竹中平蔵氏のツイッターでこんなのがあった。
HeizoTakenaka 世論は本当に不思議で、掴みどころがない。菅内閣への支持率が低下しているが、もっと不思議なのは、そもそも鳩山さんから菅さんに替わっただけで、なぜあんなに支持率が高まったか、ということだ。さらに不思議なのは、何もしていない自民党の支持率が上がっていることだ。
変わっただけで支持率が回復したのは確かだけれど、これは自民党時代も同じ。まぁ、友愛殿から空き菅@けものへん殿への交代したときほどの変化は、あまりなかったかもしれないけれど、内閣改造しても、支持率が回復することはあるから、経験則として、支持率表紙を変えただけで支持率があがるという傾向はあると見ていいかも知れない。
何も実績を出していない段階で支持率があがるのだから、これはもう期待感としか説明しようがない。
これは、野球やサッカーでいうところの監督交代したときのそれにも似ている。
成績が低迷したチームは、次のシーズンには監督が交代するのは良くあることだけれど、中には、あまりに酷い成績とか、監督の体調悪化なんかで、シーズン半ばで監督が交代することもある。
選挙を契約満了後の監督交代と見るならば、内閣総辞職に伴う、後継首相の選出は、ちょうど、このシーズン途中での監督交代にあたるだろう。
普通、何かの事情でシーズン中に監督が交代する場合は、大抵は、そのチームのヘッドコーチとか、二軍監督を昇格させて、監督代行にするケースが多い。
まぁ、シーズン中に、他所から有力監督を引っ張ってくることなんか、普通は難しいから仕方ない。
シーズン中に監督が代わったとき、チームのファンの心理としては、シーズン終了までの中継ぎ監督であっても、最低限今のチームを立て直して欲しい、又は、チーム状態が良い場合は、なんとか今の成績を維持して欲しい、という願いを持っていると思われる。
つまり、シーズン途中での監督交代のように、オーナーおよびファンの承認を得ていない人が監督になる場合は、兎にも角にも、結果を出してくれることが最優先であって、守り勝つ野球だとか、機動力野球とかいった、新監督のやりたい野球を見せて呉れとは、必ずしも思っているわけではないということ。
あくまでも、現状を打開するための、「緊急避難的」な交代であって、それを蔑ろにするようでは、ファンへの裏切り行為になる。新監督のやりたい野球は、勝ってみせてから行うもの。
だから、あまりにも、前監督のやり方を否定して、自分のやり方を貫く場合は、それなりの覚悟と現実に結果を出さなければならないというプレッシャーを受けることになる。
逆にいえば、新監督が、自分のやりたい野球を押し殺して、前監督の野球を踏襲するのなら、やり方に対する批難は少なくなるけれど、それでも、結果がでないと、今度はそちらで叩かれる。
このあたりの塩梅は非常に難しい。
サッカーでも、オシム代表監督が倒れて、急遽代役に立った岡田監督は、交代後しばらくの試合は、オシム流のサッカーを目指していた感がある。
だけど、それでは勝てないことを悟って、自分流で行こう、とふっ切ってから、今の岡田JAPANが出来たのだ、とも言われている。
それは、そのとおりだと思う。
これを、政治に引き戻すと、自民党政権時でもそうなのだけれど、任期途中での首相交代はあくまでも、国民というオーナー、ファンの承認を受けた訳ではないから、どうしても、前首相のやり方や方針を踏襲しようと考えて苦悩することがあるのではないかと思う。
だけど、それを打開するのは、結果あるのみ。
だから、どんなやり方をするにせよ、任期途中で交代した首相は、並み以上の覚悟と実力が要求される。
前政権のやり方を否定すること自体は駄目だとは言わないけれど、自分のやり方を貫くのであれば、それ相応の覚悟を持って発言していただきたいと思う。
空き菅の中にそれが詰まっているのか。その答えの一つが今日、明らかになる。
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