漫画規制条例と表現の自由について

 
今日は、少し重い話題を…

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1.漫画規制条例の問題点

過激な性的描写がある漫画やアニメの販売規制を強化する東京都青少年健全育成条例の改正案が15日の定例都議会最終日でほぼ成立する見通しとなった。

ただ、表現の自由への悪影響を懸念する声が根強いことから、創作活動を尊重することや、慎重な運用を求める趣旨を盛り込んだ付帯決議とするようだ。

この条例は今年3月の都議会で「非実在青少年」(漫画、アニメの18歳未満の登場人物)の性描写への規制案として提出され、6月の都議会で一度否決されたものの改正案になるのだけれど、その中身を簡単に言えば、「刑に触れるような性行為が描いてある漫画やアニメは販売してはならない」というもの。

一見すると、単なる販売規制だけなのか、とも思うのだけれど、プロの作家にとっては、「売ることの出来ない」作品なんか、いくら描いてもお金にならないから、この条例は事実上「描くな」と言っているのと変わらない。

しかも、今回の改正案は、登場人物の年齢規定を外して「刑罰法規に反する性行為」「近親者間の性行為」という表現が盛り込まれていて、規制をさらに拡大する内容になっている。

だけど、いろいろと指摘されているのは、その規制対象が非常に曖昧であって、何が何処まで駄目なのかはっきりしないこと。

単に「刑罰法規に反する性行為」なんて言っても、刑期法規自体が時代や地域によって違っている。

弁護士の山口貴士氏が指摘するように、江戸時代では、売買春は合法で性交の最低年齢も決まっていなかった。漫画やアニメなど世界なら、いつの時代でも、どの場所でも、或いは、全くのファンタジー世界を舞台にすることだってできるから、それらに対して、現在の刑罰法規を基準に規制するのは無理が有り過ぎる。

この点については、同様の反論を、日本マンガ学会が行なっている。次に一部引用する。
「淫行条例」の適用範囲は、地方自治体によって異なりますが、マンガのキャラクターがどこに住んでいるかによって、適用される基準は変わるのでしょうか?

あるいは時代物、SF/ファンタジーの場合はどうなるのでしょうか?いつの時代、いかなる世界設定であっても、現代の日本の「刑罰法規」がキャラクターに対して適用されなければならないのでしょうか?

また、将来「刑罰法規」が変更された場合には、表現が許される範囲も変わるのでしょうか?フィクショナルなキャラクターに現実の刑罰法規を当てはめるのは、そもそも無理なのではないでしょうか。

日本マンガ学会理事会 「東京都青少年条例による表現規制に反対する声明」より引用

今回の条例は、「過激な性的描写」に限ってのことになるのだけれど、ロジック的には、仮想世界の話を、今の現実世界の法律で規制する考えがそこにある。

もしも、そんなロジックが許されるのであれば、例えば、過去の植民地時代を舞台にした漫画は描けなくなるし、SF作品のように価値観が異なる世界設定の漫画なんて、尚更描けなくなってしまう。




2.現行の有害図書指定制度は有効に機能していた

こうした、「過激な性的描写」に関する規制が今まで全然なかったわけじゃない。

東京都には「東京都青少年健全育成審議会」というものがあり、毎月170冊程度購入、内容をチェックした上で、不健全図書指定を行なっているのだけれど、これまではその指定も、出版社側と議論された上で指定されていた。

実は、出版社側にも、自主規制団体として「諮問図書に関する打ち合わせ会」というものが設けられている。

これは、審議会の有害図書指定が妥当かどうかを検証するための会で、ここに毎月、都が「不健全図書」の候補になる本を持ってきて、その妥当性を検討していた。

これは、青少年条例が出来た1964年当時から続いている会なのだけれど、これまでも、問題なく機能してきたという。

なんでも、打ち合わせ会では、都も判定に苦しむような物は最初から持ってなんかこなくて、出版社の多数が「やりすぎだろ…」と思うくらいのものしか提示していなかったそうだ。

ところが、今回の条例案が可決・施行されると、条例にはっきりと「販売してはならない」とあるから、一般の人が直接本屋にクレームを入れるだけで、その本を撤去しなければならなくなってしまう。

いくら、都と出版社側が「打ち合わせ会」で喧々諤々話し合って、妥当と思われるところで決着させて、有害図書指定したとしても、一般クレームで撤去されてしまうのであれば「打ち合わせ会」そのものが意味を成さなくなる。

それに、一般の本屋でドラえもんの漫画の隣にエロ本があるわけじゃない。既に都から、本棚に陳列する本を区別して並べる(ゾーニング)ように決められていて、罰則規定もちゃんとある。

それになにより、有害図書指定された本の冊数自体も年を追うごとに減ってきているという事実がある。

次に示す図は、東京都の「不健全」指定状況一覧なのだけど、不健全指定が多かったのは1977年から1988年ごろまでで、2000年以降では、はっきりと減少傾向になっていることが分かる。

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また、2009年には、松文館が発行していた、「ガールズポップコレクション」というTL(ティーンズラブ)等を収録した一連のシリーズ本が、東京都による「不健全図書」指定を集中して受けた後、廃刊になったという実例もある。

だから、現行の有害図書指定制度でも、それなりに有効に機能しているといっていい。




3.自主規制による表現の自由度の低下

都と出版社側での「諮問図書に関する打ち合わせ会」で有害図書の妥当性について話し合われてきたということは、当然、危ないものについては出版社側も対応しなければならないことを意味する。畢竟、出版社独自の「自主規制」も強化されることになる。

出版社の自主規制について、漫画家の須賀原洋行氏は自身のブログで次のように述べている。
25年、マンガを描いてきた私は、編集現場の自主規制がかなりきついことを身をもって知っている。

《中略》

私としては前回の非実在青少年がかかわる性行為 よりもさらにやばくなったような気がする。編集現場(とマンガ家)がさらに萎縮して自主規制度を高めるのではないかと。

例えば、「他人のセックスを盗撮して楽しむ」のも一つの性行為だろう。無論、盗撮は違法である。

昔、私は『気分は形而上』というマンガの「オタク学生武沢君」というシリーズの中で、武沢君がラブホの天井に小型CCDカメラを仕掛けて盗撮するというネームを描いた。

うろ覚えだが(自分で描いたくせに)、彼女を必死にラブホに誘い、その理由が他人のカップルの盗撮のためだった、みたいなオチだったと思う。

これは、当時の編集部の自主規制に引っかかって大幅に直した。

担当編集者はすんなり通してくれていたのだが(だいたい武沢君はそういうキャラで、似たようなネタは何度も描いていたし。例えば、電車で女性のワキを無断で撮影するとか、女性に無断で足首から先の石膏の型を取ってしまい、それをフリマで売るとか……etc)

校了責任者(たいてい副編集長が順番にやる)によっても違うのだ。その時の責任者は私のギャグにはけっこう厳しかった。

遺伝子操作で病気をコントロール、みたいなネタをギャグ的に茶化して描いた時は、「おれの家系は大腸ガンの遺伝子を持っていて、それは予測可能になっている。だからこのマンガを読んでイヤな気分になった。1人、そういう気分になるなら、100万部近く売れているうちの雑誌の読者の中にはかなりそういう人が出るはずだ」という理由で直しを受けた。

別の校了責任者は、私がマンガの中で「ジプシー」という言葉を使ったら「それは差別用語。関係団体から抗議が来る可能性がある。「ロマニティ」に変えてくれ」と言ってきた。同じ理由で「ホモ」もダメだと言われた。テレビでも使われている言葉なので、すぐに納得がいかず、1時間くらい議論したけど、結局こっちが折れた。

他にも一杯、自主規制を経験してきたが、そういうことがあると、それ以降、確実に自分の中で表現の自由度が低下する。

「これ、やばいかもな」「これ描くとまた校了責任者ともめるかな」「担当さんが間に挟まれて申し訳ないな」「そんなことで時間を費やして作画のスケジュールがまた大変なことに……」などと事前に考えてしまう。

こういうことを積み重ねていくと、自分でも気づかないくらい、脳ミソの表現意欲に関わる部分が萎縮してしまう気がする。

このように、作家にとっては表現の自由を縛られることは、死活問題であり、作品のクオリティに大きな影響を与えかねない問題を孕んでいる。

11月29日には、漫画家のちばてつやさんら4人と出版業界の幹部が都庁で記者会見して、今回の条例に対して「規制の範囲が広がり、表現の自由を侵害する」と反対を表明している。

その記者会見で、ちばてつや氏は「若い作者が萎縮しているのを身近に感じる。条例案をこれでもか、これでもかと出してくる都の趣旨が分からない。漫画、アニメの文化がしぼんでしまう」とコメントしているし、こち亀の秋本治氏も「両さんが普通の生活しか送れなくなる」と訴えている。
※ちばてつや氏は自身のHPで、表現の自由について「-と、ぼくは思います!! 」という短編漫画で自身の考えを述べられている

このように、無闇に表現の自由を侵害してゆくと、作家自身の想像力を著しく阻害して、やがてはつまらない作品しか残せなくなっていく。最悪の場合には、自分で新しいものを作り出すことさえ出来なくなって、他の人も物真似やパクりしか出来なくなってしまうかもしれない。そうなってしまったら、何処かの国の「オレンジ色のガンダム」を嗤ってなんかいられない。





4.「分別する力」が行う自然淘汰

現行の制度のままでも有害図書指定になる本が減っているのに、何故更に、規制を強化しようとするのだろうか。

今回の改正条例案の中に、従来の第7条第1号として、次の条文が残されている。
「青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」

この条文だけでも問題表現とは何なのかは分かりそうなのだけれど、今回、第2号として次の条文を追加されている。
「漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」

筆者は法律のことは良く分からないけれど、第2号の条文は第1号のそれと言っている内容は同じで、ただ、少し詳しく指定しているだけにしか読めない。

その第2号の中に「不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ」とあるからには、漫画やアニメの表現によって、青少年の成長が阻害される、という判断があると思われる。

おそらく、アニメやマンガの影響を受けて、犯罪行為を働かれては困るという単なる懸念だけで、態々こんな改正をしようとしているのではないかと思う。

では、実際にそんなデータがあるのか、といえばはっきりとした相関が証明されているわけでもない。

犯罪白書(平成21年版)によると、「少年による刑法犯 検挙人員・人口比の推移」は昭和58年をピークとして、徐々に減少傾向にあって、平成7年から15年に掛けて若干の増減があるものの、平成16年から21年まで減少を続けている。

その中から、少年犯罪における強姦と強制猥褻件数の合計と都の有害図書指定の件数をグラフにしたものを次に示すけれど、正直、相関があるようには見えない。

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それに、アニメや漫画の影響を受けるといっても、見たものをそのまま実際に真似するのは、精々、小学生の低学年くらい迄だと思う。

たとえば、幼稚園児や低学年の小学生が、ウルトラマンやプリキュアの真似をして、暴れたとしても、それを警察が取り締まることなんてする訳がない。なぜなら、腕力のない小さな子供が多少暴れたところで、周りの大人が取り押さえることは簡単にできるから。大抵は、腕白な子だな、くらいで終わってしまう話。

もしも、それが問題になるとすれば、ナイフを持ち出したりして、子供の本来の腕力以上の力を持ったとき。なぜそれが問題になるかといえば、子供には、身に過ぎた力を自制するだけの「分別」はないと思われているから。

だから、万一の為に、未成年にはナイフなどは売らないように取り決めされたりしている。これは分かる。

だけど、漫画やアニメを見て、「真似したいと思った」ことと「本当に真似する」ことはイコールじゃない。仮に真似したいと思ったとしても、実際に真似までしないのが「分別」というもの。

その意味では、この問題は、煙草の喫煙にも似ていなくもない。

青少年なら、一度は大人の真似をして煙草を吸って見たいと思ったことがあるとは思うけれど、皆が皆、実際に吸うところまでいくかといえばそうじゃない。それは未成年が煙草を飲んではいけないという「分別」があり、自制が働くから。

それが上手くいかなくなったから、タスポとかを作るようになった。

ついこの間まで、煙草なんて、道端の自販機で誰でも買えていた。それでも煙草に手をつける青少年は一部しかいなかった。

本来、青少年に自制心をちゃんと教育することが出来ていれば、タスポなんて必要のないもの。

それより、中高生にもなって「物事の道理」が分からないことのほうがよっぽど問題。

小学校の低学年くらいまでは、世の中の綺麗なものだけを見せておくのもいいかもしれないけれど、大人になれば、嫌が応でも、現実社会で生きることになる。もちろん、汚い世界を見ることだってある。

だから、漫画にせよ、アニメにせよ、小説やテレビドラマにせよ、そうした「不浄の世」を表現することは、文化の一部でもあって、それを規制するということは、現実から目を逸らして見せなくする危険にも繋がってゆく。

作家は、取材したり、想像力を働かせたりして、架空の現実を描く。そして時には問題提起し、時には世相を反映する。

確かに、体が大人で、心が幼児のままだと、漫画の真似事をして問題を起こすかもしれない。

だけど、本来は、年齢相応の分別をつけさせることが筋であって、最終的には、教育、道徳、価値観、宗教の問題に帰着するのだと思う。

様々な価値観があるのは良いとしても、そこからより正しいもの、より神仏に近いものを選び取る力を養うことのほうがよっぽど大事。

泥沼にあっても、蓮は華を咲かせる。

個人の教育と徳育による自浄能力の醸成。表現の自由はその上に築かれる。


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この記事へのコメント

  • ちび・むぎ・みみ・はな

    漫画はあまり読まないのでコメントの資格はないの
    かも知れないが, 規制のプラスの面もあると思う.
    例えば, 規制を通っている限りは批判を受ける理由はない,
    或は, 海外への販路が増えるなど. 海外では性描写は
    かなり制限されると聞きます.

    江戸時代にもいろんな規制が庶民の娯楽にかけられたが,
    それを越えたものは世界的な価値を持つようになっている.
    心配はあるが, 人権法案が通らない限りは, それほど
    一般人の考えから離れた状況にはならないと思う.
    2015年08月10日 16:47
  • 白なまず

    1945年から1967年までの強姦が多いのは戦後の影響で在日外国人が暴れていたせいで、そんな事件が日常だった時代に育った団塊の人たちがオカシイのはお気の毒です。
    また、団塊の彼らの価値観には自分たちの親の世代が戦争に負けた事で、親の世代を見下して、それをストレートに表現できずに、子供のままの感覚で反抗し続けた結果が今の風俗に現れていると思います。現実の風俗規制もやらないでバーチャルの規制とは、、、今の脳内規制の方向性の延長上では、、、メタボは人類の敵だ!、人類はメタボで絶滅する!なんてアホな理論で、ドーナツやケーキを食べる事を想像する事は人類への挑戦なので規制して、ドーナツ、ケーキを食べている絵を書いて出版するのを規制スベシ!とかなんとかいちゃって、規制するんでしょうね。。。まったく阿呆らしい。
    2015年08月10日 16:47
  • クマのプータロー

    都知事が旗を振っているようですが、五輪招致失敗でナーバスになっているとしか思えません。おそらく東京都とIOCとの間に入ったコンサルから有ること無いこと吹き込まれたんじゃあないでしょうか?
    立派な都市は、文化発信能力がある都市。猥雑な部分も、光も、全てさらけ出せる都市。この点は都知事と相違ないと思うのですが、都知事にはオリンピックを招致できる都市、と言う新たな物差しでも加わったのでしょう。
    大体、オリンピック以外で批判の少ない公共事業が出来ないと思いこむのは発想や行動が貧困です。作家らしくない最近の言動に失望感を覚えます。
    2015年08月10日 16:47
  • almanos

    可決したとしても、施行する所まで持っていけるか? まず施行停止を求める訴えを反対派が起こすでしょうね。次に各社の東京からの脱出が始まる。東京へのアクセスが良い規制の無い市町村へ。デメリットがメリットを上回るなら企業は出ていく。結果として税収の減少による都財政の悪化を招くでしょう。東京を傾けた悪法をしいた知事として名を残す結果になるでしょうね。
    2015年08月10日 16:47

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