「御機嫌は如何、やよい」
「とても よろしくてよ 加奈子」
「そう、それは良かったわ」
「また本を読みましたのよ」
「まぁ、それは何と言う本かしら」
「それは…あぁ、タイトルを忘れてしまったわ」
「どんなお話か聞かせてくださる?」
「えぇ、よろしくてよ」
「それは、ある魔物の伝説…平凡な少年が偶然拾いし卵から甦ったのは、この世のものならぬ異形の魔物…。不毛の荒野の如き寒々しい頭部。爛々と輝く銀皿の如き巨眼。耳まで裂けた口は、どこまでも貪欲に獲物を食い尽くす。時に自在に姿を消し、時に夜空を徘徊する魔物を、誰一人止めることはできない。やがて魔物の眷属達が少年の町に押し寄せてくる。こうして平和な日常は完全に破壊され、全てを混沌と混乱が覆い尽くす。いつまでも、いつまでも…。」
「まぁ、なんて身の毛もよだつお話でしょう」
「この魔物の弟は、ある特徴的な鳴き声を放つの」
「なぁに…聞かせて…」「夏のあらし 春夏冬中」第8話より
そんな地球人と宇宙人との感覚や価値観のズレを解消する手立てはあるのか、というと、これは、互いに調和点を見出していく他ないと思われる。
具体的には、見た目に慣れることと、相手を理解することで、「未知の領域」をどんどん無くしていくしかない。
そして、その大前提として、互いに理解しあえる存在である、という一種の了解がどうしても必要になると思う。なぜなら、絶対理解し合えない存在であると思ってしまったら、どんなに交流したところで、本当の意味での相互理解には達することはないし、永遠に互いに干渉しないようにするしかなくなってしまうから。
まぁ、それでも良いという考え方もあるだろうけれど、もしも、将来、宇宙人と交流することが予想され、人類がそれを望むとしたならば、どうすればよいか。
まず、見た目に慣れることについては、小説や映画などでの啓蒙活動をする、という手法があげられるだろう。
昔、話題になった映画「E.T」であるとか、最近であれば「アバター」とか「第9地区」とか、異星人との交流を描いた映画を見せることで、異星人という概念を与え、そういう世界もあるのだな、と慣れさせる効果は期待できる。
だけど、この点について、日本は漫画の世界でそれに類することを、とっくの昔から行っていた。
一例を挙げれば、藤子・F・不二雄氏の作品にそれを見ることができる。藤子・F・不二雄氏は「ドラえもん」で有名だけれど、それ以外にも実に様々な作品を世に送り出している。「パーマン」とか、「オバケのQ太郎」だとか。
これらの作品の多くに共通することとして、登場人物に、「ドラえもん」とか、「Q太郎」とか、いわゆる、未来のロボットや、オバケといった、「非日常」の存在が普通の家庭に居候して、「日常」の生活に溶け込んでいる世界を描いているという点が挙げられる。
そして、人間とは明らかに違う、「異生物」が、人間同様に考え、振る舞うという姿を描いていると同時に、彼らと、彼らを取り巻く日常生活に何ら違和感を抱かせていない。
これは、藤子・F・不二夫氏の漫画家としての才能の為せる技だ、といえばそれまでだけれど、このスタイルを日本の漫画界に定着させた功績は大きいと思う。
なぜなら、このスタイルの亜流とでも言うべきものが、その後、どんどん生みだされていったから。
たとえば、アニメの「ケロロ軍曹」なんかは、ドラえもんと同様の典型的な「異生物居候型」の話だと言えるし、同じく、アニメの「ポケットモンスター」なんかも、その範疇に入るものと思われる。
「ポケットモンスター」では、人間とは明らかに違うポケモンが、人間と意思疎通をして、一緒に生活している。意思疎通がよりはっきりしていることと、自分と対等な仲間としてポケモンを扱っている点で、犬猫などのペットとは一線を画している。
このように、日本の漫画では、人間と異生物が一緒に生活するという作品が、当たり前のように普及している。とりわけ、見た目は異生物なのだけれど、考え方や習慣は日本人と同じ、というスタイルは違和感なく受け入れられている。
だから、日本人は、異生物であっても、グロテスクでさえなければ、どことなく身近なもの、という漫然としたイメージを持っているのではないかと思う。
ただ、まぁ、ポケモンにしても、ケロロ軍曹にしても、見た目が可愛く描かれているというところはあるから、宇宙人も、その程度の可愛らしさを演出する必要はあるかもしれない。
その意味では、外見は人間とよく似ていて、頭に猫耳と尻尾がある程度であれば、「あそびにいくョ!」といっても受け入れられそうではある。
ともあれ、見た目の問題をクリアできたとしても、もうひとつ問題が残っている。それは、価値観や習慣の違いといった問題。
互いの価値観や習慣の違いを乗り越える為には、やはり、互いを尊重する姿勢を持って、互いを理解する努力はどうしても必要になる。
だけど、その大前提として、人間も宇宙人もどこかの部分で理解しあえる土台もしくは共通項がある筈だ、という信頼というか、安心というか、そうしたものが何処かにないと、粘り強い相互理解への努力は続けられないように思われる。
どこまでも違う生き物で、絶対理解し合えない、となったら、それ以上先には進めない。
実は、その為のひとつのヒントとなる考え方が仏教の中にある。
それは「悉皆成仏、悉有仏性」の思想。
悉皆成仏、悉有仏性とは、「生きとし生けるもの全ては、皆、仏になることができ、生きとし生けるもの全ては、仏の性質、仏性を持っている」という思想。
人間だけでなく、動物にも植物にも、仏性が宿り、全て仏と同じになる、という、この教えは、ある意味、「究極の平等観」と言ってもいい。
この、「悉皆成仏、悉有仏性」の思想が、仮に、将来、地球人が宇宙人と交流することになったとしても、互いを結びつける土台になるのではないかと思う。
なにせ、草も木も魚も動物も、あらゆる生き物に仏性があるのだから、当然宇宙人にも仏性がある筈。だから、その意味では、地球人も宇宙人も同じ仏の一部であるということになる。
だから、全てのものに仏性が宿る、という思想は、相互理解のための強力な下支えとなるように思えてならない。
冒頭のセリフも、言葉で聞けば、何やら恐ろしい魔物としか思えないのだけれど、なんのことはない、「オバケのQ太郎」の世界を、多少「文学的」に表現しただけのこと。
互いを理解することで、「恐ろしい魔物」は「Qちゃん」に変わる。
漫画の中のQちゃんは、ドジだけれど、愛らしく憎めない存在として描かれている。確かにご飯を20杯おかわりはするけれども…
勿論、宇宙人にも色々あって、地球を侵略しに来ているものもいるかもしれないとは思う。そして、彼らはケロロ軍曹のように間抜けではないだろうとも。
無論、彼らを箒で叩いたところで追い出せる筈もなく、ビー玉で友好関係を結べる訳でもない。
だから、当然、その時は、地球も侵略されないための備えが必要になるのは仕方ない。
だけど、そうでない友好的な宇宙人だっている可能性は十分にある。その時に、見た目は違えども、生き物にはすべからく仏性が宿っている、という思想が地球に行きわたり、それが当たり前になっていることは、地球人が宇宙人を受け入れる一つの足がかりになるような気がしてならない。
それに、宇宙人にとってみても、地球人の価値観や考え方を知る上で、地球上の宗教に代表される、いわゆる「地球の教え」を理解することは、その為のよすがになる筈。
そして、こんなことが起こるかどうか分からないけれど、もしも、地球に来た宇宙人が、まかり間違って、地球の宗教に入信するなんて事があったとしたら、その宇宙人は、その宗教が説く教えに合わせて、自分の価値観を変えていくことにならざるを得ない。結果として、その宇宙人は地球人と同化してゆくことになる。
だから、宗教というものは、宇宙人を受け入れるという意味においてさえも、実は、「価値観のインフラ」とでもいうべき役割を果たすのではないかと思う。
果たして、釈尊がそこまで見越して、当時から「悉皆成仏、悉有仏性」の教えを説いていたのかどうかは分からない。だけど、全てのものに仏性がある、という思想が、宇宙時代になっても力を持つ可能性がある、ということは、記憶に留めておいても良いように思われる。
尤も、その前に、地球人同士で、相互理解を進める方が先だろう、というのは当然至極ではあるのだけれど、それも含めて、地球人が宇宙人を受け入れられるようになる鍵は、仏教思想の中にあるのかもしれないと思っている。
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スティーブン・ホーキング曰く「宇宙人はいるかもしれないが、コンタクトは避けるべき」 2010年04月26日 16時30分
スティーブン・ホーキング博士が地球外生命体の存在を確信するとしながらも「われわれはその生命体を探しだしてはならず、できるだけ接触を避けなければならない」と主張したことが話題になっている(AFPBB News、中央日報)。
4月25日にディスカバリーチャンネルで放送が始まった新シリーズ「Into the Universe with Stephen Hawking(スティーブン・ホーキングと宇宙へ)」の中で、ホーキング博士は宇宙に存在する恒星の数という数学的観点から宇宙人の存在を信じることは合理的としながらも、もし宇宙人が地球にやってきたら「コロンブスがアメリカ大陸にやってきたような結果になるだろう。先住民にとっては決してよい結果ではなかった」と述べ接触は避けるべきだと警告したそうだ。
しかし「接触を避けろ」と言われても……地球文明よりもはるかに進んだ異星人が侵略してきた時にどのように立ち向かえるというのだろうか。
URL:http://slashdot.jp/science/article.pl?sid=10/04/26/0715207
ga
この記事へのコメント
白なまず
科学者など頭の良い人の心には、もし、自分が悪の大王になったら侵略する!とあるので、その現れとしてホーキング博士の様な発言になるのだと思う。
ひふみ神示 第24巻 黄金の巻 第六十六帖
省みると道見出し、悟ると道が判り、改むると道進む。苦しむばかりが能ではない。自分の中にあるから近よって来るのであるぞ。厭なこと起って来る
ちび・むぎ・みみ・はな
後ろで手を組んでいるのでいるらしい.
谷垣総裁が頑張っているので, 民主党は自民党
にアプローチできないらしい. 心配した通り
どうも嫌な展開になっている.
almanos