辺野古メガフロート構想


昨日のエントリーでは、普天間の現状維持か、辺野古移設案の二択しかない、と言ったけれど、ほんの僅かな可能性としての第3の選択がないわけじゃない。

画像


それは、何処かの島に移転させるのではなくて、海上に移転してしまうという方法。つまり、人工の巨大な浮島を作ってそこを基地にする。

そういった基礎技術は既にある。メガフロートと呼ばれるものがそう。

メガフロートとは、超大型の浮体式構造物の事。別名VLFS(Very Large Floating Structure) とも呼ばれるけれど、平たく言えば、超・超大型タンカーを船底だけにしたようなもの。

その代わり、その面積はタンカーなどの比ではなくて、長さ1Km、幅150m以上にも及ぶ。メガフロートは、既に、いくつかの研究機関によって、実際に研究開発が進められていて、スイスのCSEM(Centre Suisse d’Electronique et de Microtechnique)では、直径5000メートルの、円形のメガフロートを、アラブ首長国連邦に建設する計画を進めている。

画像


メガフロートの構造には、大きく分けて2種類あって、ポンツーン型という平型箱形船構造のものと、セミ・サブマリーン型という、箱舟の下に設けられたコラムと呼ばれる柱状構造物が半分程度浸水するタイプのもの。

ポンツーン型は、比較的波の穏やかな湾内などに適しており、安定性がよく、単純な構造のため建造期間も少なくコストも安い。セミ・サブマリーン型は、沖合の島嶼など、波の荒い海域に設置しても安定しているという特徴がある反面、コストは高くなる。

メガフロートの構造物は、スチール製の板骨を組み合わせた構造で強度があり、耐用年数100年を見込んでいる。また、構造物内部には隔壁で仕切られた数多くの空間があり、簡単には浸水しない構造になっている。

メガフロートは、ユニット式で、長さ300メートル、幅60メートルくらいのユニットを、造船所で必要な数だけ作っておいて、船で沖まで引っ張っていって、海上で繋ぎ合わせることで建設される。

日本でのメガフロートの研究開発は、造船・鉄鋼17社からなる「メガフロート技術研究組合」によって、平成7年4月から3年間、メガフロートの基本技術の開発が行なわれた。

更に、平成10年4月からの3年間で、実用レベルの技術開発が行われ、2000年10月には、横須賀市沖に設置された1000メートル浮体滑走路で、琉球エアーコミューター(RAC)の旅客機を使用した離着陸実験が行なわれた。

また、約350回にわたる航空機による計器進入実験(ローパス実験)などの実証結果をもとに、4000m級の大型空港の試設計を行われ、最終的にメガフロートは4000m級の滑走路に利用可能な技術であると結論づけられている。

画像


メガフロートは、その名のとおり、原則、海の上に浮いているだけなのだけれど、推進装置をつければ自力航行も可能になるという。ブラウン&ルート社は、アメリカ軍と多国籍軍に滑走路、整備、補給、および他のロジスティクスサポート等を提供する為のモジュール式の浮動基地(MOB:Mobile Logistics Platform)を提案している。

実は、メガフロートは、普天間飛行場の辺野古沖への代替施設案の1つとして、2000年頃に検討されたことがあるのだけれど、波が荒い外洋での安全性やコスト面の問題点が大きいとして見送られた経緯がある。

しかしながら、普天間問題が、此処までぐちゃぐちゃになったら、もう四の五の言っていられない。

普天間代替施設として、辺野古沖にメガフロートを作るという案が再浮上する可能性があると筆者は見ている。
 注)と記事を書いていたら、週刊オブイェクト様にて同様にメガフロート案を取り上げられています

ただし、仮にメガフロート案が出たとして、それをアメリカが受けてくれるとは限らない。もちろん安全性の問題もあるだろうけれど、それは、アメリカが鳩山政権をどう見ているかに掛かっているような気がしてならない。

もちろん、その答えは言うまでもない。

画像

画像 ←人気ブログランキングへ

画像新技術開発・普及等の動向 <問い合わせ先> 国土交通省海事局造船課(内線43713)TEL:03-5253-8111(大代表)

《中略》

○メガフロートの実用化

 メガフロート*は、地震に強く環境に優しい等の特長を持つ我が国発の最先端技術であり、海洋空間の有効利用による社会資本の円滑な整備を促進するため、平成7年度から12年度にかけて研究開発が行われました。
 その結果、平成13~14年度、メガフロート空港利用調査検討会及び羽田空港再拡張事業工法評価選定会議において、1,000m浮体空港モデルを用いた実証実験の結果を踏まえ、浮体空港の建設が可能であるとの結論が得られました。さらに、総務省や経済産業省と連携して実施した「メガフロート情報基地機能実証実験」では、メガフロートが低廉かつ高信頼の情報基地として利用可能であることが実証されました。
 国土交通省は、空港、情報バックアップ基地のほか、コンテナターミナル等の港湾施設、エネルギー基地、レジャー施設等、様々な用途が考えられているメガフロートの実用化・普及を推進します。

URL:http://www.mlit.go.jp/maritime/senpaku/technique/index.html



画像普天間飛行場移設問題 移設経緯(1)<辺野古>使用期限15年消滅 V字滑走路に規模拡大 2009年10月25日

名護市辺野古地区の代替施設案の変遷

 13年以上に及ぶ米軍普天間飛行場移設は、日米協議や政府、沖縄側との交渉を通じて、県外や県内でさまざまな候補地が検討されながら、現在の名護市辺野古への移設に集約されてきた。名護市辺野古への移設でも、日米特別行動委員会(SACO)当時から、海上ヘリポート案や、県が認めた軍民共用空港案、さらに米軍再編協議では浅瀬案(名護ライト案)や、陸上案など変遷を重ね、現在のV字形滑走路の沿岸案へと紆余(うよ)曲折をたどってきた。県外、県内、名護市辺野古それぞれについて、守屋武昌元防衛事務次官の証言を交えて、候補地検討の経緯を振り返る。(滝本匠、小那覇安剛)

<辺野古>使用期限15年消滅 V字滑走路に規模拡大

 1996年12月のSACO最終報告で沖縄本島東海岸への移設が決まってからも、現在の辺野古への合意案に至るまでには、建設位置や工法、滑走路の長さの変更など「代替施設」は、その計画を変えてきた。
 SACO当初の計画は、辺野古沖合への海上ヘリポート案。規模は小さく撤去可能な施設とされた。これを当時の大田昌秀知事が98年2月受け入れを拒否、代わった稲嶺恵一知事が99年11月、辺野古移設受け入れを表明する。
 その後、3年近くは埋め立て工法や、巨大な浮体のメガフロート方式など工法を検討。最終的には県の要求を取り入れる形で、沖合2・2キロのリーフ上に、2千メートル滑走路の軍民共用空港を埋め立てて造ることに決定した。県は15年の使用期限も要求した。だが、台風接近による海上作業中断や、反対派の阻止行動などで作業が難航、2004年8月の米軍ヘリ沖国大墜落事故を契機に米軍再編の協議で辺野古移設見直しの新段階に入っていく。
 再編協議では、米側が難色を示した軍民共用・15年使用期限の条件は消され、05年10月、新たに住宅地から1キロ沖に1600メートルの滑走路1本を造る案で日米が合意した(L字案)。
 05年合意に至る直前は、米側が提案してきた軍民共用空港案を縮小させた浅瀬案(名護ライト案)や、防衛庁が推すシュワブ演習地域に造る陸上案(ヒリー案)、その折衷案のシュワブ兵舎地域への宿営地案など変遷をたどった。
 L字案から修正はしないと繰り返していた日米両政府だったが、名護市の強い主張で06年5月に、2本の滑走路を有するV字案に修正する。名護市の島袋吉和市長は、さらに沖合に寄せるよう求め、仲井真弘多知事もそれを支持している。

URL:http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-152447-storytopic-53.html



画像決定しないのに…なぜ?/辺野古行政委員、メガフロート視察 1999年11月7日

県が米軍普天間基地の移設先に選定するキャンプ・シュワブを抱える名護市辺野古区から、移設後の施設工法の視察に出向いていた同区行政委員ら十数人は6日、神奈川県横須賀沖の浮体構造物・メガフロートを見学した。区の最高意思決定機関である行政委員の多くが、候補地発表前から工法を視察したことに、一部区民から戸惑いや疑問視する声が出ている。行政委員らが視察した浮体構造物は運輸省などが海上空港の利用を目指し、神奈川県横須賀市沖に建設。全長約千メートル、最大幅約120メートルの海上滑走路を有する。
今回、視察に出掛けたのは辺野古区行政委員会や久辺地域振興促進協議会の幹部ら18人。9月上旬にも行政委員が視察に訪れたが、前回行けなかったメンバーを中心に任意に参加を募ったという。
久辺地域振興協は、集落から三キロ以上離れた海上案ならば、騒音や危険性、環境への影響が少ないとして、地元振興策を条件に県に受け入れを推進してきた。
参加者の中に行政委員が多く入っていることに区民の一部から批判も出ている。区民の一人は「県が移設先を決めたわけでないのになぜ、わざわざ自分たちから行くのか。あすにでも、本人たちに視察の目的を確認したい」と話している。
また命を守る会のメンバーは、区行政委員の数人が視察に出掛けたのは、事前に知らされていなかったとして、「意外な展開。中立的な立場の行政委員の視察行動は、個人で行ったと主張しても誤解を招く。帰った後に区民に視察に出発するまでの過程、目的を報告してほしい」と戸惑いを見せた。
辺野古区行政委員会は9月24日、臨時区行政委員会を開き、普天間飛行場の返還に伴うヘリポート移設で陸上案、埋め立て案のいずれについても反対する決議を賛成多数で可決している。

URL:http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-95860-storytopic-86.html



画像メガフロート実証実験/政府が強い関心 2000年10月10日

【東京】神奈川県横須賀市沖で、浮体式海洋構造物「メガフロート」の海上空港としての機能検証の実証実験が続けられている。6日には報道陣や関係者に離着陸実験が公開された。メガフロートは普天間移設の海上基地として注目されていたが、現在でも県内の一部からメガフロートを沖合三キロに建設する海上案が提起されている。公開実験には防衛施設庁、外務省、在日米軍高官の姿も見られ、関心の高さがうかがえた。
離着陸実験は、琉球エアーコミューター(RAC)の旅客機を使用し、前日から2日間にわたり実証実験が行われた。開発主体のメガフロート技術研究組合の岡村秀夫第二研究部部長は「これまでの実験で、飛行場利用はめどが立った。今後はシミュレーションで、大型機の離着陸の研究を進めたい」と自信をみせる。来年3月で技術研究組合は解散するが、研究結果は財団法人に引き継がれるという。
一方、普天間代替基地の工法について、名護市の久辺地域振興促進協議会がメガフロートを使った沖合三キロの海上案を提起。昨年11月には視察に訪れている。技術組合の担当者は「(メガフロートの滑走路利用は)技術的には可能。ただ、あくまで民間用の研究だ」としながら「実際に代替施設を造るなら、さまざまな工法の良いところを組み合わせて検討されるべきだろう」と話す。
普天間移設では、軍民共用空港を念頭に代替施設協議会で基本計画の検討が進められるが、工法をめぐっては移設推進派でも議論が分かれており、難航も予想されている。この日、多くの見学者に交じり公開実験を見学した施設庁の担当者は「勉強のため」と言葉を濁したが、政府内での検討も本格化しているようだ。

URL:http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-116131-storytopic-86.html



画像<2004年9月20日 朝刊2面> 米軍再編とオキナワ・インタビュー(18)

ジェームス・アワー氏・元米国防総省日本部長 「普天間」は政府決断で第7艦隊の維持が条件


ジェームス・アワー氏
 ?米軍ヘリ沖国大墜落事故は、県民に大きな不安を与えている。日米安保体制への影響は。

 「米国側としては兵士の綱紀粛正、事故の回避に努めている。うまくいっているとは思うが、米兵暴行事件や今回のような事故は、一件たりとも起きてはならない」

 「日米安保は米国にとって重要だが、それ以上に日本にとって重要だ。今の普天間基地より安全な場所が見つかれば、移設すべきだ。米国はそれに対応する用意がある」

 ?在日米軍の中で普天間基地の位置付けは。

 「戦略的に、空軍嘉手納基地と海軍横須賀基地は極めて重要で、動かし難い。『普天間』は海軍第七艦隊の一部ではないが、CH53などヘリ部隊の役割は重要で艦隊の活動と一体化している」

 ?第七艦隊を運用する上で、「普天間」の機能は沖縄になければならないものか。

 「最も重要なのは第七艦隊の能力維持だ。それさえ満たせれば柔軟に検討する用意がある。日本政府が適切な移設先を示せば、受け入れられる」

 ?普天間移設が進んでないことを米政府はどう見ているのか。

 「事故は許されないが発生する確率は低い。現状を受け入れることは可能だ。むしろ逆に私の方が聞きたい。なぜ、日米特別行動委員会(SACO)での返還合意から七年以上たっても返還のめどすらたたないのか。沖縄県民が真に『普天間』の移設を願っているのであれば、行動を取れるはずだ。それが取られていないのが不思議だ」

 「仮にメガフロート施設を造れば、普天間基地、那覇軍港、キャンプ・キンザー(牧港補給地区)の移設も可能だ」

 ?米軍再編は在沖米軍でどの程度進むと考えているか。

 「第七艦隊は日米の安全保障にとって重要なので、大幅削減は考えられない。しかし、『普天間』と『嘉手納』などの施設の統合は可能だ。米軍はあくまでも日本政府の招聘に基づいて駐留している。米国は宜野湾市民や他の地域の人たちの負担になりたいとは思っていない」

 「米側は基地をどこに置け、と指示できる立場にない。決断し、責任を取るのは日本政府だ。しかし往々にして、日本の官僚、政治家は自ら責任を取ることを回避している。一方で、米側の声が聞こえないと批判されている。求められているのは、日本の強いリーダーシップだ」(聞き手=政経部・知念清張)

 米海軍勤務後、レーガン米政権で国防総省安全保障局日本部長。現在、ヴァンダービルト大学公共政策研究所日米研究協力センター所長(博士)

URL:http://74.125.153.132/search?q=cache:PktA2Ed38XgJ:www.okinawatimes.co.jp/spe/saihen20040920.html%3FPSID%3D24f110f78feef3cecfaadfa0f527bd7d+%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%80%80%E4%BB%AE%E3%81%AB%E3%83%A1%E3%82%AC%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%88%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%82%92%E9%80%A0%E3%82%8C%E3%81%B0%E3%80%81&cd=11&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

この記事へのコメント

  • 警備に
    潜水艦・イージスが必要になる。軍空港としては不向き
    2015年08月10日 16:49

この記事へのトラックバック