
巨大な才能を持った「天才」と、どんな状況であっても、間違いのない仕事をやってのける「プロ」。彼らをどう評価するべきなのか。
文化事業において、その目的は、大きく二つの軸がある。
ひとつは、その文化事業を通じて、その文化を広く普及し、その振興をはかるという軸。もうひとつは、文化事業そのものの市場を広げ、収益を上げる、ぶっちゃけていえば「儲ける」という軸。
前者に重きをおけば、天才は天才として大事にするけれど、その文化を支える足腰としてのプロの存在は必要不可欠になるから、プロの育成にも力を入れることになる。
だけど、後者を重視すると、最終的には、売れれば勝ちの世界に行きつく。つまり、売れる作品を生み出す人であれば、誰でもOK、売れる作品なら何でもOKになる。
だけど、前者と後者とでは、同じ文化事業の範疇にありながら、その主体は、決定的に異なる。
前者は、その文化事業を支え、推進する側の考えやモラルが、それをコントロールする。
たとえば、何がしかの文化には長い伝統が刻まれているのだ、それを大切にしなければいけないのだ、と思えば、伝統の型や作法を守り、本来の精神を残そうとする。茶道とか禅とか、古くからの伝統文化などには、比較的そうした傾向が強い。
それに対して、後者は「売れるものが正しい」世界だから、お客さんの欲しがるものが絶対。つまり客の好みや、意識が決定的に重要な役目を果たす。要は「御客様は神様です」の儲け至上主義。
勿論、前者の、文化の推進側が守り、かつ広げたいものが、そのまま後者的な儲けに繋がることが理想ではあるのだけれど、そうそういつもそうしたことが出来るとは限らない。
それは、作家が作りたいものと、お客が欲しがるものが、いつも一致するとは限らない事に起因する。ここに文化事業の難しさがある。
文化事業は、理想を追えば追うほど、それらの普及を考えれば考えるほど、その脆弱さが浮き彫りになる。
その文化事業を行う為の最低限の資金と、それを支えるプロやファン層の厚み、そして富を生み出す天才の存在が必要になるから。これらが渾然一体となって、文化事業は支えられている。
文化は、木の根っこの傍で昼寝でもしていれば、勝手に転がり込んでくるものじゃない。それが育つための環境と土壌がないといけない。
今や、日本の漫画やアニメが世界中で受け入れられているけれど、それらも長い年月の中で生み出された巨匠やプロ達、そしてそれらを支えていったファン層、そうしたものを日本がじっくりと育んできたからこそ。
そうした文化は、一代限りのものではなかなか作り上げられない。
一時期の流行、ブームは文化事業にはならない。ブームそのものを否定するわけではないけれど、ブームは、その場限りの小遣い稼ぎにはなるとしても、それだけのものであることが殆ど。
昔、流行って、今見かけなくなった、玩具やスポーツなんて掃いて捨てるほどある。
だから、文化事業は、ただ一人の「天才」だけでは作り上げることは出来なくて、その「天才」がいなくなれば終ってしまうようなものは、文化として世の中に定着しない。
文化の興隆は、「天才」がいてもいなくても、後に続く人が連綿と出続けることがなければ望めないもの。
世の中にある程度認知され、定着して、文化にまで成熟したものは、たとえその時代に「天才」がいなくても、文化そのものが消えることはない。
だけど、その文化に身を捧げるプロが居なくなったら、その文化は終焉の危機を迎える。
プロには、プロとして通用するだけの技術と経験は必要だけれど、それに加えて、プロであるという「気概」がなくては大成は望めないし、その文化に対する情熱がないと、後に続く人が出てこない。
だから、文化事業を大切に思うなら、文化に対する情熱や、その道に生きるというプロ意識を持つことが大事。
その為には、その道を仕事に選んだ人たちが「プロ」としての仕事を果たして、後に続く人たちの目標や憧れ、すなわち手本にならなくちゃいけない。
ゆえに、自らが憧れの存在に近づきたいと願う人は、たとえば、大きな「才能」と比類なき「気概」があったとして、どちらかを選ばなければならないのなら、迷わず「気概」を選ぶべきだと思う。
それこそが文化を育て、世の中を支える力となるから。
勝利の女神は、最後は「気概」に微笑む。

この記事へのコメント
mayo5
仏教伝来当時、仏教はロックンロールのような衝撃だったとかいう人もおります。歌舞伎にしても、アイドルみたいなものだったでしょう。
で、伝統に縛られたわけではなく、画期的なことをやってきたから生き延びてきたのだと思います。しかし、その画期的なことも、基礎の上に出来上がったものだと思うのです、日本の場合。
アメリカの場合、人と違うことを良しとする気質が、目新しい、見た目だけを変えたようなものに流れていき、熟成とは別の次元の流行を開花させます。
食事にしても、栄養素が足りなければ、一品工夫すれば良いのだけれど(作る人ごめんなさい)、サプリメントとかに頼るし。シリアル食品はエサとしか思えない。
日本の(過去の)文化は層が厚く、(長い目では)偽物をはじき出す力がありました。さて、今後はどうなるのでしょうか。・・潰されたものも数々あるのでしょうね、本当は。
蒔絵とかはパトロンがもっと居ないと廃れていきますね。