みなみは、その部分をくり返し読んだ。特に、最後のところをくり返し読んだ。
---才能ではない。真摯さである。
それから、ポツリと一言、こうつぶやいた。
「…真摯さって、なんだろう?」
ところが、その瞬間であった。突然、目から涙があふれ出してきた。「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら」より
『「徳」に欠ける仙谷官房長官』のエントリーで、仙谷長官は、恫喝して人を押さえつけたり、金や名誉で懐柔するといった、人の性格や心をあまり省みないやり方をしているのではないかと言ったけれど、世の経営学では、そんなことは教えていない。
その代表的なのが、マネジメントの父とも呼ばれ、2005年に亡くなったピーター・ドラッガーの説く、マネジメント。
ドラッガーは、リーダーがリーダーであるために、最初から身につけていなければならないものとして「真摯さ」を上げている。これだけは、教育によって身につけられない資質である、と。
そして、その「真摯さ」持つリーダーを具体的に挙げたのものとして、「リーダーの5つの条件」がある。それは次のとおり。
リーダーの5つの条件
(1) 長所よりも短所に目を向ける者をリーダーにすべきではない。やがて組織の精神を低下させてしまうから。
(2) 「何が正しいか」よりも「誰が正しいか」に関心をもつ者をリーダーにすべきではない。やがて組織を堕落させてしまうから。
(3) 誠実さよりも頭の良さを重視するような者をリーダーにすべきではない。人間が未熟な証拠で、それは治らないから。
(4) 部下に脅威を感じているような者をリーダーにすべきではない。弱い人間だから。
(5) 自分の仕事に高い基準を設定しないような者をリーダーにすべきではない。やがて仕事や幹部に対する軽蔑を生むことになるから。
さて、現民主党政権の面々をこの条件に当てはめて考えてみるとどうなるだろうか。
少なくとも、菅首相と仙谷官房長官は、失格の烙印を押されるのではなかろうかと思われる。何よりまず、「真摯さ」が無い。「嘘つき」は、真摯さには程遠い。
尖閣沖衝突事件では、「何が正しいか」に関心を持たず、検察の判断だ、などと「誰が正しいか」に逃げ込んでいるし、政治主導とは口ばかりで、実際は、官僚の操り人形。とても自分の仕事に高い基準を設定しているとは思えない。
ドラッガーは説く。
「いかに知識があり聡明であって上手に仕事をこなしても、真摯さに欠けていては組織を破壊する。組織にとってもっとも重要な資源である人間を破壊する。組織の精神を損ない、業績を低下させる。・・・真摯さは習得できない。仕事についたときにもっていなければ、あとで身につけることはできない。真摯さはごまかしがきかない。一緒に働けば、その者が真摯であるかどうかは数週間でわかる。部下たちは、無能、無知、頼りなさ、無作法など、ほとんどのことは許す。しかし、真摯さの欠如だけは許さない。そして、そのような者を選ぶマネジメントを許さない」P・F・ドラッガー 『現代の経営』より
この「真摯さ」が微塵も見られない菅政権は、現在進行形で政権与党の人間を破壊している。そのことに気づいているのかは知らないけれど、ドラッガー理論に従えばそうなるはず。
これほどの経営学の大家が日本にいて、政権のアドバイザーでいてくれたなら、と残念でならないのだけれど、もし、ドラッガーが江戸時代の日本に生まれていたら、どうなっただろうか・・・
何故、こんなことを言うのかというと、実は、江戸時代の日本にもドラッガーばりの人物が存在したから。
その人物の名は、荻生徂徠。
荻生徂徠(1666-1728)は江戸時代中期の儒学者・思想家で、5代将軍・徳川綱吉の側近の柳沢吉保に抜擢され彼に仕えた。綱吉の死去の後、日本橋茅場町で、私塾である蘐園塾を開いて、多くの門人を育て、徂徠派という学派を立てることになる。さらには、8代将軍・徳川吉宗の信任を得て、その諮問にもあずかっている。
荻生徂徠の有名な徂徠訓は、組織における人材について述べたものなのだけれど、その内容は驚くほどドラッガーに似ている。徂徠訓は次の九か条よりなる。
徂徠訓
1)人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて始めて長所の現れるものなり。
2)人のその長所のみを取らば即ち可なり。短所を知るを要せず。
3)己が好みに合う者のみの用いる勿れ。
4)小過をとがむるなかれ。ただ事を大切になさば可なり。
5)用うる上は、その事を十分に委ぬべし。
6)上にある者、下の者と才知を争うべからず。
7)人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨てるべからず。
8)かくして、よく用うれば事に適し、時に応ずるほどの人物は必ずこれあり。
9)小事を気にせず、流れる雲のごとし。
例えば、「人の長所とつきあえ」だとか、「上にある者は下の者と才知を争うな」だとかはドラッガーのリーダーの条件そのままだし、他の項目だって、今、現にある資源を、如何に上手く使って、強みの上に組織を作るかを説くもので、ドラッカーの理論と良く一致している。
この徂徠訓は、今では、すっかり人口に膾炙して、日本の多くの人の知るところになっているから、ドラッガーのような泰斗が日本にはいなかったわけでは決してなくて、ドラッガーのエッセンスは、実は、既に江戸時代にあったのだと思えてならない。
だから、もし、ドラッガーが江戸時代の日本に生まれていたなら、やはり、荻生徂徠のようになったのではないかと思ったりしている。
「米は米にて用に立ち、豆は豆にて用に立ち申候」荻生徂徠
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この記事へのコメント
白なまず
真摯とは「マコトの一部」です。
ひふみ神示 第23巻 海の巻 第十五帖
学や智や金がチラチラ出る様では、マコトが磨けては居らんのぢゃ、今の法律でも、教育でも、兵隊でも、宗教でも、この世は建直らんぞ、
ひふみ神示 五十黙示録 補巻 紫金の巻 第十四帖
現実の事のみで処してはならん、常に永遠の立場に立って処理せよと申してあろうがな、生きることは死に向って進むこと、マコトに生きる大道に目ざめてくれよ、
ひふみ神示 五十黙示録 第04巻 竜音の巻 第七帖
仙人(仙谷!!)と申すものは如何に高度なものであっても、それは幽界に属す、仙人界には戒律があるからぞ、神界には戒律なし、戒律ある宗教は亡びる、マコトの宗教には戒律はないぞ。しかし神界にも仙人的存在はあるぞ。
almanos
翻って、日本の国会ではと思うと情けなくなりますけど。
とおる
でも、「真摯さ」の意味が違っているのでしょうね。
ちび・むぎ・みみ・はな
> から身につけていなければならないものとして「真摯さ」
> を上げている。これだけは、教育によって身につけられ
> ない資質である、と。
「ハーバードビジネススクール -- 不幸な人間の製造工場」
(P.D.ブロートン)を読んだが, どうもHBSでは人間の内面的
価値と言うものを教えてこなかったようだ. 著者はイギリス人
の元ジャーナリストでキャリアアップのために HBS に入った
のだが, 授業は面白くて能力開発に優れているが, これで
幸せなキャリアが開かれるのだろうか, と考え込んで
しまった. 多分, ニューヨークの WS にいる連中は日本人と
共通するメンタリティは全く持たないだろう.
メンタリティと言えば, 日本の品質管理の神様デミング,
彼は人々の協調(和)による生産性改善を主張していた.
実は, 米国ではほぼ干されていたとのこと, 失意のまま日本
に招かれて大変に幸福だったようだ.
だから, ドラッガーの「真摯さ」は米国ではどの様に
受け止められていたのだろうか. マネジメント教育で
定評のあった GE も
クマのプータロー
日本語に翻訳されたものしか、彼らは翻訳できません。英→北京語の翻訳は大変難しいようです。欧米の概念を消化できる北京語が少ないので、まず日本語に翻訳されないと理解に苦しむようです。