくまでもまず個人の自由と努力が基本として尊重されるべきであります。
…これに対し、鳩山政権の政策は、各家庭にまんべんなく巨額の支給をするなど、いきなり公助ありきの社会をつくろうとしております。
それでは、一時的な人気取りではあっても、個々人の努力や創意工夫に応えることにはなりません。自助努力を阻害し、日本が厳しい国際競争の中で勝ち抜いていく底力も削ぎ落としてしまいます。
いのちを守り、国民生活を第一とした政治の論旨ポイントは下記3点。
B-1) 友愛政治の原点は少数意見を尊重しなければならない。支え合いという日本の伝統を現在に沿った形で立て直す。
B-2) 年金は、新たな年金制度の創設する。後期高齢者医療制度は廃止し、医療費や介護費を抑制してきた方針を転換する。
B-3) 子育てや教育は、社会全体が助け合い負担するという発想が必要。子ども手当、高校の実質無償化、奨学金の大幅な拡充、及び、障害者自立支援法を廃止して、男女共同参画を進める。
B-2)とB-3)に関していえば、医療・介護、高校の学費等を国が補助するという。それでいて、人を支え合う役割に国民も参加せよ、という。
これは、穿った見方をすれば、国が補助するけれども、全部はカバーできそうもない、または、いつまでも続けられそうもないから、残った分は、民間でなんとかよろしくお願い、と、丸投げしていると見えなくもない。
それ以前に、この部分にはもっと重要な観点が含まれている。
それは、この政策および友愛社会の推進は、ひとつの前提のもとに成り立っているということ。
それは、汗水垂らして真面目に働いていて、なおかつ、誰にも強制されなくても、自発的に「友愛」精神を発揮してくれるという、これ以上ない「理想的」で、健全な国民が、多数いるという前提。
これらの方針は、その理想的な国民に甘え切ったものになっている。
鳩山首相のいう友愛社会は、真っ当に働いて、真っ当な稼ぎを得ている人々から、税金として金を徴収し、今現在はそうでない人に、様々な手当や補助金という形で施すという社会。
しかも、それらの真っ当に働いている人々は、政府が何もしなくても勝手に困った人たちを助けて、支えてくれる、という、実に都合の良い人格者になっていて、かつ、その人達に頼っている。
勿論、日本には、他人に優しく、助け合い精神に満ちた人は大勢いる。だけど、所謂弱者と呼ばれる人々を支えるためには、少なくとも、まず自分で自分を助けられる、自助自立している人が支える側にいなくちゃならない。
自分で自分の面倒も見れない人が、他人の面倒をみるのは難しい。だから、まずは自助独立が前提になくちゃいけない。
人は生まれた時は、みんな赤ちゃんであって、自助どころか、歩くことも立つこともできず、世話を一方的に受ける側。それが大人になるにつれて、だんだんと、自分で自分の面倒を見れるようになってゆくのだけれど、その為には、そうなるように育てられるなり、教育されなければそうならない。
だから、もし政府がこの政策を推進するのであれば、その為の教育と、自助の精神を推進するようなものでなくちゃいけない。でないと、他人の面倒をも見れる人は輩出できない。
仮に、自助自立して、他人の面倒を見れる人が10人いたとしても、面倒を見てくれ、とおねだりする側が1000人いたとしたら、支えようとする側の10人が、いくら孤軍奮闘したとしても1000人全部を等しく面倒見ることは極めて難しい。
しかもそんな状況が長く続けば、折角のその10人も疲弊して、やがて他人の面倒どころか自分すら支えられなくなって、倒れてしまうかもしれない。
障害者自立支援法だって、その運用はいざ知らず、その立法の趣旨は「障害者及び障害児がその有する能力及び適性に応じ、自立した日常生活又は社会生活を営むことができる」ようにすることを目的としていた。
個人の自助・自立を支援するものだった。それを民主党は廃案にするという。
したがって、友愛な社会を成立せしめるには、まず自助自立した、支えてあげられる側の人間を増やし、教育し、自助する人を応援し、それに報いることのできる社会でなければ成り立たない。

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