剛腕の膏薬な思惑(小沢幹事長の進退問題について 最終回)

 
もしも、剛腕殿が党を割って出ることがあるとするならば、そのタイミングは、当然、政党助成金が支給された後。政党助成金は4,7,10,12月に支給されるから、まずは4月の支給後あたり。次が参院選後の8月が狙い目。

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剛腕殿にしてみれば、今の段階で民主党内での多数派工作をさせてしまえば、誰が味方で、誰が敵かが分かる。自分の味方とチルドレンあわせて、100~120人くらい連れ出すことができれば、政界再編は確実。連れ出すのは衆議院議員が殆どだろうから、参院選は適当に何人か擁立してお茶を濁せばいい。

選挙資金は、もちろん、ゲットした政党助成金で食いつなぐ。

かつて自由党は、剛腕殿を支持する連立離脱派と、野田毅・二階俊博などの連立残留派に分裂したことがある。

連立残留派は保守党を結成して26名が参加して、自由党は衆参合わせて22名となり、真っ二つになった。その際、保守党は、政党助成金を半分ずつ分け合うために分党を要求したのだけれど、自由党はこれを拒否した為に、保守党議員は離党扱いになった。そのおかげで保守党は、政党助成金ゼロで総選挙を迎えることになった過去がある。

剛腕殿はそんな経験をしている。だから、万が一党を割って出るにしても、支給された政党助成金はきっちり分捕ってゆくものと思われる。

民主党にしてみれば、自身で浄化作用を発揮することもないまま、剛腕殿に出て行かれてしまう。世間からはそう見られることになる。

仮に剛腕殿が党を割って出ていくとして、それが参院選の前なのか後になるのかは、なんとも云えないところがあるのだけれど、仮に参院選で敗北して、民主党が単独過半数が取れなかった場合は、今よりも更に一段と、参院選敗北の責任を剛腕に求める声が強くなるだろうから、俄然、党を割る選択肢が浮上すると見る。

また、参院選の前に党を割って出ていくとするならば、それはおそらく、オバマ大統領との会談が実現しないか、適当にあしらわれる程度の軽い扱いになったときだろうか。

幹事長を辞めるというカードは、剛腕殿が民主党に留まる場合にのみ、支持率の向上という効果を発揮する。剛腕殿にしたら、それだけのカードを切るからには、それ相応の見返りを求めるだろう。その見返りとは、幹事長を辞しても、依然として党内に影響力を保持するということ。

それが見込めないとなったら、参院選の前に党を割る選択だってあると思う。



そうなった場合、民主党は大混乱に陥るだろうけれど、もちろん友愛殿にそれを纏める力はない。支持率も回復しない。最悪の場合、民主党が瓦解する可能性だってある。もしも、剛腕殿一派が民主党を抜けるのが5月の国会閉会後だとすると、民主党は参院選までの2ヶ月の間に体制を立て直すことは極めて困難になると思われる。

現状でも、友愛首相殿で参院選を戦えるのか危ぶまれているのに、その上、剛腕迄もいないとなったら、一体、どうするのか。

幹事長は誰を立てるのか。党運営はどうするのか。普天間の県内移設で反対を続けている、社民党を切るのか切らないのか。又は、公明党を連立与党に引きこむのか。

また、選挙協力を含めて、連立相手との調整はどうするのか。党首選はやり直すのか。

ちょっと考えただけでも、選挙前にやらなければならないことが山積してる。もちろん内閣は、それとは関係なく、国家運営を続けなくちゃいけない。

野党時代ならいざ知らず、わずか2カ月で、連立相手と調整を取りつつ党首選をやり直して、参院選に臨むのはかなりキツイ。

こうして見ると、やはり民主党は剛腕頼みの部分が相当あって、今の時点で剛腕殿に出て行かれるとにっちもさっちもいかなくなる公算が高い。だからもし、あまりにも党内の反小沢の動きが強まるようであれば、剛腕殿は、俺の言うことを聞かないのなら出て行くぞと、逆に内閣を脅しに掛かることだって十分に考えられる。

むしろ、可能性としてはこちらのほうが高いかもしれない。

つくづく因果な人である。

剛腕殿は、どちらに転んでも良いように、生き延びる道を探っている。剛腕の膏薬には、まだ接着力が残っている。全てのポイントは5月に収斂しているように思えてならない。



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画像小沢一郎の詳細情報

《前略》


○自由党時代

・結党・与党復帰

1998年1月6日、自由党を結成、小沢は党首に就任した。当初、100名以上の衆参両議員が集まると思われたが、結局、衆院議員42名、参院議員12名の計54名が参加するに留まり、野党第1党の座を民主党に譲り渡した。
同年7月12日の第18回参院選では苦戦必至と思われていたが小沢人気もあり比例代表で514万票、合計6議席を獲得し善戦した。参院選後の臨時国会では、首班指名に民主党代表の菅直人を野党統一候補に臨み、参院では自民党の小渕恵三を抑え菅が指名された(衆院では小渕が指名されたため、衆議院の優越の原則から小渕が首相に就任した)。
小沢は参院での野党共闘により政府・自民党を追い込む戦略であったが、菅は「政局にしない」と発言、金融再生法の制定で自民党と協力したことにより野党共闘はほころびを見せた。
1998年10月、小沢は内閣官房長官野中広務と会談、連立交渉を開始し、同年11月19日、小渕内閣との間での連立政権について合意した。そして1999年1月14日正式に自自連立政権が成立し、党幹事長の野田毅が自治大臣として入閣、小沢は5年ぶりに与党へ復帰した。この連立の間に衆議院議員定数20の削減、閣僚ポストの削減、および政府委員制度の廃止と党首討論設置を含む国会改革が行われた。また、同年発刊された文藝春秋9月特別号に「日本国憲法改正試案」を寄稿し自らの改憲論について語っている。
1999年7月、公明党が政権に入り、自自公連立政権が成立した。自民、公明両党で参院の過半数を抑えることになったため政権内部での自由党の存在感は低下した。自自両党の選挙協力も遅々として進まず、小沢は自民党総裁の小渕総理大臣に対して自自両党の解散、新しい保守政党の結成を要求した。中曽根康弘、亀井静香等は小沢の復党を認める方針であったが党内の反小沢勢力は「小沢の復党は認められない、小沢抜きでの復党は認められる。」とし小沢自身も「復党が認められなければ連立解消だ。」と珍奇ともいえる主張を行い両者は2000年4月1日、会談するが、合意に達せず、結局連立を解消した(なお、この後に小渕は脳梗塞で倒れ、5月14日に死去した)。

・分裂

自由党は、小沢を支持する連立離脱派と、野田毅・二階俊博などの連立残留派に分裂し、残留派は保守党を結成した(分裂の結果、自由党は衆院議員18名、参院議員4名の計22名に半減、保守党には26名が参加)。小沢と袂を分かった保守党は政党助成金を半分ずつ分け合うために分党を要求したが、自由党はこれを拒否。保守党議員は離党扱いになり、政党助成金を全く得られず総選挙を迎えることとなった。
2000年6月25日の分裂直後に行われた第42回衆院選で、小沢人気もあり比例代表で約660万票を獲得、現有議席を上回る22議席を獲得し善戦した。このとき、約20億円を投じたとされるテレビCM(小沢が顔を殴られる)は話題となった(一方、保守党は7議席へと激減)。連立離脱後は野党共闘路線へ舵を切ることを余儀なくされたが、(過去に小沢から酷い目に合わされたと感ずる)旧新進党や旧社会党出身者が多い民主党を始めとした野党との関係は当然ギクシャクしたものにならざるを得なかった。
2001年1月、将来の指導者育成を目指し、党内に小沢一郎政治塾(小沢塾)を開設した。なお、小沢塾は民主党との合併後は小沢個人の私塾として運営。
同年7月29日の第19回参院選では、自民党に小泉旋風が吹き、小沢の地元・岩手県選挙区でも大苦戦を強いられたが、僅差で勝利した。議席数は前回と同じ6を維持したものの、自由党の比例代表は約420万票に止まった(第18回参議院選挙より約100万票、第42回衆議院選挙より約220万票の減少)。

・民主党へ合流

2002年、第19回参議院選挙での結果もあって、小沢は鳩山由紀夫(当時民主党代表)からの民主・自由両党の合併に向けた協議提案を受け入れた。しかし、民主党内の調整が不十分であったこと及び民主党内の小沢に対する拒否反応の為に頓挫した(なお、鳩山は代表辞任に追い込まれた)。鳩山辞任後に民主党代表に選出された菅直人によって、いったん合併構想は白紙に戻ったが、小沢は党名・綱領・役員は民主党の現体制維持を受入れることを打診し、両党間で合併に合意した。
自由党と民主党の合併の直前に、自由党から13億6816万円の寄付が改革国民会議に対して行われた。改革国民会議は小沢一郎が代表を務めており小沢の関連団体である。13億6816万円のうち5億6096万円が税金を原資とする政党助成金であった。後にこの行為は問題視され、政党助成金法改正案として議論された。

URL:http://www.giincolle.com/giin/125/prof/?wid=2



画像自由党が保守党と分かれたときの政治資金の使い道、これが不動産のほうに利用されているのではないか。posted on 2010年01月25日 4:00

【政治】22億8000万円が小沢氏の団体に…新生、自由党解散時の残金
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1264292840/


264 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/01/24(日) 10:35:05 ID:ON4DnsZ70 (PC)
扇チカゲ 保守党を立ち上げた後の記者会見にて


「お金?ありませんよ。 小沢さんが全部独り占めして私たち何もなしで独立しましたから」

「小沢さんお金返してください」


271 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2010/01/24(日) 10:37:23 ID:vgnhhxPoP (p2)
>>264
ひえ、マジかよ
小沢、ホント最悪だな


283 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/01/24(日) 10:41:45 ID:ON4DnsZ70 (PC)
>>271
証拠品欲しいか?

ところで、小沢一郎は2000年の自由党時代、扇千景さんらが保守党を作って出て行った時、政党助成金をガメていたみたいね。

議員に対して出ている金、すべて合わせて20億。出て行ったからと、1円も出さなかったようです。

扇さんの悲痛な叫び

扇チカゲ   「我々に政党助成金を渡さないなら 国庫に戻せ! お ざ わぁぁぁぁぁ!!!!」

と叫んでるよ


394 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/01/24(日) 11:12:54 ID:KRDD0b4W0 (PC)
誰か西村眞悟の例の発言のいいソースもってないかな

「私は小沢とともに政党を渡り歩いたが、そのたびに彼の不動産が増えていった」ってやつ

しかしこれ>>283 すげーな
みんなみろ


421 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/01/24(日) 11:22:27 ID:ON4DnsZ70 (PC)
>>283の追加情報

さて、それでここからが本題です。

丹羽雄哉総務会長のブリーフによると、本日の総務会で井上喜一衆院議員から、とても興味深い提案がありました。それは次のようなものです。私は、とうとう公の席でこの話をする人が出てきたか、と驚きのようなものを感じました。

《井上さんから、「この問題と言うよりも、自由党が(保守党と)分かれたときの政治資金の使い道、これが(小沢氏の)不動産のほうに利用されているのではないか。党のほうで調べてほしい」ということなので、執行部で対応してほしいと言った。》

井上氏は現在は自民党ですが、以前は自由党に所属していたベテラン議員です。
2000年4月に、自由党が保守党とに分裂した際に保守党側に入り、保守新党を経て自民党に復党しています。
私はこの分裂時の自由党・保守党を担当していました。そしてこのとき、保守党に行った政治家たちが異口同音に悔しがっていたのが、「自由党から政党助成金の分与がない。人数に応じて分けるべきだ。なのに小沢氏は一銭も渡さない」というものでした。

自由党に残った側は、「勝手に出ていく者に金を分ける義理はない」という姿勢でした。

その後、紆余曲折を経て自由党は2003年7月に民主党と合併しましたが、永田町では、「そのときに自由党が持っていた13億円とも言われるお金(預貯金)はどこへ行ったのか?」とずっとささやかれていたのです。

こういう噂話は、なかなか裏がとれるものではないので、私も関心を覚えつつも手が出せないでいたのですが、井上氏の指摘は、まさにこの点を突いたものではないかと。

これは数週間前のことですが、ある自民党幹部は「小沢氏の政治団体の収入と購入した不動産の金額が符合しない」とも話していました。

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/183043/


430 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/01/24(日) 11:25:11 ID:yTKqghya0 (PC)
>>283
政党助成法ってゼネコン汚職事件が問題になって出来たのになw
やってる本人が貰ってやんのwしねよw

URL:http://awfuljapan.livedoor.biz/archives/51404087.html

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