市場は集合知の集積場(森野榮一氏講演会参加報告)


3月21日、森野榮一氏の講演会に参加してきました。

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折からの天気でダイヤが乱れ、開始が15分ほど遅れてしまう。そこで、しばらく森野さんの雑談風の始まりと相成ったのだけれど、そのマクラが面白かった。

気楽に話し始める森野さんの語り口は語りかけるようにわかり易く、楽しく聞いていたのだけれど、江戸の学習に絡んで寺子屋の話がまた興味深かった。

筆者は寺子屋というと、適塾や松下村塾のような厳しい塾というイメージがあったのだけれど、森野さんによると、江戸の寺子屋は生徒が銘々勝手に遊んで、勝手に勉強していたそうで、勉強している子に先生が直接手ほどきをしていたという。

更に面白かったのは、寺子屋に行くくらいの年頃になると色気づいてくるのもいるらしく、寺子屋の先生自ら男女交際のとりもちまでやっていたとのこと。今とは大分様子が違うようだ。

そんな時代人々は何で教養を積んだかと言えば、寄席で学んでいた。寄席に出る講釈師の話が教養の種になったようだ。明治になると講釈師は講談師、浪花節となった。

今ではそういう教養を教えるところが生活の場に無くなってしまったという。



この辺りの話で筆者が思ったのは、確かにそういう講談師というものは無くなったにせよ、今は、アニメ・漫画がその代わりをしているのではないかということ。勿論、漫画・アニメといっても単なる娯楽漫画もあるけれど、綿密な調査の上で漫画にしたものもある。

今では、最新科学や古典文学をわざわざ漫画に書きおこして発売しているなんてものもあるから、あながち馬鹿にしたものではないかもしれない。

やがて開始時刻となり、公演が始まる。非常に興味深い話ばかりであったけれど、江戸期の日本は、既に閉鎖系の中で、自己完結性の高い地方経済と天下の経済に同位者の第一人者が統合する連藩国家だったということや、山片蟠桃が今風に言えば、マーケットは集合知の集まるところであって、個人のものとして独占できるものではなく、天下は皆が共有するもので天下の趨勢を見なければいけないと200年も前に言っていたこと。

江戸期の日本を掘り起こせば、宝が埋まっているとのお話が心に残った。

2次会以降の様子は、いつものようにメルマガで・・・3月26日配信予定。



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画像講談

歴史 [編集]
起源は戦国時代の御伽衆(おとぎしゅう)であると言われているが、寄席演芸としての講談の原型は、江戸時代の大道芸のひとつである辻講釈(つじこうしゃく、または町講釈)に求めることができる。辻講釈は太平記などの軍記物を注釈を加えつつ調子を付けて語るものである。

宝永年間には公許の常設小屋で上演されるようになり、講釈と呼ばれるようになった。文政年間には話芸としてほぼ確立し、幾つかの流派が誕生した。他の芸能との交流も進み、講釈での人気演目が歌舞伎や人形浄瑠璃化されることもあった。明治時代になって後、講釈は講談と呼ばれるようになった。

江戸末期から明治時代にかけて、講談は全盛期を迎えた。明治末期には立川文庫など講談の内容を記載した「講談本」が人気を呼んだ(その出版社の中に、講談社がある。講談本の成功ですぐに大手出版社になった)。また、新聞や雑誌に講談が連載されるようにもなった。しかし、漫才など他の人気大衆芸能の誕生、大衆メディアの発達などに追いつけず、次第に衰微していった。第二次大戦後はGHQにより、仇討ちや忠孝ものが上演を禁止され一時は大きな影響を受けた。その後テレビの普及によりやはり衰退を続けた。

URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AC%9B%E8%AB%87



画像WagaMagaフォーラム、江戸の粋を満喫

 第13回日経WagaMagaフォーラム「クールなるかな、江戸文化~講談×浮世絵」が10月28日、深川江戸資料館(東京・江東)小劇場で開かれた。「ボストン美術館・浮世絵名品展(江戸東京博物館=東京・墨田)」開催を記念したイベントで、寄席演芸としての「講談」を手がかりに江戸文化や当時の人々の生き方や楽しみ方を考える趣向だ。約2300人の応募から抽選で招待された200人が、高座や対談を通じて現代にも通じる江戸文化の「クール」な魅力を再発見していた。(同フォーラムは日本経済新聞社と日本経済新聞デジタルメディアが主催)

 なおこの日、江戸東京博物館(東京・墨田)で11月30日まで開催中の「ボストン美術館・浮世絵名品展」への招待券が来場者全員にプレゼントされた。フォーラムで探った江戸文化の〝クールさ〟を展覧会で改めて直接目にしてもらう試みだ。

 フォーラムは2部構成。第1部は講談師・宝井琴柳(たからい・きんりゅう)さんの高座。講談は寄席演芸として、江戸時代の辻講釈から発展、江戸末期から明治時代にかけて最も流行したもので、歴史もの、人情ものなど、江戸の社会を生き生きと描いた独特の語り口が特徴だ。

 ――マクラで講談の説明があった――

 お運び、御礼申し上げます。御婦人のお客様、きょうの講談師はいいオトコだと期待しておいででしょうが、業界ではこれでも中の上なんでございます。

(会場笑)

 講談と申し上げてお分かりの方はどのくらいいらっしゃいますでしょうか。「講談?住宅公団でしょ?」なんて冗談もいわれるくらいでしてね。

(会場笑)

 落語も講談も同じ着物を着ているわけございますが、落語と違うのは講談講釈をやる台がございまして、これこれ、この台、釈台と申します。講釈師はこの机を叩きながら話をする仕事なんですよ~、と説明すると、

 「ああオークションの司会ですか」とこれまたお客さんから勘違いされてしまう。

 講釈師は昔から「講釈師、見てきたようなうそをつき」と言われます。

 半分は史実や実録に基づいてお話をするわけですが、半分は偽装、ということになりまして……

(会場笑)

 ――その後、「大岡政談・五貫裁き」と「小牧山合戦余聞・魚屋本多」を披露――

 酒をうまそうに飲む仕草や、魚屋が天秤棒を下げて行商する生き生きとした様を、鍛えた声と独特の間合いで演じ分け、観客をぐいぐい引き込んでいく。その話芸はまさに江戸の粋=クールだ。

 第2部は武蔵野美大教授の今岡謙太郎さんが宝井さんを迎えての対談。今岡さんは、江戸から明治期にかけての歌舞伎、落語、講談など諸芸の交流を研究、浮世絵にも造詣が深いことで知られ、対談では浮世絵をはじめ、「浮き世」で花開いた様々な芸能を取り上げて、江戸文化の面白さ、当時の人々のクールさを探った。

 今岡さん(今) さっきの先生の話を聞けて私は大満足。講釈場は2席やるのがきまりでして、きょうの先生は昔ながらの正しい寄席のあり方でした。

宝井さん(宝) きょうのフォーラムの御題「クール」ってのは私のアタマのことかいな?

今 クールとはかっこいいってことですからね、先生の頭もかっこいいですよ。江戸時代のクールの1つとして浮世絵があり、いろんな種類がありました。発行点数が圧倒的に多かったのは歌舞伎の役者、芝居絵。安く買えるんですよ、日にあたって染料が飛んでしまった絵は1枚3000円くらいで買える。

宝 もっとも噺家や講釈師を描いても売れませんからね。でも噺の登場人物はよく描かれますね。我々の講釈とは自分が講釈師が作る、いまの作家のようでもあり、現地で取材するリポーターや新聞記者のようでもありました。高座のマクラでもお話しましたが、「講釈師、見てきたようなウソをつき」といわれたものですが、わたしの師匠は「見てきた上でウソをつき」でやれ、と指導された。ところで先生、寄席の成り立ちとして、講釈のほうが落語より古いって言われるのはどうなんです?

今 講釈のほうが古かったようです。元はサムライが禄を離れて、昼間寺子屋を開き、夜には太閤記を講談して客を呼んでくる、それが講釈師になったとされます。

宝 するってぇ~と、今にしたら学習塾が夜には寄席に早変わりするイメージだ。

今 それに近いですね。近松門左衛門自身も作者として有名になる前に講釈師をやっていた時期がありました。彼は元は京都の武家出身で、徒然草を講談師でやった。

宝 今岡さんは、見てきたように話しますね(笑)。しかし講釈師は先生といわれますが、なぜでしょう?。

今 ある意味インテリだったんですよ。

宝 あたしなんか、先生といわれても、先に生きているとか、先に生えていたとか、その意味で先生ですからね。

(会場笑)

今 しかし、「小牧山の合戦」、本職とはいえ、見事なものでしたね。

宝 お経みたいでしょ?

今 「修羅場」というんですよね。

宝 ずっと読み続けていくんですよ。弟子入りした当初は修羅場を30分、40分ずっと読まされていましたね。その師匠ってぇのが、芸界でも酒癖のおよろしくないことでは飛び切りで、お客さんにごちそうになって一升瓶抱えて、、赤羽で降りなくてはいけないところが、気付いたら雪国だった(笑)。

(会場爆笑)

今 どうして雪が降っているのか?って。

宝 なぜか回りの連中が言葉がなまっている。その師匠、国定忠治やっていると、途中から清水次郎長になっっている。舞台のソデで見ていて、おいおいおいっ!!って。

今 そうそう、国定忠治も清水次郎長も元は講談なんですよね。

宝 NHKの大河ドラマだって元は講釈が多い。

今 篤姫は?

宝 どうですかね?

今 でも国定忠治も幕末でしょ?

宝 あんなもの、ただのならず者ですよ。群馬に行って「日本一の大親分だろ?」って聞くと清水次郎長がえらい、といわれて、「何いってやがんだ、全国に国定公園があるくれぇ~だ。国定(くにさだ)公園が」って言ってやった。

(会場爆笑)

今 先生、噺家のほうが向いていたのでは?でも、江戸時代にも、いろんなメディアがいったりきたりしました。今なら映画がテレビドラマ、マンガがドラマ、さらに小説に、と行き来するように、当時も似たことがおきています。たとえば、伊達家のお家騒動、山本周五郎の「樅の木は残った」の原田甲斐、近い原型として江戸時代には講釈師の話にあります。


宝 あぁ、平幹次郎さんがやった役ね。講釈から芝居っていうことですが、浮世絵から芝居だと浮世絵が先ですか?

今 当時の浮世絵師は芸術的表現よりは現代の職業デザイナーに近いですね。美人画はいまのグラビアアイドルの水着写真ですよ。

宝 落語と浮世絵の接点は?

今 落語に関しては役者絵の背景に落語家の小噺が入っているのもあります。

宝 役者がポーズとっているバックに小話が字で刷り込まれていたりする?「はとがなにかおとしたね、ふ~ん」とか?

(会場爆笑)

今 においそうな小噺ですね。本当はもうちょっと長い小噺ですが。

(会場笑)
 
今 講釈では何といっても修羅場を調子とって読めるようになるのが大変でね、下手な修羅場だと常連客が怒り出す。「この野郎、眠れないじゃないか」って(笑)。

宝 寝かせるような講釈を読めといわれましたね。

今 一定のリズムで聞かせるのがコツですね。

宝 そういわれてみりゃ、俺はきっと名人だよ。きょうはお客さん、8人くらい寝てたもの。

(会場笑)

宝 まだまだ面白い話がどっさりあって後ろ髪引かれる思いですが、そろそろお開きのお時間になりました。

今 もっとお聞きになりたい方はぜひ寄席へ足をお運びいただければ幸いです。

(会場大きな拍手)


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  

 フォーラムの感想をWagaMaga世代の来場者に聞いてみた。

 町田市に住む吉田祥郎さん、栄子さん夫妻

「僕は江戸っ子で落語の寄席は何度か行ったことがあるのですが、講談はテレビで見る程度でして、生で楽しむのは初めて。語り口が独特でとても興味深かったです」(祥郎さん)

「歌舞伎が好きで何度か行ったことがあるのですが、きょうは対談で歌舞伎、講談、浮世絵との関係の話が聞けて勉強になりました。今後は歌舞伎を見に行くときの見方がちょっと違ってきそうです」(栄子さん)


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  

 米ボストン美術館は5万点に上る浮世絵版画、多くの脚本・肉筆画を収蔵し、そのコレクションは世界随一といわれるが、近年までその多くは非公開だった。「ボストン美術館・浮世絵名品展」では、鈴木春信、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重といった代表的な絵師の作品や、二代目鳥居清倍の漆絵など第一級の作品をそろえている。

URL:http://waga.nikkei.co.jp/enjoy/play.aspx?i=MMWAe4000028102008&&page=1

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