「匠」の技に甘えた公差(アメリカの自動車戦略 補追2)

 
「出来上がってきた部品の精度が悪いと、発注先の技術力が低いんだと決めつけていた。しかし実は、図面通りの部品である場合も多かった。国内の優秀な加工業者のおかげで、不十分な公差設定でも物が出来上がっていたため、勘違いしていた。」
メーカー設計者


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一個の部品だけをみれば、公差の範囲内であったとしても、公差ギリギリの部品が何万個と集まれば、全体の歪みは相当なものになる。

だから、部品1個の公差といっても、その値は、装置全体を組み上げたときを想定した上での値でなくちゃいけない。

ところが、今や、その公差の値が必ずしも装置全体の動作を保証するものとは限らなくなってきているという。

その理由の一つとして、激しい競争の中、コストダウンを迫られる設計者が、少しでも設計コストを安くあげようと、公差の検討時間を端折って、既存製品の公差の流用を行なうケースが増えているというのがある。

確かに、既存製品の設計公差を流用すれば、その分だけ設計期間は短縮できることは間違いない。だけど、それをいつまでも繰り返していたら、どういう理由でその値に公差が決められたのかという根拠が失われ、技術力の低下を招くことになる。

何年も前の公差を、今でも何の検証もなく当たり前のように使い続け、その結果、出来上がった製品の性能が出ないなどのトラブルに見舞われることだってある。

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また、年々進歩する加工技術に対して、加工現場と設計者との間で、公差に関する情報の交換・共有がうまくいかなくなってきている問題もあるという。

ある加工メーカーの技術者によると、昔と違って、今はCADデータだけを送ってきて、一言の説明を受けることもなく加工しなくてはならない状況になっているそうだ。

現代の製品は、何十枚何百枚もの図面が集まって漸くひとつの製品になるのが普通。だから、部品単体の公差とて、その製品全体の設計を把握した上での値でなければならない筈なのだけれど、今では、個々の部品を担当する設計者がそれぞれ別になっていて、誰が公差を検討すべきなのかが明確にならないという問題を抱えている。

今や、日本の製造業においてさえ、不十分な公差設定であっても、それがまかり通っている現実に直面している。

それでも製品が動いていたのは、実際の部品を作る日本の加工業者が、図面の公差以上の精度を持つ部品を納めていた部分に追うところが大であったのだと思われる。

冒頭の設計者のコメントに見られるように、この公差でいいのだと設計者に勘違いさせてしまう程の日本の「匠」な加工業者達。彼らの存在なくして日本の製造業はない。

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