征夷大将軍は帝(みかど)に仕える存在(政治家の人徳と実力について考える その3)


日本において、世論調査による支持率には、政治家としての人徳や品性を推し量る側面がある。

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内閣を組閣するときには、よく身体検査と称して、大臣候補者にスキャンダルやら危ないところがないか、十分調査してから、閣僚に任命をしたりするものだけれど、これだって、政治家としての品性や人徳と言った部分が如何に内閣支持率に響くのか分かっているからに他ならない。

もしも、利権や汚職が当たり前で、それが普通でなんとも思われない国があったとしたら、その国で一番支持を集める政治家は、最高権力を握り得る実力者になるだろう。力こそ全ての国では、力のない政治家は抹殺されるだけ。品性や人徳など鼻紙にもならない。

だから、ある意味において、政治的能力は勿論のこと、人徳や品性さえも合わせて、それぞれ高い資質を要求される日本の政治家は、生半なものではとても務まるものじゃないとも言える。

大きく言って、これまで日本は、天皇陛下が権威を受け持ち、政治家が権力を受け持つという、一種の二重構造の政治が行なわれていた。

それはそれで、権力を受け持つ側が腐敗したときでも、最高権威である天皇陛下には手を触れず、征夷大将軍を挿げ替えることで、国体を保持していた面があったことは否めない。

もしも、時の政治家に征夷大将軍としての実力がなかった場合でも、最低限の品格を備え、ひたすらに人徳を磨く姿勢さえあれば、それでもどうにかなったことは事実。

実務は他の将軍達や臣下、即ち、優秀な官僚組織に受け持たせてやれば、滞りなく行なうことができたから。

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だけど、このある種の安定構造を壊そうとしているのが、剛腕幹事長。

彼の主張は、一言でいえば、

「征夷大将軍は人徳なんかより、実力が第一であるべきだ。お飾りの将軍など不要だし、能力がないからといって、臣下(官僚)に任せたり、言いなりになったりするようなのは駄目だ。まず、臣下から実務の権限を剥奪する。各将軍はすべからく、自らの実力を磨き、臣下に変わって全てを裁可せよ。」

と、まぁ、こういうことだと思われる。一応、これはこれで筋は通っている。

国民からみれば、仕事をくれて、飯をきちんと食わしてくれるならば、実務については、将軍が裁可しようが、臣下が裁可しようが、別にどうだっていい。

ただ、宮中の将軍達が、下々の民の暮らしを慮ることなく、仕事は全部臣下の言うなりに、無駄遣いばかりしている、という風に思い込んでしまったがために、鳩印の御輿を担ぐ闇将軍の言い分に一理ある、と支持をしたのが、先の衆院選。

だけど、この闇将軍は、皇室という、その品位と徳望を揺るがせにしなかった権威を蔑ろにしてしまった。

いかな征夷大将軍、闇将軍といえども、帝(みかど)という権威存在を忘れ、将軍としての最低限の立場をわきまえない不届き者であると分かれば、国民はそれを許さない。

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画像新年早々からいつもの蘊蓄好きの教授に我が国についてのお話を頂戴してしまったニダ

話はガラッと変わって、新年早々からいつもの蘊蓄好きの教授に我が国についてのお話を頂戴してしまったニダ。

 午後をマターリと教授の講釈を聞き流しながら、途中で二度ほど船を漕いだのは内緒の話ニダ♪

 某教授のお話によれば、イルボンの政治システムと言うか文明のフェイズは世界的に見ても特殊なもので、
「権力と権威の分離に成功した極めて稀な実例」かつ、「古代文明がそのまま最先端の文明にまで進化することができた唯一の実例」だというお話ニダ。

 イルボンにおける最高規範として天皇陛下の存在が挙げられるニダが、それは道徳や精神性、ひいては権力を駆使する統治者に対しての権威の貸与というレベルにまで至る存在でありながら、現実には権力を行使せず、(近代、といってもここ千年ほど)時の権力者たちはその権威を“お借受”することで政治的な力を振るうことが出来た、というメカニズムだと言うお話だったニダ。

 まあ、これは別に珍しいお話にではないニダが、そうした権力と権威の分離に成功しているが故に、イルボンは国体として数千年の歴史を保持したまま世界的に見れば古代社会から封建社会などを経て、議会制民主主義のシステムにいたるまで変化をすることが出来た、という実に柔軟性の高い、なおかつ堅牢な固有文明を構築しているとの事ニダ。

 ウリは専門外の話なのでちんぷんかんぷんニダが、それに加えてさらに、経済システムに対しても資本主義の特徴を持ちながらも社会主義と言っても過言でいはないほどの巧みな社会ネットワークを構築している、という実に独特の文明となっているニダ。

 それは今のイルボンの憲法にもその特徴が現れている、との御指摘だったニダ。

 教授曰く、その特徴とは「国家元首が定められていない」という特徴ニダよ。

 つまり、イルボンの国家システムとして権力と権威が巧みに切り離され、しかしその最高権威が実権力を行使しない、という巧みな統治構造をしているため、既存の法律や文明論ではイルボンの統治構造を文章化出来なかったため、記載されていないのだ、というムズカシィお話を聞かされてしまったニダ。

 こうした権力と権威の分離が出来なかったがために、西欧世界やアジア諸国、中東やアフリカ、中南米などでは権力者の失政や問題が権威の問題にまで発展し、自壊すると言う歴史を繰り返してきたニダが、イルボンでは執政者が責任を取るだけで天皇陛下の権威には影響がなく、その権威によって執政者もまた赦されるという高度な政治システムが成り立ってきた、とのお話ニダ。

 特に欧州の某王国ではイルボンの成し遂げた政治システムのトランスフォーメーションに興味津々、という胡散臭い噂をしている、と黒髪の美女から謎めいた言葉を告げられてしまったニダ。

 完全な余談だったニダ。

URL:http://ashcat9999.blog84.fc2.com/blog-entry-213.html



画像独立系メディア「今日のコラム」 小沢幹事長インタビュー「自民党は一度、徹底的にやられないとダメなんです」 日刊ゲンダイ 31 Dec. 2009

●国民も「自分たちが政治を変える」意識改革が必要

 本当の議会制民主主義が動き出す。

 国民の方々はそれを見た時に、これこそが政権交代だと、実感される。2010年はそんな年になると思います。

 政権交代を実現した民主党の政権は早速、事業仕分けで予算編成の過程をオープンにしました。

 事業仕分けを経て、編成した来年度予算案は、国民と約束した「コンクリートから人へ」、つまり、人にやさしい政治を反映した予算案になっています。

 自民党や専門家、メディアがバラマキだと批判した子ども手当、農家への戸別所得補償、高速道路無料化など、官僚任せの政治では絶対できなかったことが始まります。

 もちろん、これらも政権交代の成果ですが、もうひとつ、大きなメディアでさえ、ほとんど理解していないのが国会の改革、政治改革です。

 通常国会では冒頭に国会法など改正案を通したいと思います。官僚の答弁がなくなり、国会審議は様変わりします。

 政治主導を貫くために副大臣、政務官も増やさないといけない。戸別訪問の解禁をはじめ選挙運動の自由化、政治資金の透明化も進めたい。

 僕がずっとやってきたのは、国民主導の政治を機能させる仕組みづくりなのです。これまでの日本にはそれがなかった。国民が政権交代を望んでも、政治のシステムが阻害してきた。
 日本は今まで、大まかな、いい時代だったのです。

 順調に経済が成長し、格差のない社会だった。だから、国民は官僚支配の政治を肯定し、それを変えることに躊躇(ちゅうちょ)、ためらいがあった。

 しかし、いわゆる「小泉改革」以来、格差はどんどん広がるし、年末のボーナスの減り方は過去最高でしょう。ここ10年くらいで日本はめちゃくちゃになった。これからはもっと危ない。もう我慢できないということで、政権交代が実現したのです。

 国民の皆さんには、自分たちが政権を変えたのだという自覚を持って欲しい。政治主導とは国民主導です。

 官僚任せ、お上任せの政治ではなく、自分たちが監視し、自分たちが政治を変える。そうした意識を持って欲しい。僕たちも政治主導がきちんと機能するように政治改革、国会改革をやっているのです。もし我々が国民の期待に応えられないようであれば、より良い政党を選べばいい。

 そういうシステムにするのが僕の長年の夢であり、ようやくその第一歩を踏み出した。日本の政治は間違いなく変わっていきます。

●野党のための改革なのにわかっていない

 国民が政権選択をするためには野党も重要です。みんなが勘違いをしているのですが、日本では国会の第1党が政府をつくるから、その意味では完全な三権分立ではないんです。

 政府・与党が行政と立法を押さえている。僕は15年間野党暮らしをしてきたから、よく分かりますが、野党には何の情報もないのです。だから、我々が議会の多数を取っている間に、国会の機能を充実させたい。

 国会の情報収集能力を強化させ、野党もしっかりとした情報を取れるようにしたい。そうすれば、国会で与野党がより活発な議論ができるわけです。

 それこそが政治主導なのに、さっぱり分かっていないのが自民党自身なんです。
 自民党は、次の時代を背負って立つ人が出てこないとダメです。旧態依然の感覚では再生できない。

 僕は自民党を否定しているわけではありません。

 自民党は日本的なモラルのある政党で、いいところがあったけれども、長年、権力を握っていたせいで、その政治権力そのものを自分たちのものにしようとして、堕落した。だから、国民からノーを突き付けられた。

 自民党は今度の参院選で負けると、本当に壊滅的になってしまう。

 でも、一度、徹底的にやられないとダメなんです。再生はそれからです。だから僕は参院選の準備は一生懸命やっています。目標は民主党の単独過半数獲得。そのためには60議席以上取らなければなりません。

●若けりゃ両方再生したい

 民主党だって、まだまだ成熟していません、完璧な政党ではありません。民主党をしっかりとしたものにして、一方で自民党の再生・再建に期待したい。そうなれば、2大政党制が本当に機能する。

 僕がもう少し若ければ、その両方をやる余裕があるけれども、この年だからムリ。まずは民主党をしっかりさせることで精いっぱいです。

 いずれにしても、政府、内閣、そして、政治のあり方を決めるのは国民自身です。

 民主主義の基本は選挙であり、主権者が主権を行使する機会は選挙しかない。その意味で、これまでのように選挙を軽視する風潮は非常に危険です。民主主義を否定することになる。

 国民が自分でよりよい政治を選択する。それによって、国民の側にも責任が生じる。これからはそういう時代になるのです。

●おざわ・いちろう 

1942年、岩手県水沢市出身。岩手4区、当選14回。慶応大経済学部卒、日大大学院を経て、69年の衆院選で旧岩手2区から自民党公認候補で初当選。田中角栄の秘蔵っ子として、瞬く間に頭角を現した。

1985年の第2次中曽根内閣(第2次改造内閣)で自治大臣兼国家公安委員長として初入閣。

1989年、史上最年少の47歳で自民党幹事長に就任。しかし、政治改革を断行するために93年に自民党を離党。新生党、新進党、自由党を経て03年、自由、民主両党合併により民主党へ。

2006年に民主党代表になったが、秘書の逮捕の後、辞任。

2009年9月、政権交代を実現させると、幹事長に就任した。好きな言葉は「変わらずに残るためには、変わらなければならない」。

URL:http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col211231-1.htm

この記事へのコメント

  • 美月

    興味深いお話で、フムフムと読ませていただきました。
    古代に発令された十七条憲法の政治理念や哲学が、統治システムの伝統として、今でも機能しているのかも知れないなと、ちょっと悠久な事を考えてしまいました。
    21世紀には21世紀なりの事情があるわけで、小沢氏の提唱する二大政党制が、本当に将来の日本社会にとって適切なものになるかどうか、その辺はじっくり考えなければなりませんが…小沢氏の問いに、国民である私たちは、如何なる回答を出すべきなのだろうか?
    その期限が、「2010年の夏」なのかも知れないと思いました。とてもムツカシイテーマですね…^^;
    2015年08月10日 16:49

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