ツイッターを使い始めてまだ、一週間も経っていないのだけど、とある方々のツイッターでの議論と、他のTLをつらつらと見ていて感じた違和感について。
ツイッターは確かに面白い面があることは間違いない。それについては、以前「ツイッターは釣りである 」のエントリーで書いた。特にフォローとツイートによる緩い繋がりは色々な可能性を持っていると思う。
ただ、そのフォロー&ツイートそのものに付随した「違和感」を覚えることがある。
それは、たとえば、ある人のラインから、別の人のラインに移って、そちらをフォローしていると、応々にして、同じ「つぶやき」、所謂リツイートに出くわす確率が、他のネットやブログなどより相当高いように思われること。
筆者的は、これに結構違和感を覚えている。
まぁ、これは、見ているタイムラインの癖にも拠るところもあるかもしれないとは思うけれど、一番の原因はやはり、ツイッター特有のリツイートのし易さにあるのだと思う。
つまり、ツイッターでは、「@RT・・・@RT・・・@RT・・・」という具合にリツイートのリツイートが簡単に出来てしまい、また、それがフォロアー全員に可能であるために、人気のある呟きに対してリツイートを重ねられてしまうと、トータルのリツイート数が爆発的に増大してしまう。
たとえば、ある呟きを3人がリツイートしたとして、それを見た、それぞれ別の3人がまたリツイートしたとすると、ツイッター上のリツイート総数は
1つぶやき×3リツイート×3リツイート=9リツイートとなる。
たった、3人のリツイートを別の3人がリツイートしただけで、1個の「つぶやき」が9個に増殖する。
もし、それが、何千、何万ものフォロアーを抱える人の呟きで起こったとしたら、もう天文学的な数になって、あらゆるライン上に溢れてしまう。いわば、「ツイートのねずみ講」。
よくネットブログ等で、募金やら何やら、多くの人に伝えたり、協力を呼び掛けたりしたい事がある場合には、よく表題に「拡散希望」とか書いて、それを見てくれた善意の第三者のコピペに期待した拡散方法を取る事があるけれど、ことツイッターに関していえば、この手の拡散は遥かに容易い。
ネット上の普通のブログとツイッターを比べた場合、相手との繋がりの視覚化という観点からみれば、ツイッターのそれはブログとは比較にならない。
何某かのブログを見ているとき、その本人はブログの記事と対面して繋がっているけれど、その繋がりは、ブログとそれを読んでいる本人という、1対1の関係で繋がっている。
ところが、ツイッターは、誰かフォローしている相手に対して、更にその人をフォローしている人まで見えて、そちらのラインに入ることもできるから、繋がりは1対1ではなくて、1対多数(n)の関係になっている。
従って、ある人の呟きが非常に人気になったとして、そのリツイートがその人のフォロアーを通じて、次々とリツイートを繰り返すと、その人を中心としたリツイートの記事の壁、もしくは囲いみたいなものが形成されてゆく。
だから、その人のラインに入って、他のラインを辿っていくと、何処かでみたようなリツイートにぶつかって、そこからまた他のラインに入っていっても、やはり同じリツイートにぶつかってしまうという事が起こり得る。
これは筆者の個人的見解にしか過ぎないのだけれど、フォローしている人のラインから別のラインへ移動した時、自分がある会話の流れから、また別の会話の流れに「自分の意思で移動した」という感覚を感じることがある。
そして、その移動した筈の空間(ライン)で、さっき見た同じ記事をリツイートでまた見せられると、自分が歩いていった先で、何か行き止まりに当たってしまったようになり、一種の「閉鎖空間」に閉じ込めらてしまったような、妙な違和感を覚えてしまう。
普通のネットブログのサーフィン程度では、偶然ぶつかることはあっても、ツイッター程、同じ記事には出くわさない。
この妙な違和感は、単に筆者が慣れてないせいだけかもしれないけれど、ネットの中でも、これまでとは異なる、一種独特の感覚がある。不思議なツールではある。

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mor*y*ma_*atu