「これを理由に来ないならどっかの会社がね、来なきゃいいんだよ、アニメフェアに。来年、ほえ面かいて来るよ。ずっと来なくてもいいよ。来る連中だけでやります」石原都知事
1.東京国際アニメフェア2011
先日の15日に、東京都の青少年健全育成条例改正案に可決したのだけれど、やはりというか、業界に大きな波紋を呼んでいる。
この可決を受けて、日本の主要な漫画出版社(秋田書店、角川書店、講談社、集英社、小学館、少年画報社、新潮社、白泉社、双葉社、リイド社)10社で作る任意団体「コミック10社会」は10日、来年3月開催予定の「東京国際アニメフェア」への協力と参加をボイコットする旨の声明を発表した。
講談社の清水保雅取締役は「原作者の漫画家が希望すれば、出展するアニメ関連会社に協力しないよう要請する」とし、集英社の鳥嶋和彦専務も、出展・参加・協力の拒否のみならず、週刊少年ジャンプなどの同社から刊行されている作品を原作とするアニメ作品の出展も認めない旨を表明している。
東京国際アニメフェアは、東京都や日本動画協会をはじめとするアニメーション事業者団体で構成される「東京国際アニメフェア実行委員会」が主催するイベントで、2002年に第一回が開催されて以来、毎年開催されている。
来場者数は年々増え、今年の3月に行われた第9回東京国際アニメフェアでは、出展数231、来場者数は13万2492人にも上ったという。
今年は開催10周年ということもあり、過去最高の約14万人の入場者を見込み、多額の予算を組んで準備の進めていたそうなのだけれど、主要出版社の不参加は、イベント自体の成否を左右しかねないとの声も上がっている。
もしも、ボイコットを表明している、主要10社が原作を持つアニメ作品が、軒並み出展されないとどうなるかというと次の図のようになってしまうと見られている。
※左:ボイコット前の出展作品群。右:ボイコットが行われた場合に想定される出展作品群
左図がボイコット前の出展作品群で、右図がボイコットが行われた場合に想定される出展作品群。右図は、ボイコットを表明した出版社の作品を黒く塗りつぶしているのだけれど、既に半分近くが黒く塗りつぶされている。誰の目にも相当なインパクトがあることが分かる。
確かにこれでは、イベント自体の成否を左右しかねないという声も、むべなるかな。
石原都知事は、来年吠え面かいて云々などと言っているけれど、来年よりむしろ今年を心配したほうが良いのではないかとすら思えてくる。
来場者数が14万人といえば、その経済効果は馬鹿にならない。東京国際アニメフェアの経済規模を試算している「サブカル自由主義ブログ」によると、その経済規模はなんと100億円にもなるそうだ。
今回の主要10社のボイコットで、来年の東京国際アニメフェアが中止になるとまでは言わないけれど、先に示したように出展数が半減するくらいの事態ともなれば、その魅力は大きく半減することはほぼ間違いない。
1994年におきた幕張コミケ追放事件では、直前に大量のキャンセルを出した影響で、周辺の宿泊施設や飲食店に甚大な被害がでたことを考えると、今回のボイコットだけでも、来客者数は減るだろうから、やはり、それなりの経済的損失があるだろうと思われる。
もしも、先の試算のように、東京国際アニメフェアの経済規模が100億円にもなるとしたら、その損失は計り知れない。
また、今回の条例案で、出版社や漫画家が東京を嫌い、近県に拠点を移すことも考えられる。もしかしたら、目端が利く他県が、誘致に乗り出す可能性だってなくはない。
まぁ、これからどうなるかについては、もう少し見てみないと分からないけれど、色々なところに影響が出てくるのではないかと思う。
2.漫画やアニメは小説に劣るか
今回の条例案の可決に際して、石原都知事は、「当たり前だ、当たり前、日本人の良識だよ。てめえらが自分の子供にあんなもの見せられるのかね。大人が考えりゃ、大人の責任だ。当たり前だ。」と述べている。
確かに、それはそのとおり。過激な性描写を、子供が簡単に見たりできないように、ゾーニングやレイティングの更なる徹底が必要だと思う。
尤も、世の中には、そうとも思わない人もいる。
石原都知事が1969年に書いた「スパルタ教育 強い子どもに育てる本」(光文社カッパ・ホームス刊)には、こんな一節がある。
「わたくしの家庭では、妻や、母親は反対するが、わたくしは子どもたちの前でヌード写真の反乱した雑誌を隠さぬことにしている。
…しょせん子どもたちは、いつかの時点でナマの裸を知り、裸の肉体の交渉がなんであるかを知らなくてはならない。それを不自然に隠すことのほうがどのように悪い想像力を育て、悪い衝動を子どもたちのなかに培うかわからない。
…親がそのわずかな人生経験で、いい本、悪い本と分けて与えるのは、人間として僭越というべきではないか。想像力というものは、現実にないものを考える力であって、そうした作業が、いったい現実にどんなささやかなものを触媒として行われるかは、だれにも想像がつかない。
であるがゆえに、人間の想像力を培う糧である読書を、なにをもってよしとし、なにをもって悪とするかほど、根拠のないものはない。そのよしあしに、親が陳腐で通俗的な道徳をもちこむほど、子どもの大きな将来性をスポイルすることはない。」「スパルタ教育 強い子どもに育てる本」石原慎太郎著 光文社カッパ・ホームス より引用
当時の石原氏は、「ヌード写真の反乱した雑誌を不自然に隠すことのほうがどのように悪い想像力を育て、悪い衝動を子どもたちのなかに培うかわからない。」と述べているから、先の条例案可決に際しての石原氏自身のコメントとは明らかに異なっている。
まぁ、都の行政の長としては、常識的な判断を下さざるを得ないというのは理解できる。であるならば、会見においても、そう述べるべきであって、個人として、当時の考えと今の考えでは同じなのか、それとも違うのか。違うのであれば、何故そうなったのかまで述べておかないと片手落ちと言わざるを得ない。
特に、「親がそのわずかな人生経験で、いい本、悪い本と分けて与えるのは、人間として僭越というべきで、そのよしあしに、親が陳腐で通俗的な道徳をもちこむほど、子どもの大きな将来性をスポイルすることはない。」と述べていることと、都が条例で駄目な表現を規定していることは明らかに矛盾しているから、石原氏個人の考えと、都知事としての判断とは区別しておかないと混乱を招くことになるし、この点で批難を受けることになる。
まぁ、これは、この文章を読んだ限りでの感想になるのだけれど、もしかしたら、石原都知事は「活字の本」は想像力を養うけれど、「漫画やアニメ」はそうした想像力を養わない類のものである、すなわち、漫画やアニメは、活字の本と比べて一段下の存在であると思っているのかもしれない。
だけど、今のテレビドラマや映画は、漫画を原作とする作品がどんどん作られている現状にある。それをみる限り、筆者は決して漫画やアニメが活字に対して劣っているとは思わない。
もしも、漫画やアニメといった「映像表現」が活字の本に劣るのであれば、たとえば、活字の小説を原作とした映画なりテレビ作品は、原作小説よりも一段下の存在ということになってしまう。
映画やドラマだって、人の想像力を刺激する。でなければ、話題作や問題作など起こり得ない。むしろ、「映像表現」が「活字表現」に劣るなどと考えるほうが、人間として僭越というべきではないか。
3.傑作を生み出す条件
「出版社は傑作なら喜んで原稿を受け取る。条例なんて、そのつぎの話。まずは傑作を書いてから心配すればよい。傑作であれば、条例なんてないも同然。つるんで騒いでもあとが虚しい。自分の生き残りを考えること。ライバル同士がつるむことに僕は理解できない。 」
猪瀬直樹・東京都副知事は、12月14日、ツイッター上で「火の鳥は近親相姦描写がありますが区分分けされるのでしょうか?」と問われ、されないと答えている。
そして、つけくわえて「傑作であれば、条例なんてないも同然」と述べている。これは、先日エントリーした「表現の自由はロングテールに宿る」で述べたように、取り締まり対象になるかならないかの差は、作品全体としての質の高さや完成度にあると指摘した部分を図らずも証明する形になったのではないかと思うのだけど、肝心な論点が抜けている。
それは、傑作は如何にして生まれるか、ということ。
確かに、作家が描く作品が百発百中でいつも傑作を生み出せるのであれば、猪瀬副知事のいうように、「傑作であれば、条例なんてないも同然」というのは成立すると思う。
だけど、現実はそうじゃない。どんな巨匠だって傑作ばかりは生み出せない。漫画の神様と呼ばれる手塚治虫にしたって、世に残した漫画は全集で約700、作品数では実に1000以上にもなるけれど、その全部が全部、傑作かといえばそうではないだろう。
そもそも、傑作とは滅多に出ないから「傑作」と呼ばれるのであって、何時でも何処でも傑作が生み出せるのではあれば、誰も傑作とは呼ばなくなる。
こういう言い方は失礼にあたるかもしれないけれど、傑作とは数々の駄作の上に生み出されるもの。だからどんな駄作であれ、なんであれ、それを市場に出せる環境があることが大事。ロングテールはちょん切ってはいけない。
それに、市場に出す前にその作品が傑作かどうかなんて誰にも分からない。
たとえ、出版社が面白いと思っても、いざ売りだしてみたら全然人気が出なかったり、逆に、こんなのと思っても出してみたら、意外と売れてみたりするなんてよくあること。
もしも、出版社が漫画・アニメ作品が面白いかどうかの判断に絶対の自信があるのなら、読者アンケートなんて取る必要はない。少年ジャンプの様に、読者アンケートの順位が悪かったら、どんな有名作家であっても問答無用で打ち切りにするシステムが存在しているのは、如何に作品の面白さを判断するのが難しいことであるかを示してる。
勿論、読者の人気がイコール傑作になるとは限らない。人の価値観か感性などは時代によっても変わってゆくものだから。だけど、それならば、尚のこと、今はウケない作品であっても、世に出しておくのは大きな意味がある。
たとえそれが、ロングテールの市場に追いやられることになったとしても、後世の評価を待つくらいの余裕はあってしかるべき。そうでなければ傑作なんて出てくる余地はないと思う。
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性描写漫画販売規制 東京都の条例改正案が可決、成立 2010年12月15日19時15分
過激な性描写のある漫画などを子どもに売らないよう規制する、東京都の青少年健全育成条例改正案は15日、都議会本会議で可決、成立した。自民、公明両党のほか、6月議会で前回案に反対した民主党も賛成。共産党と生活者ネットワーク・みらいは反対した。「表現の自由を侵す恐れがある」との批判を受け、慎重な運用を求める付帯決議が付けられた。新たな規制は来年7月に本格施行される。
改正案は、強姦(ごうかん)など法に触れる性行為や近親相姦を「不当に賛美・誇張」した漫画などを18歳未満に売れないようにするとしている。
可決を受け、日本雑誌協会など出版業界4団体でつくる出版倫理協議会は、「まともな議論もなく可決に至らせた行為は暴挙」と抗議する声明を発表した。「漫画・アニメの制作現場に混乱と不安が広がっている。今後も断固とした反対の姿勢を貫く」と訴えている。
一方、石原慎太郎知事は都議会終了後、報道陣に「(可決は)当たり前。日本人の良識だ」と述べた。大手出版社が来春の東京国際アニメフェア(実行委員長・石原知事)への参加拒否を表明していることには、「これ(条例改正)を理由に来ないなら来なくて結構だ。来る連中だけでやります」と話した。
URL:http://www.asahi.com/national/update/1215/TKY201012150417.html
講談社・小学館・集英社もボイコット 都のアニメフェア 2010年12月10日20時57分
講談社、小学館、集英社など漫画を出版する主要10社の任意団体「コミック10社会」は10日、来年3月開催予定の「東京国際アニメフェア」への協力と参加を「断固拒否する」とする声明を発表した。過激な性描写を含む漫画などの販売を規制する東京都青少年健全育成条例改正案に反対するためで、すでに10社会メンバーの角川書店は出展取りやめを表明していた。
アニメフェアの実行委員長である石原慎太郎都知事が「漫画家に対する不誠実で無理解な発言」を繰り返したと指摘し、改正案について漫画家らと話し合いを一度ももたない都の姿勢を批判した。その上で「このような状況において、イベントに賛同し、行動をともにすることは到底できるものではありません」などと表明した。
URL:http://www.asahi.com/national/update/1210/TKY201012100538.html
この記事へのコメント
日比野
>20年以上、マンガを読んでいる人なら感じるのではないでしょうか、ラインが、少しずつズレテきていること。
そうです。これが、ポイントでしょうね。表向きの有害図書数が減っているのに、問題になるということは、昔は駄目だったものが、今はOKという具合に基準がシフトしたということでしょうから。その意味では、有害図書指定する前の出版社と都の打ち合わせ会の基準が世間の基準とまたズレているということでもありますけれども、人数が多い分だけ、まだ世間の基準が健全だというべきなのだと思います。
本来は、仰るように、心の面でのストッパー形成が不可欠であるし、ストッパー形成途上の少年の目には、触れないような、一定の規制は必要ですし、これは止むをえません。
けれども、それが一部の人達によって恣意的に使われることには、警戒が必要で、その部分に対する議論が不十分であったが故に、ここまで問題が拡大しているのではないかと考えます。
hara
20年以上、マンガを読んでいる人なら感じるのではないでしょうか、ラインが、少しずつズレテきていること。
恋愛とセックスの間には、溝があるべきだと個人的には思いますが、そこを直結させるマンガの存在をどう捉えたらよいのでしょうか。
過ぎてしまった自由に規制が入り、そこからまた、超えるべきではないラインとは何か、を考え直していく姿勢も大切だと思います。
規制を呼んだ出版側、製作者側の姿勢にもかなり大きな責任を感じます。
自由が堕落やカオスに結びつくことは、避けたい、そう思います。
道徳心、宗教心、信仰といった心の面でのストッパー形成が不可欠であり、それまでは、規制されるべきであると思っています。
子供に悪いから、でもありますが、判断力を持たず、ただ営利のみで、刺激性を強めてしまう大人の問題として、そう考えます。
マナーだから、ということで自制していたものが、別に法律違反しているわけでないのだから文句言われる筋合いはない、という世情が、多くを占めるようになった結果、という感じでしょうか。
almanos
つづぽん
白なまず
また、全く違う見方をすると、日本のアニメ産業を崩壊させたいと思っている者共が規制やルールを変えて自分たちに有利に成るような事を企んでいると見ると、スポーツやF1等で自分たちの勝ち目がないと直ぐにレギュレーションを変えたり、ルール変更を得意とする者達の行動に重なって見えてしまうのは、、、幻覚ではなさそう。