人徳と実力の両立(政治家の人徳と実力について考える その2)


「力を持ってるほど、表に出ない。これが日本の政治だったんだよ。」

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統治者、権力者に品格、人徳を求める、という意味では、国会議員は、大相撲の関取と似ているところがある。

関取は、勝ち星を重ねることで、昇進していくけれど、大関・横綱になるにつれ、その立場に相応しい立ち振る舞いを求められるようになる。

これは伝統的に「かくあるべし」とされているということもあるけれど、相撲はもともと神事であって、神々に奉納するものであったことも関係しているのかもしれない。

政治だって、大元を辿れば、政(まつりごと)。だから、政治も一種の神事だと言えなくもない。横綱、大関と同じように、閣僚・総理には、その立場に相応しい立ち振る舞いを国民は期待する。

いくら強くても、その立ち振る舞いが横綱らしくなければ叩かれるように、いくら政治的能力があっても、品格がなければ叩かれる。

だけど、ここで問題になるのは、叩く対象はあくまでも、品格、人徳なのであって、その人の政治的能力は、必ずしも評価対象になっているとは限らないということ。

仮に、政治家にトータルの実力というものがあったとして、それを品格と政治的能力の2つに分けるとするならば、国民はどちらかをを優先して選ぶべきなのだろうか、それとも両方備えていなければいけないものだと断ずるべきなのだろうか。

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往年の大横綱のように、品格も実力も兼ね備えていないといけないのか、それとも、例えは悪いけれど、全盛期の朝青龍のように、強ければそれで良い、とするのかという命題がそこにある。

勿論、実力も品格も両方備えているに越したことはないのだけれど、そうそういつも、そんな大政治家がいるとは限らない。

理屈から言えば、この命題は、常につきまとう問題である筈なのだけれど、これまではいつも何か問題があると、やれ汚職だとか、やれ口利きだとか、やれ収賄だとかスキャンダルだとか、品格に関係する問題でばかり叩かれて、政治手腕や能力そのものを問われる形での叩かれ方は殆どなかった。過去では、60年安保闘争。近年だと、細川内閣、現鳩山内閣くらいではないかと思う。

だけど、本当は、政治的能力か品格かのどちらかを選ぶという選択はいつも突きつけられているにも関わらず、それを意識せずに国政が回っていたという点に、日本の幸運があり、不運がある。

だから、今回の小沢幹事長の土地取引問題にしても、いざ、品格が問われるような問題が出ると、わっと批難が集まってしまうことになる。

先日の世論調査で、鳩山内閣の不支持率が支持率を上回ったけれど、小沢幹事長の土地取引問題が影響していることは疑いようもない。それだけで(それだけの事なのだけれど)、10%以上も支持率が下落してしまうのだから、如何に、日本は、政治家の品性に重きが置かれているかが良く分かる。

それはそれで、是とすべきものなのだろうけれど、そればかりに拘って、政治手腕なり、政治家としての能力を無視するようになってしまうと、今度は人柄だけ良いお御輿ばかりが総理に据えられて、それを裏で操るフィクサーなり、闇将軍なりが幅を利かせるようになる。

冒頭の渡部恒三氏の発言にしても、表には、品性優れた見栄えの良い政治家を出して、真の実力者が出ることはなかった、というのも図らずしも、それを示唆しているように思える。

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画像2007-10-02 相撲は神事です

最近は、素行の悪さや品位の欠如が指摘されている某横綱の問題、弟子を暴行して死に至らしめ相撲協会から永久追放される事がほぼ確定的となった某親方の問題などがメディアを賑わせ、相撲全体に対してのイメージが著しく低下している感がありますが、私としては、これら一連の角界の不祥事の根底は、「そもそも相撲とは“神事”である」という認識が完全に欠落していた事にあるのではないか、と思っています。

相撲とは神事である、という事を如実に物語っている文章が、神社新報社から発行されている広報誌「むすひ」(平成20年版)に掲載されていたので、以下にその文章の一部を転載させて戴きます。この文章は、現在はスポーツコメンテーターとして活躍されている舞の海秀平さん(現役時代の最高位は小結)のインタビュー記事です。ちなみに、以下の転載文中に出てくる「時津風日本相撲協会理事長」というのは、平成10~13年まで相撲協会の理事長を2期4年務めて年寄名跡改革問題などで混乱した角界の収拾に当たった、新潟県出身の元大相撲力士・内田勝男さん(最高位は大関)の事で、今巷で騒がれている時津風某とは全くの別人です、念のため。

『高校生の全国相撲大会は、伊勢の神宮で開催されるのですが、一県から一人しか選ばれないため、青森県には私より強い人はいっぱいいましたので出場は叶いませんでした。しかし大相撲に入ってからは、毎年春に伊勢で神宮場所がありましたから、何度か伊勢の神宮にお参りしましたが、いつも心が洗われるようにスカッとして気持ちが落ち着きますね。場所前には当時の時津風日本相撲協会理事長から相撲の歴史や宮廷との関わりなどの話を聞き「神様に奉納するという気持ちで相撲をおこないなさい」と教えられました。奉納相撲というのは、神様に見ていただく、御神慮を慰めるための相撲なんです。神社の相撲大会も、その土地で育った子どもたちが元気に相撲をとるのを神様に見ていただくわけです。

(中略)相撲は神事ですから。各部屋の土俵も一年に三回ぐらい作りかえるんですよ。稽古場の俵をとって土を耕して、水をまいて、また叩いて、固めて、そこからまた新しい俵を入れて、真ん中に穴を掘って、行司さんがお祓いをし、穴の中にスルメや勝栗などの鎮物を埋めるんです。三、四十分かかりますが、それは全員出席でやらなければいけない。そうしないと稽古は絶対しない。土俵祭もしないところでやるのはアマチュアの相撲というか、スポーツ感覚ですね。土俵創設は部屋を創設した時の最初の一回でいいのではないかと思ったんですが、必ず毎年やるんですね。相撲というのは神事であり、そこに勝負事がくっついているだけ。勝ち負けより精神的なものの方が強いんです。』


当社でも、毎年秋まつりでは境内の土俵で「子供相撲」を行っていますが(冒頭に貼付の写真2枚参照)、相撲を始める前には、やはり神職が必ず神事(土俵の清祓い)を行っています(左の写真参照)。大相撲に於いても、行司は、下積み時代には掃除・洗濯・食事の支度等の雑用をこなすと共に、土俵入り前のお祓いの作法を習得し、更に祝詞奏上や発声の練習もする事になっています。

そもそも相撲の起源を辿っていくと、鹿島神宮の御祭神として有名な武甕槌神(たけみかづちのかみ)と諏訪大社の御祭神として有名な建御名方神(たけみなかたのかみ)が力競べをしたという神話にまで遡る事ができ、また古代に於いては、相撲は豊作の吉凶を占う年占の農耕神事として行われてきたという歴史もあり、そういった経緯から、古くから相撲はお祭りの重要な要素とされてきたのです。

平安時代には、宮廷では、天皇が出御して左右の相撲人に二十番程の相撲を取らせる「相撲節会」が恒例行事として行われていましたが、これも、諸国の農耕を占う豊作祈願の意味が込められたものでした。その後、鎌倉時代に入ると相撲は専ら武士の鍛錬を目的に行われるようになり、庶民の間にも浸透していき、それが、現在の大相撲の直接の基盤となった勧進相撲へと発展していきました。

つまり、現在の大相撲が“スポーツ”の一種である事は否定できませんが、それはあくまでも大相撲の一面に過ぎず、大相撲の土台となったのはやはり神事儀礼としての相撲であり、相撲の根底はあくまでも“神事”なのです。最近の角界の不祥事を見ると、当事者達にその認識があるのかどうかはかなり疑わしいですが…。

ちなみに、諏訪大社で御船祭の最後に行われる「神相撲」や、日本最古の相撲場と伝えられている石川県羽咋市の羽咋神社で行われる「唐戸山相撲」、滋賀県野洲町の御上神社で随喜祭の夜に行われる「相撲神事」、愛媛県大三島町の大山祇神社のお田植祭で奉納される「一人相撲」などは、今でも純粋な神事儀礼として執り行われている相撲です。

(田頭)

URL:http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20071002



画像内閣不支持44%、初の逆転 小沢氏続投に反対73%

 共同通信社は17、18両日、小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体の土地購入をめぐり元秘書の衆院議員石川知裕容疑者らが逮捕されたのを受け、全国電話世論調査を実施した。鳩山内閣の支持率は41・5%で前回調査(10、11両日)から9・3ポイント急落、逆に不支持率は44・1%と10・9ポイント跳ね上がり、昨年9月の内閣発足後、初めて支持率と不支持率が逆転した。

 小沢氏の進退に関しては「幹事長を辞めるべきだ」が39・5%、「議員辞職すべきだ」が33・8%と計73・3%が幹事長続投に否定的な考えを示した。政党支持率、今夏の参院選比例代表での投票先に関する質問でも民主党は数字を減らし、事件に対する国民の厳しい視線が浮き彫りになった。

 土地購入資金に不正はないとして検察批判を展開した小沢氏の説明に「納得できた」はわずか6・3%で、86・0%が「納得できない」と回答した。小沢氏や鳩山由紀夫首相の政治資金問題の参院選への影響については「影響がある」「ある程度影響がある」が計89・5%。

 政党支持率は民主党32・1%と前回調査から6・6ポイント下落して内閣発足後最低の数字となった。自民党は22・7%で5・4ポイント上昇した。

URL:http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010011801000470.html


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この記事へのコメント

  • 眞鍋かとり ikuokoさんに同感

    科挙よりもたちのわるい人気とり選挙、ばらまき選挙
    それよりは悪質度は低いけどパフォーマンス選挙

    こんな選挙をマスゴミがあおり、大衆が踊ったのがここまでの日本

    2ちゃんねらーのサラリーマンだった三橋貴明氏が国政に出ます。
    人気取りもばら撒きもパフォーマンスもない
    ばかりかマスゴミからは仇敵と嫌われている人です。

    だけど、彼は大勝するでしょう。
    情報リテラシーのスキルをもった大衆が10年前とは比較にならぬほど増えたからです。

    その時、「○○党」「○○族」「○○派」ではない個人としての政治家がどのようなものか問われる時代が来ます。

    同じく科挙によって採用され、派閥によって出世する現・官僚も本来の徹底的に公益・国益を追求する原点にもどるべきでしょう。

    「脱・官僚」は官僚たたきを多分に含んだいびつなスローガンです。

    むしろ「改・官僚」で官僚のパフォーマンスを国益に寄与させるシステムが必要です。

    要するに政治家と官僚を私たち国民が変えなければなりません。
    2015年08月10日 16:49
  • ikuoko

    人徳も政治的実力とも、鍛えればある程度身に付くものです。ですから、人徳と政治手腕双方の実力を身に付けた人だけが立候補できるなんらかの制度作りが必要と考えます。民主党のとんでもな勘違いは、官僚の手助けを借りなければ政治活動が出来ない程度の実力しかない者を大量に当選させ、政治主導!政治主導!と口先だけで言っていたところです。そんなこと言っている暇があったら、まずは、官僚がいなくても充分仕事が出来る実力を身につけろよと言うことでしょう。政治家資格試験が必要かと。一票を投じる国民に的確な視点が育てばベストですが、現状では地元に利益誘導してくれる先生かマスコミ受けするパフォーマンス上手が選挙に有利になっていて、この傾向はもう少し続きそうですので。
    2015年08月10日 16:49

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