ツイッターについて、更なる雑感です。
1.ツイッターに疲れた人々
ツイッター拡大の勢いが止まらない。
ネットレイティングス社の調査によると、2010年4月の訪問者数は、前月より24%増の988万2千人となり、MIXIの訪問者数の934万4千人を上回ったそうだ。
ネットレイティングス社のレポートでは、その理由を、ツイッターのマスメディアでの露出の増加や、各企業がツイッターを利用したキャンペーンを積極的に展開していた結果であるとしている。
それに連動する形で、ツイッター上のサービス利用者も増えてきているという。
筆者はまだ、使ったことはないのだけれど、今現在、ツイッター上での主なサービスには以下のものが挙げられる。
Twitpic :Twitter上に写真を投稿するためのサイトで、Twitterユーザーがツイートと同時に写真を共有できるサービスが世界中で広く使用されている。
Twib :TwitterでツイートされたURLを集めて、人気順に閲覧できるサービスで個人アカウントによって運営が行われている。
Togetter:複数アカウントのツイートをまとめて保存、閲覧が可能となるサイト。
Twilog :Twitterのツイートをブログ形式で保存するサービス。個別アカウントを登録することで、その発言をブログ形式で閲覧、管理。
Favotter:ユーザーがお気に入り登録したツイートを、その登録数から検索するサービス。
簡単に言えば、これらは、人気のあるつぶやきや、任意のつぶやきを検索して見やすくするサービス。やはり生のタイムライン上の呟きでは、雑多すぎて、読みたいものや読むべきものが見つけにくいようで、その弱点を補完するサービスとなっている。
無論、今後も、新しいサービスがどんどん出てくる可能性がある。
ただ、その一方で、ツイッターを始めてみたがどうすればいいか分からない、とか「疲れた」と言ってツイッターを止めてしまう人も出てきている。
どうやら、「フォロワー」が増えなかったり、自分の呟きに誰も反応してくれなかったりすることが続くと、呟くことに虚しさを感じるらしく、それがツイッターに疲れてしまう原因の一つのようだ。
また、ツイッター上で仲良くなったと思った相手に、少しきつい書き込みをしたら、相手からアクセス禁止を喰らってがっくり来たというのもあるという。
恐らく、ツイッターで会話したいのにスルーされ続ける余り、もういいや、とモチベーションが下がってしまうということなのだろう。だけど、これ自身はごく普通の感情であって、別段、不思議でもなんでもない。
だから、問題なのは、「ツイッターに疲れてしまう」ことではなくて、「どんな呟きがフォローされて、どんな呟きがスルーされるのか」ということ。
2.大切なのは「なかのひと」
ネット上での会話と、リアルで相手に会って会話するのとを比較したとき、異なる点があることはある。それは、アクセスのし易さ。
リアルで相手に会って会話する為には、まず相手に合わなくちゃいけないから、何時、何処でといった時間と場所が限定される。互いに時間と場所の制約を受ける。
だけど、ネットは、互いに直接会わなくても、会話が可能だから、時間と距離を無視して、よりアクセスし易いという違いがある。そして、手紙や葉書のように相手の住所、氏名を知らなくても会話が可能だという利点もある。
あと、更に、付け加えるならば、まぁ、日本文化、或いは儒教文化に根差した、会話の作法なのかもしれないけれど、リアルで始めて会う人に対しては、相手の立場をきちんとおさえた上で、自己紹介なり、挨拶なりの手順を踏んで、少しづつ親しくなっていくというプロセスが要求されるのが普通。
だけど、ネットの世界、とりわけ、ツイッターは、文字数制限や、緩やかな繋がりを簡単に持てる、という特性上、挨拶抜きでいきなり話しかけることも許容されていて、相手と話す前の手順が簡素化され、かつその垣根が低いという特徴がある。
つまり、会話、という観点だけでいえば、ネットは、相手と会話するまでの前提となる手順や、時間と場所といった制約を極力最小化したツールであるともいえる。
だけど、これらは、所詮、会話をし易くするための「お膳立て」に過ぎず、会話そのものをフォローしてくれる訳じゃない。
話していて面白い人は、ネットでもリアルでも面白いし、そうでない人は、ネットコマンドをいくら知っていたところで役に立たない。
これは、たとえば、外国語を十分には喋れないけれど、話題が豊富で、皆が興味を持つ話を一杯知っている人と、何ヶ国語でもペラペラだけれど、自分や近所のことしか話題がない人と、果たして、どちらの人と外国人は話したがるだろうか、という問いにも似ている。
無論、その答えは明らか。
恐らくは、後者の人は通訳するようお願いされ、前者の人には、母国語でいいからどんどん話してくれ、とリクエストされることはほぼ間違いない。
そうした観点からみると、所謂、有名人・著名人の「呟き」と市井の一般人の「呟き」には、その質において既に差があるということが分かる。
有名人・著名人の「呟き」は、それだけで、既に他の人達から「興味を持たれている対象」になっているということ。
たとえば、「芸能人の呟き」は、たとえ、それがどんなにくだらないものであったとしても、ファンの人には「お宝」な呟きだろうし、「大会社の社長の呟き」ともなれば、どんな些細なことであっても、今後の経営方針とか、次のビジネスを指し示す「未来の呟き」になっているかもしれない。
だから、有名人・著名人の「呟き」は、「有名人・著名人の」という時点で価値を持っている。
それに対して、市井の一般人の「呟き」にはそんなものはない。平たくいえば、多くのファンを持つか、その「呟き」自身に非常に内容があって、価値が高いものでない限り、多くの人達が反応してくれることはない、と考えるべき。
だから、市井の一般人の「呟き」に、多くの反応を得られるようになるまでには、大変な努力と労力を必要とする。だけど、そこまでいけば、その人はネットのカリスマとなっていて、既に一般人ではなくて、有名人の範疇に入っている。
結局のところ、他人と気楽に会話が出来るような人は、ネットだろうがリアルだろうが、会話を楽しむだろうし、そうでない人は、どんな媒体を使っても難しい、ということなのだろうと思う。
ブログだろうがツイッターだろうが、それはあくまでも、会話を助ける道具であって、会話そのものではない、という当たり前の現実からは逃れられない。
大切なのは「なかのひと」。
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「オレのつぶやきに誰も反応してくれない」 「ツイッター疲れ」でやめたい人々 2010/8/15 09:30
この1年で日本でも急速に普及した「ツイッター」。日本の利用者はおよそ1000万人に達し、1年前と比べてその数は19倍にも膨れ上がっている。
個人で楽しむだけでなく、ツイッターをビジネスに利用する会社も出てくるほどの一大ブーム。その一方で、ツイッターをやめたいという声も聞こえてきた。「やってみたけど、何だか疲れた」というのだ。原因は何なのか。
◆キツい書き込みで相手からアクセス禁止
「ビジネスが変わる」「夢をかなえる」「自分らしく儲かる」。書店に並ぶツイッター関連の本のタイトルを見ると、なにやら理想的なツールを思わせる「枕詞」が掲げられている。ネットレイティングスが2010年6月30日に発表したソーシャルメディアに関する調査結果によると、日本のツイッターユーザー数は前年比の19倍と急増、アクティブユーザー数では米国を抜いた。
一方で、ツイッターを始めてみたがどうすればいいか分からない、果てには「疲れた」とやめてしまう人もいるようだ。「2ちゃんねる」には、
「もう半年くらいやってるけどtwitterでも頻繁に会話する相手が特に居ない」
「何人かやりとりする奴はいるけど、こっちから食いつかなきゃ会話にならねーし」
「知り合いをフォローしたら毎日楽しそうな書き込みをしてて見てるのがつらい」
と、もてあまし気味のユーザーの嘆きが並ぶ。
原因のひとつは「フォロワー」にあるようだ。知り合いだけでなく、趣味や仕事、考え方が近い人、また有名人などは、知らない間柄でも「フォロー」することで相手の投稿内容が読めるのがツイッターの特徴の一つ。だが、自分をフォローしてくれる「フォロワー」が増えなかったり、自分の投稿内容に誰も反応してくれなかったりすることが続くと、「独り言」を続けていることにむなしさを感じてしまう人もいる。また、ツイッター上で仲良くなったと思った相手に、少しきつい書き込みをしたら、相手からアクセス禁止をされてしまい「結局その程度かとか思った」と落胆したユーザーもいた。
◆中川翔子さんも「撤退宣言」
ツイッターから退散する有名人もいる。タレントの中川翔子さんは、ブログを頻繁に更新する一方で10年2月にツイッターも始めた。ところが、開始当初から、ブログと比べて投稿は圧倒的に少なく、早々に「ブログとついったの使い分けがわかんない」と悩む様子を見せる。4月19日には「両立はむりだお ブログでやるお」と事実上の撤退を宣言してしまった。
米人気女性歌手マイリー・サイラスの場合、多くのフォロワーを集めていたが、09年10月に「彼氏がやめろって言うの」と書いて突然ページを閉鎖してしまった。後にインタビューで「ツイッターなんてこの世から消え失せればいいわ」と言い放ち、やめた理由を「ずっとパソコンに向かって(ツイッターをやって)いるより、外に出てやるべきことをやらなきゃダメだって思ったの」と語っている。中毒気味に1日に何度も投稿を重ねる自分に、侘しさを感じたようだ。
「ツイッター疲れについて考えた」というあるブロガーは、結局マイペースが一番で、過度な期待をせず、誰かのつぶやきが気になれば反応すればよし、と肩の力を抜くことを勧める。常時ツイッターに張り付いて、自分やフォロワーの投稿内容を追い続けるのは無理な話。フォロワーのつぶやきにいちいち反応しなければならないルールもない。
ネットでは「ツイッターに疲れた」という書き込みに対して、「半年かれこれ続いてるが人との絡みゼロだぞ。それでも楽しいけどな」「俺のTwitterは完全に独り言だよ。日記みたいに使ってる」と独自の「楽しみ方」を挙げるユーザーもいる。ありきたりではあるが、いちいち生真面目にとらえず、自分なりに満足できればいいと割り切るしかなさそうだ。
URL:http://www.j-cast.com/2010/08/15073161.html?p=all
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