先日「政治家にとっての安全保障について」のエントリーで、私なりの安全保障の考え方について、記事にさせていただいたのですが、それに関して、アルルの男・ヒロシ様からツイッター上で、興味深いコメントをいただきました。
今日はそれを踏まえて、もう少しこのテーマについて考えてみたいと思います。
まずは、アルルの男・ヒロシ様からのコメントは次のとおり。
アルルの男・ヒロシ (bilderberg54) on Twitter@kotobukibune 「心の友」っていうのはつきあっている方は、ジャイアンリサイタルの切符を押しつけられたりして嫌がっている存在ですからねえ。ジャイアンの母ちゃんでも居れば良いんですが。ギッタギタにされても反論すべきかという哲学の問題でしょうかね。
確かに、ジャイアンにとっては「こころの友」でも、「こころの友」に認定されたほうにとっては、迷惑この上ないことは良くあります。
アメリカをジャイアン、日本をのび太だと仮定してみても、現実には似たようなことは起こっているわけです。
例えば、ジャイアンリサイタル(米国債)の切符を押しつけられたり、貸した本(ベイグンキチ)を返してくれと言っても、中々うんと言わなかったり、挙句の果ては、「いつ返さなかった、永久に借りておくだけだぞ」といわれたりしているのかもしれません・・・(冗談ですけれど)
今の世界には、アメリカに無理矢理言うことを聞かせる、所謂ジャイアンの母ちゃんにあたる存在は居ません。では、ジャイアンとどうやって付き合っていくべきか。
1.ジャイアンが世界一であるのは腕力だけではない
それを考える前に、アメリカというジャイアンについて、少し見てみたいと思いますけれども、まず、アメリカというジャイアンの強さは、その腕力、即ち、軍事力だけではない、という点は、ポイントとして忘れてはならない部分であると思うのです。
ドラえもんの中のジャイアンは、「ジャイアンズ」という野球チームを作っていますけれど、あれと同じで、アメリカは自分のそばに、価値を有む色んな仲間を呼び寄せては、集めているんですね。
手先が器用なのもいれば、勉強ができるのもいる。お金持ちもいれば、身体能力があるのも居る、という具合に、総体として、ありとあらゆる分野のトップがアメリカには集まっているわけです。
それゆえに、アメリカは、経済力、文化・学問、で世界のトップを走っており、それがまた、アメリカの力の源泉にもなっています。
なぜ、そんなことができるかといえば、能力や才能ある人をそれなりに遇することができる、つまりこれは、と思う人物や研究になら、大枚をはたいてでも呼び寄せる、そうした懐の深さがあるからです。
たとえば、研究学問分野ひとつとっても、見込みがあると思う研究には、ドバッと予算をつけて、好きなように研究できる環境を整えています。ですから、腕に覚えのある人は、皆アメリカに行きたがる訳ですね。
そのお陰で、アメリカの学問分野での実績には目覚しいものがあります。
一例として、ノーベル賞の国籍別の受賞者数はのTOP10を見ると、次のとおりです。(Wikipediaより引用)
国籍別の受賞者数
全部門
順位 国 受賞数
1 アメリカ合衆国 305
2 イギリス 106
3 ドイツ(+ 東ドイツ) 80
4 フランス 54
5 スウェーデン 30
6 スイス 22
7 ロシア(+ソビエト連邦) 19
9 日本 15
9 オランダ 15
10 イタリア 14
お分かりのとおり、アメリカの受賞者数が群を抜いています。これも、それだけの研究環境とそれだけの頭脳を集めているからこそ可能なのですね。
ドラえもんの中のジャイアンも、自分のチームを強くするために、野球のできる子をスカウトしたりとかしてますけれども、野球の上手い優れた者は4番に据えたり、エースにするくらいの「度量」はあるわけです。
同じことは、スポーツ分野でも、芸術分野でも言えます。つまり、ある意味一芸に秀でた人、優れた人達を集めては、彼らの能力を最大限に「引き出して」やることで、自らの国力に変えていっているのが、アメリカの力の源泉になっているということです。
ゆえに、アメリカという「ジャイアンズ」はチームとしてみた場合、世界最強であるわけです。
明日につづきます。
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この記事へのコメント
日比野
>国民や国益を守る時に見せる決意と連帯の強さと判断力
強さがあっても、それを発揮する意思がなければ意味ないですからね。
日本は内在する強さはあっても、発揮する意思がない。その差が大きいのだと思います。
mor*y*ma_*atu
ちび・むぎ・みみ・はな