官僚悪玉論だけで政策を進める危険性(鳩山首相の所信表明演説を解析する その2)


「…その無口さ、そういうものが、ある種の段々においになって、カリスマが段々出て、風格が出て、人がそれについてくる。歴代の総理大臣はそういうものでした。

久方ぶりに本格的な総理、そういうものがここで生まれるのかな。貴方をじぃっと見てましたけど、それが今少し潰えてます。少し心の中で退けてます。

それは何かって言うと、あんた達に言われたくないよ。総理の云うセリフじゃ僕は無いと思います。言うなれば、巨大な自民党に立ち向かっている野党の党首みたいな感じで、野党ボケじゃないでしょうか、まだ。我々も与党ボケしてます。しかし総理の場にいる人が、野党ボケでは困ります。

貴方は今、一億二千万人の指導者です。生命・財産全ての責任を負うんです。あちらで風邪、蔓延すれば貴方の責任。なんだって貴方の責任なんです。そういうときにやはり国会の同僚にもですね、自分達の仲間だと、いう気持ちでの答弁が無ければいけないと思います。

で、説教する積りじゃありません。あの…貴方に云われたくない、そううちの谷垣総裁に答弁したあの答弁は、スタッフが考えたものですか?貴方ご自身の言葉ですか?」

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 はじめに、の部分について、ここの論理のポイントは下記5点

A-1) 政権交代は国民が望んだものだ。国民の政治不信は政治家の責任だ。
A-2) 政策決定は内閣に一元化し、行政刷新会議であらゆる事業・規制を見直す。
A-3) 既存利権を一掃し、地域主権へと変える。公務員の天下りも禁止する。
A-4) 国民からの政策提案を募り、国民参加によるオープンな政策決定を行う。
A-5) 国家戦略室で財政のあり方を見直し、複数年度を視野に入れたトップダウンの予算編成を行う。

まず、政権交代は国民が望んだものだ、と言い切るのは多少配慮に欠ける。望んでいない人だっていた。総選挙でも民主党に投票した人もいれば、そうでない人もいた。

だけど投票した人は日本国民であることには変わりない。鳩山首相の発言には、民主党を支持しなかった人たちへの配慮がない。まるで民主党を支持して、勝った側が正義で、負けた側は国民ではない、と言わんばかり。

そうした、自分の味方で無い側に立った者へ配慮しない発言に対して、注意を促すべきだと思っていたら、11月2日の衆議院予算委員会にて加藤紘一氏は、その点をズバリ指摘した。この日の加藤紘一氏の質問には、他にも重要な指摘があったのだけれど、それは、後日のエントリーで触れたい。

次に、政治不信は、与野党を問わず政治家にその責任がある、としている。ここまではいい。

だけど、その為になにをするかというと、戦後行政の大掃除と称して、政策決定権は内閣に一元化し、予算編成もトップダウンにする。そしてまた、既得権益を一掃して、地域主権型にするという。

更には、国民から政策提案を募って、国民参加の政策決定をする、としている。

ぱっと見よさそうに見えるのだけれど、一貫して見えてくるのは、今の日本をこうしたのは中央省庁であり、官僚である、という官僚悪玉論。

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ゆえに、中央省庁から権限を取り上げて、その権限を政治家と地方行政で山分けする、という風に聞こえる。この論理を極端にまで進めると、日本の政治に官僚は要らなくなってしまう。

流石に、民主党自身も、官僚が全く要らないとは思っていないだろうけれど、官僚を十把一絡げに悪いというのは、適切なのかどうかは疑問が残る。

勿論、中には怠けていて、働いていない官僚もいるかもしれない。だけど、昼夜問わず身を粉にして働いている官僚だって当然いる

でなければ、何十年もの間、ここまで行政が安定して機能し続ける訳がない。たとえば、国民皆健康保険制度が整ったのは1961年ことだけれど、今日まで50年近く、この制度が維持されている。

50年といえば、その業務の担当はおろか、職員そのものが2~3代替わりする程の年月。その期間ずっと、その制度を維持されているということは、システムがしっかりしていることはもとより、それを運用している側も、業務の引き継ぎや教育を含めて、きちんとしているということに他ならない。

そうしたことを一切考慮せずに、一方的に、官僚から権限を取り上げて、政治家が全部仕切る、そして地方行政の細かいところは地方に任せる。悪くいえば、丸投げする、というやり方が、良いのかどうかは議論のあるところ。

民主党政権のこうした急進的なやり方は、改革というよりも、「革命」に近いのではないかとさえ思わせる。

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