今日は簡単に・・・
「フィギュアの進歩は止まってしまった」エフゲニー・プルシェンコ
バンクーバーオリンピックが終わりを告げた。注目された、フィギュアスケートの結果はご覧のとおり。採点に関しては色々物議を醸しているけれど、それ以前に、トリプルアクセルや4回転など高難度の技の点数が低いという最近の点数の付け方は、長く続くと確かにフィギュアの進歩を止めてしまうだろう。
単なる技と技の繋ぎのスムースさとか、ひとつの技の綺麗さが評価されるというのなら、誰もが出来る技を磨きに磨いて、見た目勝負になってしまうから。
こういうのがエスカレートすると、なんとなれば、派手な衣装と綺麗なスタイル、スケートの技術より美男美女のほうが有利ということになってしまう。
もちろん、フィギュアスケートの見た目の美しさ、表現力という要素を軽視しているわけではないし、大元にまで遡れば、フィギュアは氷上の芸術と呼ばれていて、スポーツというよりは芸術の要素が強かった。
だから、こうした芸術点重視の方向性は、フィギュアの歴史の揺り戻しだと言えなくもない。またぞろ、「フィギュアは芸術かスポーツかといった論争が起こるかもしれない。
ただ、選手が技を研究し、これまで誰も出来なかった新しい技にトライして、それを成功させるという単純な事実は、その競技世界全部を進歩させることは確か。
昔は女子フィギュアでトリプルアクセルを跳べる選手なんていなかった。だけど伊藤みどり選手が成功させて以来、不可能から可能へと変わった。
例え、リスクがあるにせよ、こうした選手たちのチャレンジによって、その競技が進歩していくことそのものまで否定してしまったら、やがてその競技そのものが衰退してしまう。
浅田真央選手は女子フィギュア界を進歩させることのできる数少ない選手の一人。
女子史上初の4回転を目指して、フィギュアスケート界を進歩させて欲しいものだと思う。
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【フィギュア】高難度技決めても勝てない…問われる“あり方”2010.2.26 19:39
より高度な技に成功した者には、応分の見返りがあってしかるべき。その点で今大会のフィギュアは、素人目に違和感を覚えさせた。
最大の論争となったのは男子の4回転ジャンプだ。五輪優勝者は3大会連続で4回転を成功していたが、今回は回避したライサチェク(米国)が金メダル。SP、フリーともに4回転を降りて銀だったプルシェンコ(ロシア)は、「フィギュアの進歩は止まってしまった」と厳しく批判した。
4回転トーループの基礎点は9・80で、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)は8・20。連続ジャンプなら、4回転トーループ-2回転トーループ(同11・10)より、3回転半-3回転トーループ(同12・20)の方が高くなる。日本スケート連盟特別強化選手の中庭健介氏は「採点方法には現場の選手やコーチの意見があまり反映されていない。4回転の点数の低さは高橋(大輔)ともよく話している」という。
技の評価という点では女子も事情は同じだ。浅田が跳んだ3回転半-2回転トーループの基礎点は9・50。金妍児の3回転ルッツ-3回転トーループは10・00。「3回転半の価値は男子と女子で全然違うのに、基礎点が同じというのにも疑問を感じる」と中庭氏。
「(高難度技は)今の制度では評価されない。採点システムは変更されるべきだ」とプルシェンコ。スポーツとしてのあり方が問われている。
URL:http://sankei.jp.msn.com/vancouver2010/news/100226/oai1002261941045-n1.htm
伊藤 みどり
伊藤 みどり(いとう みどり、1969年8月13日 - )は、愛知県名古屋市出身の元フィギュアスケート選手。東海女子高等学校(現、東海学園高等学校)、東海学園女子短期大学卒業。身長145cm。 フィギュアスケートの女子シングル競技で、1988年カルガリーオリンピックで5位入賞、1992年アルベールビルオリンピックで銀メダリストとなる。1989年世界選手権では初優勝。
ジャンプの伊藤として世界的に名前が知られ、全日本選手権8連覇、女子選手として世界で初めて公式戦でトリプルアクセル(3回転半)を成功させるなど、女子フィギュアスケート界に数々の金字塔を打ち立てた。伊藤の突出したジャンプ技術は、それまで優雅に氷上を舞う芸術だったフィギュアスケートを、鍛え上げられたアスリートが技を競い合うスポーツへと変革させた。1989年、「もっとも高得点をとったフィギュアスケーター」としてギネスブックに掲載。2004年3月25日、日本人初の世界フィギュアスケート殿堂入り。2007年3月22日、開催中の世界選手権の会場で国際殿堂入りの表彰式が行われた。
トリプルアクセル
伊藤がトリプルアクセルを跳ぼうとした当時、女子選手はダブルアクセル(二回転半)が限界で、男子選手でも世界のトップクラスの数名しかトリプルアクセル(三回転半)を競技会で使うことは無かった。
伊藤は84年春に練習を開始、6月6日の練習で一旦完成するが競技会では成功せず、成長期を迎えたことで怪我のリスクを考えて練習を中断した。カルガリー五輪後の1988年5月に練習を再開。競技会で初めてトリプルアクセルに成功したのは、同年10月に地元名古屋で開催された愛知県選手権だった。そして、翌年の世界フィギュア選手権で成功させると、伊藤以外の女子選手もトリプルアクセルに挑むようになる。しかし、1992年のアルベールビル五輪までにトリプルアクセルを成功させた女子選手は、伊藤とトーニャ・ハーディングの二人だけだった。
その後、国際大会でトリプルアクセルを成功させた女子選手は、伊藤から十年後の中野友加里とリュドミラ・ネリディナ(2002年、スケートアメリカ)、浅田真央(2004年、ジュニアグランプリファイナル)だけで、伊藤とハーディングを含めて五人しかいない。また2010年現在、伊藤以外にオリンピックでトリプルアクセルを成功させた女子選手は、18年後のバンクーバーオリンピックでの浅田真央のみである。
URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E3%81%BF%E3%81%A9%E3%82%8A
フィギュア女子SP、浅田選手のトリプルアクセルに歓声
最大の武器、トリプルアクセルを成功させ、73点を超える高得点が表示された瞬間、浅田選手は「オーッ」と驚いた表情を浮かべ、「すごい、すごい」と喜んだ。
濃いピンク色の鮮やかな衣装に身を包んだ浅田選手は会場の大歓声に迎えられた。演技の序盤、五輪女子では伊藤みどりさん以来となるトリプルアクセルを宙高く軽やかに決めると表情に余裕が。組曲「仮面舞踏会」のワルツに乗って全身を大きく使ったスピン、足を高く掲げたスパイラルで躍動感あふれる演技を見せた。
中盤以降は会場から大きな手拍子もわき起こり、観衆を味方に付ける会心の演技。演技を終えると銀盤上でホッとしたように胸をなで、タラソワコーチと「やったー」と強く抱き合った。「とりあえずほっとした」という浅田選手。「まだフリーがあるので」と気持ちを引き締めていた。
浅田選手の次に演技した韓国の金選手。トリプルアクセルで高得点を出したライバルの演技を見ても動じない。自信に満ちあふれた表情でリンクに降り立った。
映画007シリーズの音楽に乗せ、ダイナミックでしなやかな演技。3回転ジャンプをミスなくこなし「世界選手権女王」の名にふさわしい余裕の笑顔を見せた。
演技の締めくくりは手を合わせて拳銃を撃ち抜くしぐさ。観客やジャッジのハートを打ち抜き、浅田選手を上回る最高得点をたたき出した。
URL:http://sports.nikkei.co.jp/index.aspx?n=ASDG24029%2024022010
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