ジャイアンからの被害を軽くするために、スネ夫になる以外には、しずかちゃんになる、という方法があります。
ジャイアンもしずかちゃんを苛めるような真似はしません。これは、女の子に手を出してはいけない、という自制が働いているからです。
スネ夫は、その金と口の上手さによって、ジャイアンの怒りの矛先を向けられないようにしているのですけれども、別に彼自身の人物に尊敬が集まっているわけではありません。
スネ夫から金と口の上手さが無くなったらただの嫌な奴というだけで、総スカンを食らってもおかしくないのです。
それに対して、しずかちゃんは、お金持ちでも、おべっかを使うわけでもありません。けれども、ドラえもんの世界では、しずかちゃんは「神聖にして侵すべからずの存在」というキャラクターとして定着していて、ジャイアンからの怒りの矛先を向けられることがない、という強みがあるのですね。
この日本がしずかちゃんになるという方法は、要するに、日本が世界に対する、神聖にして侵すべからずという何らかの「権威存在」となる、ということに当たります。
まぁ、ひらたく言ってしまえば、日本が例えば、「ローマ法王」になってしまえば、簡単に襲われることはないだろう、ということですね。
アメリカとて、裏ではいろいろな工作をするかもしれませんけれども、表立ってローマ法王を攻撃することはしません。
それは、全世界のキリスト教徒を敵に回してしまうからです。それ以前に、アメリカ国民の大多数はキリスト教徒ですし、大統領も聖書に手を当てて宣誓します。
したがって、アメリカは事実上のキリスト教国と言って差し支えないのですけれども、そうであるが故に、そのアメリカがローマ法王を攻撃するのは非常に難しい。
要するに、何がしかの「権威」に逆らうものは、悪と断じられてしまうわけです。それを利用するということです。
つまり、日本が世界にとっての何らかの「権威」になって、「日本を護ることは正義、日本を攻撃することは悪だ」という構図を作ればいいということになります。
そして、そのような世界的コンセンサスを得ることができれば、日本を攻撃することは非常に難しくなるというわけです。そういう手がある。
日本には、天皇陛下がいらっしゃいますけれども、アメリカ大統領が国賓として海外の要人を招くとき、空港までホワイトタイでお迎えするのは、天皇陛下、ローマ法王、イギリス女王の3人だけです。
アメリカとて、そういう権威は認めているわけです。
では、そうであるのに何故、今の日本は、ジャイアンの「心の友」扱いされてしまうのか。
それは、そういった陛下の権威が、国際儀礼上のものにとどまっており、所謂「政治的権威」ではないからということと、陛下は神道の祭司長であって、キリスト教の法王ではないという2つの理由にあると思われます。
つまり、天皇陛下は「他宗」の宗教的権威として丁重に扱うけれど、アメリカとは別の宗教でもあるし、政治とはまた別だ、ということですね。
アメリカ大統領が、ローマ法王に礼を尽くしたとて、アメリカ国民は取り立てて批判はしないでしょうけれども、先日、オバマ大統領が陛下との面会に際して、最敬礼したときには、アメリカの世論は沸騰しました。そういう違いがあります。
ですから、日本がしずかちゃんになるためには、キリスト教に対するアプローチを行なって、日本はキリスト教と無縁というわけでもないのだ、とアピールしつつ、同時に「政治的権威」にまで日本の存在を高める必要があります。
では、そんなことが本当に可能なのか、ということですけれども、一時期そちらの方向に近づいた事があります。麻生政権がそうです。
麻生さんに、一定以上の政治手腕があったことは、多くの人が認めるところだと思いますけれども、例のサブプライム危機において、IMFへの1000億ドルの貸付など、一時期であるにせよ、政治的に世界を引っ張っていたことは事実です。
バブル崩壊を経験した国として、麻生さんは他国にいろいろとアドバイスしていました。ですから、ある意味において、バブル崩壊に対して、国としてどう対処すべきかについての「政治的権威」になっていたわけです。
とりわけIMFの貸付などは、IMFのストロスカーン専務理事をして、人類史上最大の貢献、とまで言わしめたのですから、世界もそれを認めていたのです。
もしもあの時、日本を攻撃していたら、世界が沈没していたかもしれなかったのですから、日本の言うことを聞くことはあっても、蔑ろにすることはありえません。
そして、もうひとつのキリスト教との繋がりについてですけども、これについても、麻生さんは、実にぴったりの資質を備えていました。
それは勿論、麻生さんがクリスチャンであるからです。そして更に、麻生さんは天皇陛下とも親戚関係でもありますから、麻生さんの存在自身が、日本神道とキリスト教を結びつけていたというわけです。
日本の宗教的権威と外戚関係にあり、同時に、キリスト教との繋がりを持っているという2つの宗教的権威に属する人物。それが、日本の総理であった。この意味は決して軽いものではありません。
麻生さんは、ローマ法王に招かれバチカンで単独会見をしましたし、総理就任時には、外国メディアにクリスチャン首相誕生だと大々的に報道されていたと記憶しています。
いうなれば、世界の目が日本の総理に集まっていたわけです。
ですから、あの時期の日本は、宗教的にも、政治的にも一つの権威存在となりつつあり、しずかちゃんに近づいていたのだと思われるのです。
ただ、この方法に難点があるとすれば、「権威を無視する国」には一切通用しないということです。
明日につづきます。


【ローマ13日共同】ローマ法王庁(バチカン)の外交担当部局トップ、マンベルティ外務局長(57)は12日、15日からの初訪日を前に共同通信などと会見し、カトリック教徒である麻生太郎首相が望めば「法王ベネディクト16世は喜んで会談に応じる用意がある」と、双方の会談を歓迎する姿勢を示した。
さらに、会談の場で「法王の訪日について話し合うことも可能だ」と強調した。日本の首相と法王との会談は、1999年に小渕恵三元首相が前法王ヨハネ・パウロ2世(いずれも故人)とバチカンで会って以来行われていない。
麻生首相は政治情勢が許せば7月に主要国(G8)首脳会議(サミット)出席のためイタリアを訪問する意向で、関係者の間で約10年ぶりの会談実現が期待されている。
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URL:http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009031301000597.html
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