ほどほどの努力では、ほどほどの幸せもつかめない
一生懸命がんばって、一生懸命はたらいて
豊かな「いちばん!」の国を創りましょう自民党ネットCM 小泉進次郎編
自民党の参院選のキャッチフレーズは「いちばん!」。まぁ、民主党仕分け人の迷台詞「一番じゃなきゃ駄目なんですか」に対抗してのものだろうけれど、実は結構重い意味を持っている。
今年の上半期は、友愛殿による国家の漂流・迷走でともすれば暗くなりがちだった世相の中、「はやぶさ」やサッカー岡田JAPANの活躍などは、日本国民に希望を与えてくれた。
特に「はやぶさ」の帰還は、世界で唯一無二の偉業。
あれで、「いちばん」になることの意味を、改めて噛みしめた人もいただろうと思われる。だけど、「いちばん」の者は、一番ゆえに重荷を背負う。
それは、一番には、一番としての責任があるということ。
「いちばん」は、当然の如く、その世界の第一人者。上にはもう誰もいない。だから、「いちばん」はその世界の理想であり、目標であり、頼りにされる存在。
だから、「いちばん」はその意思に関わらず、「いちばん」としての責務を負う。
「いちばん」の先には何もない。
「いちばん」の行く手を遮るものもない。
「いちばん」の歩いた後に、道ができる。
「いちばん」は、その世界をどうするのか。
「いちばん」が、導く未来は何なのか。
「いちばん」はそうした、孤独と責務を負う。
これまで日本は、二番手として走ってきた。ただ、誰かの後をついてゆけば良かった。
だけど、もう、そうは言っていられない日が近づいている。
日本が世界で一番の国になるということは、突き詰めていえば、アメリカの代わりをするということ。
世界の経済を牽引して、地域紛争を調停し、平和と安定の維持に力を注がなくちゃならない。「いちばん」であるからには、世界はそれを期待するし、当然それを求めてくる。
国連の常任理事国に成りたいと言って、いざ成ったとしたら、それを受け止められるのか。
そうした準備や覚悟があるか。どことなく、日本さえ無事ならいい、と思ってやしないか。
日本人は、「いちばん」になれば嬉しい、と口では言うものの、実は、内心「いちばん」になることを恐れているのではないか。そんな心理があるように思う。
だけど、その深層心理と向き合う時が、目の前まで来ている。アメリカの覇権が後退して、地域覇権、バランスオブパワーの時代がやってくる。その時代を生き抜いていかなくちゃならない。
もしも、そのとき「いちばん」の重荷を背負いたくないと言って、ほどほどの3,4番手くらいでいいやとなったなら、3,4番手どころか30番手、40番手の中進国に没落してゆくことだって充分あり得る。
その意味において、今の日本は、繁栄と衰退の岐路にあるのではないかと思っている。
日本がこれ以上の繁栄を望むなら、「いちばん」を背負わなくちゃいけない。なぜなら、日本の前を走る「いちばん」との差が無くなってきているから。
自民党が何処まで自覚しているかは分からないけれど、自民党CMの「いちばん」のキャッチフレーズ。その言葉は意外に重い。
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