ごく売れているジャンプ系の作家で、連載の最後のころは鉛筆で書いたような作品が掲載されているものがありましたよね。あれって何で許すんですか?俺が編集者だったら切りますよ。漫画家・弘兼憲史
「ドラえもん」の生原稿。ペン入れの線を見ると、実に丁寧に描かれていることがよく分かる。
漫画誌に、絵が下描きのまま掲載される、なんて聞くと「そんな馬鹿な」、と思う人も多いだろうと思う。ところがいくつかの雑誌では、そうとしか思えない作品がいくつか報告されている。
最近話題になったのは、『コミックガム』で連載している『ファイト一発! 充電ちゃん!!』という作品で、コマのいたるところに下描きの絵がちりばめられている。その理由として、全ページのなかの描きやすいコマからペン入れをしていったためだろうとも言われている。
それらを見ると、まるで映画の絵コンテかなにかでも見ているようで、どうひいき目に見ても、「下書き」だとしか表現しようのないもの。
100歩譲って、表現効果の一種だとしても、それならそうと、殆どの人に分かるように描かなければ意味はない。コマのいたるところに下描きの絵をちりばめておいて「表現効果だ」と言われても、そのとおりだと賛同できる人がそれほどいるとも思えない。
これでは、大御所や、その他多数の真面目に原稿を書いている漫画家諸氏は心中穏やかではないだろう。中には自分達の仕事を穢されているように感じている人だっているかもしれない。
全盛期の手塚治虫が、『来るべき世界』を千ページ描いた後で、そのうち六百ページを削ってしまった、という有名な話を、原稿を下書きで出した彼らはどう思っているのだろうか。
『ファイト一発! 充電ちゃん!!』の完成原稿。フキダシが活字になっていても、肝心の画は絵コンテレベル。
だけど、こうした「下書き」な作品が世に出るということは、それを許した人達がいた、ということも同時に意味してる。
こうした下書き作品について取材された、件の編集部は、「先生の体調不良と編集部のスケジュール管理ミスで、あのようになってしまいました。しかし…よくあることですよ」とのたまったというから、編集部の段階から、プロであることを放棄している。
一体、何処の世界に、骨組みだけのマンションを完成品として売り出す不動産業者があるのか。
耐震強度偽装していたヒューザーだって、壁や内装は施して、見た目は最低限完成品にしてから売っていた。明らかに、未完成な作品を世に出すという神経は理解に苦しむ。正直オカシイという他ない。
だけど、仮に、それが超人気作家であったり、「下書き」作品であっても、爆発的に売れてしまうとしたら、どうするだろうか。もしも、そんな作品でも売れてしまう「天才」作家を抱える編集部があったとしたら、それをそのまま出版してしまうだろうか。
これは、とても重いテーマであって、究極のところ、「金」か「プロの矜持」のどちらを優先するか、という問題に帰着することになる。
つまり、人気があって、面白くて売れてさえいれば、完成度はどうでもよくて、何をしても許されるのか、という命題を提示しているということ。
一般的に、完成度と人気は正比例の関係にあるのは当然なのだけれど、始めのうちは完成度が高くて、人気が上がっていくにつれて、それに胡坐をかいて手を抜き出して、やがて人気もなくなっていくというケースも多い。ただ、ごくまれに手を抜いていても、話が面白くて人気があるという作品もないわけじゃない。
また、作家自身が、当初の段階から、この展開で終わらせよう考えて話を進めていても、人気があって売れるがあまり、編集部の意向で、無理矢理連載を継続させられてしまうケースもあれば、逆に人気が落ちてくると有無を言わさず打ち切りになる場合もある。
もちろん商売だから、採算の取れないものは、どこかで決断を下さなくてはならないから、ある意味仕方がない面があるのだけれど、だからといって、売れるからOKなんだとばかり、下書きを載せてしまうような行為は、どこか超えてはいけないラインを踏み越えているように思えてならない。
←人気ブログランキングへ
『島耕作』弘兼先生が怠惰なジャンプ漫画家に「俺だったら切る」 【社会ニュース】 V 2009/10/23(金) 09:00
『課長島耕作』や『常務島耕作』、『専務島耕作』、『取締役島耕作』、『社長島耕作』などを週刊モーニングで連載し、さらにはイブニングにて『ヤング島耕作』を連載している漫画家・弘兼憲史先生が、ジャンプの人気作家に対し、苦言というには厳しすぎる批判の言葉を発言していたことが明らかになった。
その発言は、漫画界の大御所が集まった座談会でコメントされたもので、弘兼先生の他に『モーニング』の古川公平編集長、『ビッグコミックオリジナル』の吉野彰浩編集長が同席していた。ジャンプに下書きのような状態で漫画を掲載していた漫画家に対して弘兼先生が本音を漏らし、名前は出していないものの「俺が編集者だったら切りますよ」と発言したのだ。
以下は、その座談会の様子を掲載した『BusinessMedia誠』から引用した一部の発言である。
弘兼「すごく売れているジャンプ系の作家で、連載の最後のころは鉛筆で書いたような作品が掲載されているものがありましたよね。あれって何で許すんですか? 俺が編集者だったら切りますよ。」
吉野「でも、ファンがいると思うと、なかなかそういうことはできないんですよね。」
古川「逆の場合もありますね。見せしめです。「漫画家としてこんなことになったら恥ずかしいだろう」ということで載せてしまう。そんなことを考えたのかもしれません。」
弘兼「なるほど、でもあれは変だったなあ。買う方はどう思っているんでしょうか。今の人たちは、締め切りに間に合わなかったんだなぐらいは分かるでしょうが、そもそも「ちょっと売れているからといって甘やかしていいんだろうか」という感じもあります。(上記、BusinessMedia誠より引用)
ジャンプには、過去に数人の下書き状態で漫画を乗せた人物がいる。数人とは言っても2~3人であり、ここ最近であれば1人しかいない。確かに、「なぜそんな状態で漫画を載せるのか?」という怒りにも似た感情は読者としてはあるものの、吉野編集長のコメントのようにファンならばそれでも読みたいという感情があるのも確か。
漫画を下書き状態で載せてしまうこと。その理由は、莫大な印税が手に入り怠惰になってしまった可能性もあるし、精神的に疲れきって描けなくなってしまった可能性もあるし、身の上に何らかのトラブルが発生して漫画の執筆がままならぬ状態になってしまった可能性もある。
しかし、ファンあっての漫画家人生。弘兼先生は、ファンに対する感謝の気持ちを忘れずに仕事を続けていくことを第一としているのだろう。下書き状態で漫画を載せるならば、ちゃんと完成するまで掲載しない。それが弘兼先生の考えのようだ。Writer:孫春麗(情報提供:ロケットニュース24)
URL:http://excite.co.jp/News/column/20091023/Rocketnews24_17371.html
人気漫画がほぼ下描き状態で掲載される! 編集部「よくあることです」2009年07月27日18時12分 / 提供:ガジェット通信
『週刊ヤングジャンプ』や『コミックガム』などで漫画を連載している人気漫画家・ぢたま某(ぢたまぼう)先生をご存知だろうか? キュートな萌え画風で多 くのファンをトリコにしている人気漫画家のひとりで、特に『コミックガム』で連載中の『ファイト一発! 充電ちゃん!!』は、萌え好きに “刺さる内容” で注目されている漫画だ。
そんな『ファイト一発! 充電ちゃん!!』だが、現在発売されている『コミックガム』に掲載された絵が、下書き状態のまま掲載されたとして大きな話題となっている。漫画誌に絵が下描きのまま掲載された例はいままでもいくつか報告されているが、特に広く知られているところでは、漫画家の富樫先生が「ゲームにハマってしまい執筆が進まない」というウワサまで流れている『HUNTER×HUNTER』が有名である。ページが進むにつれて、どんどん絵が下描きチックになっていくというものだった。締め切りの時間に間に合わず、進むにつれどんどん絵に時間をかけられなくなったのだろう。
今回の『ファイト一発! 充電ちゃん!!』の例でいえば、どんどん下描きのような絵になっていくのではなく、コマのいたるところに下描きの絵がちりばめられているといった状態と なっている。それは、全ページのなかの描きやすいコマからペン入れをしていったためと思われ、現に最終ページはよく描き込まれている。
このことについて『コミックガム』編集部に取材をしてお話をうかがったところ、「先生の体調不良と編集部のスケジュール管理ミスで、あのようになってしまいました。しかし、先生の漫画をよく知っていらっしゃるファンはご存知かと思いますが、先生の漫画では(下描きのような絵で載ることは)よくあることですよ」とのこと。
URL:http://news.livedoor.com/article/detail/4269679/
この記事へのコメント
クマのプータロー
倫理観を持って仕事に臨むとうざがられる時代です。
分業が進み、アウトソーシングが進むと結局は部分最適の追求になってしまいます。
楽をしたい漫画家、連載を落とさないことを優先する編集者、販売が全ての取り次ぎ・小売店、それぞれがプロに徹した結果が最終消費者に襤褸を見せてしまっています。また、最終消費者も「漫画の内幕を見せた事に興味を持つ」と言う柔軟性を持ち合わせているというおまけまでついて、最終的には産業として崩壊(お金が取れなくなる)していくのでしょう。
あらゆる産業で、こういう事が起こっているような気がします。
日比野
昔と比べて、時間の流れが速くなり、経済合理性が一段と追及されてしまうようになった、というのもその一因かもしれませんね。
>千晶のパパ様
当然、そういう意見もお有りだと承知しています。明日のエントリーでも触れますが、千晶のパパ様ご指摘のとおり、漫画やアニメを単なる商売と捉えるか、文化として捉えるかでその答えは少し変わってくるように思います。前者であれば、結果が全て。後者であれば、後進の手本にならればならない。文化事業は実はこうした危ういバランスの上に成り立っているのではないかと考えます。
千晶のパパ
絵の質が高くても面白くなければ誰も読んでくれません。雑な絵のために人気が落ちればそれだけです。産業うんぬんの話ではなく、単なる人気商売にすぎません。この話を読んで、歌が下手な人気歌手に眉をひそめている年寄りを連想しました。
mayo5
漫画家は(アーチストって呼ばれたいかな、歌い手さんみたいに)、ツケを払うことになるのですけれど、それが掲載落ちか、品質についてなのかの違いですよ。コミック化されるまでには直されているのだろうかw
こんなものでも売れてしまうのは、連載だし、実績によるもので、掲載内容は、次の読者の獲得にはなりません。というか、離れていくきっかけになります。売れるから良いという前提は、過去の食いつぶしです。
いっそのこと、一ページ目は載せて、後のページはごめんなさいページの連続でよかったのでは? 「みのもんた」でさえ謝罪したぞ、今朝。