星界の文証

 
「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」
「三三蔵祈雨事」より

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1.ワームホール

名古屋大学の阿部文雄准教授は、時空間を連結する「ワームホール」が実在するか検証する方法を編み出し、その研究成果が発表された。

ワームホールとは、時空のある一点と別の一点がトンネル様の抜け道でつながるきわめて特殊な時空の歪みのことを指すのだけれど、無茶苦茶、単純化していえば、2つのブラックホールを繋ぐトンネルのこと。その名は「リンゴの虫喰い穴」に由来する。

1935年、アインシュタインとネイサン・ローゼンは、一般相対論の運動方程式に、2つのブラックホールをつなぐ時空の解が存在することを見いだした。この2つのブラックホールをつなぐ時空の解は「アインシュタイン=ローゼンの橋」と名付けられ、その後、いろいろな研究の対象となった。

1957年には、ジョン・アーチボルト・ホイーラーが、"アインシュタイン=ローゼンの橋"を「ワームホール」と命名した。因みに、ホイーラーは「ブラックホール」の命名者でもあり、彼が1967年にブラックホールと命名する前はブラックホールはコラプサー(崩壊した星)と呼ばれていた。

ワームホールは当初、不安定で直ぐに潰れると考えられていて、ワームホールの存在は単なる数学的な解であって、意味のないものとされていたのだけれど、1988年に、カリフォルニア工科大学のキップ・ソーン教授とモリス氏の研究で、莫大な「負の質量と負のエネルギー」があれば、「通過可能なワームホール」が維持されると指摘された。

ソーン教授とモリス氏によれば、ワームホールのくびれた喉の部分に、"負"のエネルギーを持った"異様な物質"が大量にあればワームホールは潰れずに済むのだという。

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負のエネルギーとか、"負"の質量とか言われてもピンとこないのだけれど、アインシュタインが導き出した質量とエネルギーの等価性の関係式である、E=MC^2 に照らして考えると、Eに当たるエネルギーが「負の値」を取る場合、イコールで結ばれた、右辺の値も当然、「負の値」になる。

この右辺の中で、Cの光速については二乗されているから、光速の値は正でも負でも、二乗されて「正の値」を取ることになる。したがって、右辺の値が"負"になるためには、Mである質量が"負"でなければならない。不思議なことだけれど、計算上はそうなってしまう。

また、「負の質量」を持つ物質があったと仮定したとき、「正の質量」を持つ物質(M)と「負の質量」を持つ物質(m)との間(r)に働く引力はどうなるかというと、ニュートンの万有引力の関係式、F=G(M・m)/r^2 に当てはめて考えると、Gは万有引力定数で正の値、Mは正の値、mは負の値、rの距離は二乗されて正の値をとるから、それぞれを掛け算したFの値は、結果的に「負の値」になる。

したがって、「負のエネルギー」を持った"異様な物質"と、「正のエネルギー」を持った普通の物質との間には、計算上は、引力ではなくて、反・引力、すなわち斥力が働くことになる。

もしも、ブラックホールの"超・重力"に負けないほどの"超・反重力"が働く「負のエネルギー物質」がワームホールの中に充満しているのなら、ブラックホールの重力にも潰れずに維持されそうではある。

尤も、ワームホールを維持するのに必要なエネルギーは莫大で、ニュージーランドのビクトリア大学のヴィッサー教授の計算によると、直径約1メートルのワームホールを安定した状態に保つためには、木星と同じだけの「負の質量」が、同じく「負のエネルギー」に変換しただけの量が必要になるという。

ワームホールを維持するために「木星と同じだけの"負"の質量」をエネルギーに変換しなければならないのだとしたら、地球上のどんな設備を使っても、実験で確かめることはまず不可能だろう。

それでも、宇宙は広いから、もしかしたら宇宙のどこかには、それだけの「負のエネルギー」が存在していて、ワームホールが現実に存在しているかもしれない。だけど、それとて「これがワームホールなのだ」と観測できなければ、やはりその存在を確認することは不可能になる。

そもそも、ブラックホール同士を繋ぐ、時空のトンネルなんて、一体どうやったら観測できるのか。もちろん、ブラックホールは光をも飲み込んでしまうから、光学望遠鏡をいくら覗いたって見えるわけがない。

これまでワームホールが観測された事実はないし、それどころか観測する方法さえ分からなかった。

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2.重力マイクロレンズ効果

今回の阿部准教授の研究は、そんなワームホールを観測できる方法を示したもので、画期的な研究だと言える。

地球から離れた星の手前を、別の天体が横切るとき、その天体の質量の影響で星の光がゆがんで進むことで、地球から見た星の明るさが一時的に強まる現象が知られている。これは「重力マイクロレンズ効果」と呼ばれるもので、これまでもワームホールの確認に応用できないか様々な研究が為されていた。

1995年、クレーマーらは、ワームホールのある種のものは、"負の質量"による「重力マイクロレンズ効果」があるのではないかと考え、それを使用したワームホールの検証方法を提案した。それに続いて、2008年、デイおよびセンはワームホールの"負の質量"による「重力マイクロレンズ効果」でどのくらい光が曲げられるのか(光の偏向角)を求め、発表した。

阿部准教授は、デイとセンが求めた光の偏向角を使って、ワームホールの重力マイクロレンズ効果による、星の見かけの明るさの時間変化(光度曲線)を計算したところ、普通の星やブラックホールの場合と違った特徴を示すことを突き止めた。

通常の星やブラックホールの重力マイクロレンズ効果では、星の明るさは、ある時点から急激に明るくなって、やがて元に戻るという、所謂、"正規分布曲線"に似た変化を示すのに対して、ワームホールによる明るさ変化では、急激に明るくなる直前と、元の明るさに戻る直前に、一度、更に暗くなる変化が起こるのだという。

これによって、星々の重力マイクロレンズ効果の観測結果からワームホールの存在が導き出すことができると見られている。

阿部准教授は甲南大学の村木教授らとともに、ニュージーランドのマウントジョン天文台に設置した1.8mの専用望遠鏡と大型CCDカメラを使った、マゼラン雲と銀河中心方向の星々の重力マイクロレンズ観測を行っているのだけれど、過去5年分の観測データをさかのぼって、ワームホールを示唆する結果がないか調査する予定だという。

阿部准教授は、1~2年程で調査を終わらせたいとしているから、もうしばらくでその結果を耳にすることになる。

このように、科学の世界では、理論と検証と観測という3つが揃って始めて、その存在が確認されることになるのだけれど、実は、宗教の世界でも同じことが言われている。

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3.星界の文証(もんしょう)

それが、冒頭に示した日蓮聖人の言葉。

これは、日蓮聖人が、仏法の正邪や高低浅深を識別するための確認方法として述べたもので、俗に「三証」と呼ばれる。

三証とは、3つの証明方法を意味していて、それぞれ、理証(りしょう)・文証(もんしょう)・現証(げんしょう)と言い、その内容は次のとおり。

「理証(りしょう)」とは、論理的・理論的に物事を証明すること。
「文証(もんしょう)」とは、文字に書いて言葉的に証明すること。
「現証(げんしょう)」とは、現実的に現して証明すること。

これらは丁度、先にのべた、科学の世界における"理論"と"検証"と"観測"にそれぞれ対応している。

日蓮聖人は、これら三証の中でも、現実に証明する現証を重要であると述べているけれど、これは科学の世界でも、実際に観測されることが重要視されることとも良く一致している。

科学とは一見対極にあるかに見える宗教の世界で、その正邪を見分ける方法として、実に"科学的"な方法を挙げているのは実に興味深い。

将来、人類がワームホールを発見したとしても、そのワームホール内に、膨大な"負のエネルギー"がなければ、ブラックホールの超重力によって、やっぱり潰されてしまう。

その意味では、見つけたワームホールの殆どは、ブラックホールの重力で潰された、"ぺったんこ"の「平面宇宙」になっているかもしれない。

だけど、もし、その「平面宇宙」を通り抜ける方法が開発されたとしたら、ワームホールは時空を飛び越える門の役目を果たすことになる。

これまでSFで定番であった「ワープ」だとか「タイムトラベル」とかが、現実のものになる。星の海、星界を人類が自由に行き来できるようになってゆく。

アインシュタインとローゼンによって、理論が提示され「理証」された、ワームホール。

阿部准教授によって、その検証方法が示され「文証」された、ワームホールの重力マイクロレンズ効果。

そして、あとは、それが実際に観測されるという「現証」が揃えば、ワームホールの存在が確認される。

そのとき、人類はアーヴ(タイ語で"心地よい満足")を得ることになるだろう。





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画像ワープって出来る?「時空の抜け道」名大教授が検証法 2011年1月8日17時31分

 SF小説でおなじみのタイムトラベルや、離れた場所に瞬間移動するワープ航法につながるとされる時空の抜け道「ワームホール」が、実在するか検証する方法を、名古屋大学太陽地球環境研究所の阿部文雄准教授(宇宙物理)が編み出した。米科学誌に論文が掲載された。

 ワームホールは、アインシュタインらが1935年に初めて導入した理論上の存在。人間が穴を通り抜けられれば、光速を超えて移動したり、過去や未来に行けたりできるという説も唱えられている。だが、実際に存在するかどうかを検証する方法がなかった。

 阿部准教授は、地球から離れた星の手前を、別の天体が横切る際、その天体の質量の影響で星の光がゆがんで進むことにより、地球から見た星の明るさが一時的に強まる現象「重力マイクロレンズ」に着目した。この場合、天体が離れれば光は元に戻る。

 一方、質量はないが、天体と同様に周辺の時空をゆがめるとされるワームホールについて計算したところ、同じ状況では、星の光は波のように弱まったり、強まったりする特徴があることがわかった。

 名大は、ニュージーランドに設置された天文台で数千万の星を観測しており、約5年分の観測データをさかのぼって、波のような特徴がある変化が含まれているかを解析する予定。阿部准教授は「理論的な存在を観測する道につながる。大変な作業だが、1~2年で終わらせたい」と話している。(高山裕喜)

URL:http://www.asahi.com/science/update/0108/NGY201101070024.html



画像■[御書]三三蔵祈雨事(3)1468P6L~1469P9L 三証

【本文】

 日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず、而るに去る文永五年の比・東には俘囚をこり西には蒙古よりせめつかひつきぬ、日蓮案じて云く仏法を信ぜざればなり定めて調伏をこなはれずらん、調伏は又真言宗にてぞあらんずらん、月支・漢土・日本三箇国の間に且く月支はをく、漢土日本の二国は真言宗にやぶらるべし、善無畏三蔵・漢土に亘りてありし時は唐の玄宗の時なり、大旱魃ありしに祈雨の法を・をほせつけられて候しに・大雨ふらせて上一人より下万民にいたるまで大に悦びし程に・須臾ありて大風吹き来りて国土をふきやぶりしかば・けをさめてありしなり、又其の世に金剛智三蔵わたる、又雨の御いのりありしかば七日が内に大雨下り上のごとく悦んでありし程に、前代未聞の大風吹きしかば・真言宗は・をそろしき悪法なりとて月支へをわれしが・とかうしてとどまりぬ、又同じ御世に不空三蔵・雨をいのりし程三日が内に大雨下る悦さきのごとし、又大風吹きてさき二度よりも・をびただし数十日とどまらず、不可思議の事にてありしなり、此は日本国の智者愚者一人もしらぬ事なり、しらんとをもはば日蓮が生きてある時くはしくたづねならへ

 

【通解】

 日蓮が仏法の勝劣を判断するのに、道理と証文とに過ぎるものはない。さらに道理・証文よりも現証に勝れるものはない。しかしながら、去る文永五年の頃、東には俘囚が起こり、西には蒙古から入貢を迫る使者が着いた。日蓮は「このことは(正しい)仏法を信じないことから起こったことである。必ず調伏の祈祷が行われるであろう。それはまた真言宗によって行われるであろう」と思案したのである。インド・中国・日本の三カ国の間でインドはしばらく置くとして、中国・日本の二国は真言によって亡ぼされるに違いない。

 善無畏三蔵が中国に渡った時は唐の玄宗の時代であった。大旱魃があって、祈雨の法を仰せつけられ、大雨を降らせたので、上一人より下万民にいたるまで大いに喜んでいたところに、しばらくして大風が起こって国土を吹き荒らしたので、皆興ざめてしまった。またその時代に金剛智三蔵が渡った。また雨の御祈りを行ったところ、七日の内に大雨が降り、前の時のように喜んでいたところに、前代未聞の大風が吹いたので、真言宗は恐ろしい悪法であるとして、インドへ追い返されようとしたが、あれこれと言い繕って留まったのである。また同じ御世に不空三蔵が雨を祈ったところ、三日の内に大雨が降った。喜びは前の時のようであった。また大風が吹いて、前の二度の時よりも激しく、数十日もとまらなかった。不可思議なことであった。このことは日本国の智者・愚者は一人も知らないことである。知ろうと思うならば、日蓮が生きている時に詳しく尋ね習いなさい。



 【講義】

 仏法の正邪を識別する方法として、法の道理と文証によって批判することが大切であるが、それ以上に重要な批判の原理は現証であることが、まず述べられている。つまり、文証、理証、現証の三証のうちでも特に現証が重要であることを教えられている。 

 この現証から見ても、真言宗がいかに邪悪な教えであるかは明白であるとして、三三蔵や弘法の祈雨の例を挙げられ、その邪法である真言宗によって蒙古調伏を行なわせている愚かさを厳しく指摘されるのである。

 これら三三蔵の祈雨の失敗については、語訳にも示したように、宋高僧伝にも記されている話である。しかるに「此は日本国の智者愚者一人もしらぬ事なり」といわれたのは、この根源が真言の邪法にあるということを、日蓮大聖人以外は、だれも見抜いていないということであると拝せられる。

 

 日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず

 文証・理証・現証の三証は宗教批判の原理の一つである。この三証によって仏法の正邪、高低浅深を識別することができるのであるが、三証のうちでも特に現証が重要であることを述べらた御文である。

 まず文証とは、一つの宗教の教義が、その宗教の開祖―仏教であれば釈尊―の教えに正しくのっとっているかどうか、また、いかなる経文によっているかを調べて判定の基準にすることである。

 およそ仏教と名乗る以上は、その教主たる釈尊の教えに正しく従ったものでなければならない。釈尊の教えを記録したものが経典であるから、その教義上の主張は経文上の証拠すなわち文証がなければならないのである。ゆえに持妙法華問答抄では「又云く『文証無きは悉く是れ邪の謂い』とも云へり」(御書四六二頁)と仰せである。

 広い意味では、文献には経文または論釈が含まれるが、特に経文が重要視される。それは、経文によらない人師、論師の勝手な臆見に惑わされないためである。

 聖愚問答抄には「経文に明らかなんを用いよ文証無からんをば捨てよとなり」(四八二頁)と述べられている。

 次に理証とは、道理、筋道が通っているかどうかであり、その教義が道理にかない、普遍妥当性を有しているか否かを調べて判定の基準にするのである。

 道理が深く、また普遍性を有するものほど、その教えは高く、価値あるものといえよう。四条金吾殿御返事にも「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」(一一六九頁)と仰せである。

 現証とは、現実の証拠であり、教義を実践することによって、そこに説かれている内容が現実社会、生活のうえに証明されているかどうか、また、実践した結果がいかなる形で現れているかを調べて判定の基準にする。社会、生活を混乱に陥れ、不幸に導く現証が現れてくる教えは邪法であり、逆に、現実生活に幸福と繁栄をもたらす教えは正法である。

 現証は三証のうちでも最も大切な原理である。それゆえ日蓮大聖人は教行証御書でも「一切は現証には如かず」(一二七九頁)と仰せられ、また観心本尊抄でも「此等の現証を以て之を信ず可きなり」(二四二頁)と教示されている。

 もとより、現証だけを判断の基準とせよということではない。およそ道理に反し、文証もない邪教であっても、一時的小利益等が現れることもあるからである。文・理・現の三証すべてにかなってこそ正しい宗教といえるのである。ただ、文証・理証が専門的知識や高度な理解力を必要とするのに対し、万人に分かるのが現証であるゆえに、現証を第一として強調されるのである。

『日蓮大聖人御書講義 第三十四巻』御書講義録刊行会(昭和59年)

URL:http://d.hatena.ne.jp/sakuohide/20100121/p1

この記事へのコメント

  • 白なまず

    宇宙は不思議に満ちてますね。宇宙の話を持ち出さなくとも身の回りでもマイナスの質量を用いないと理解できない物として半導体の例があります。勉強をはじめてまず最初に引っかかり、それを受け入れないとトランジスタ等の電子回路の基礎でひっかかる。それ以外にも電磁気学などでは関係を示す方程式は理論式や実験データから得られるものの、方程式は変換を示せるが何故そのような相互作用が生まれるのか全く分からないので最後には宗教の様に信じるしか無くなる。だから、利用はできるが、理解をしている訳ではないので研究の終わりも無い。また、太陽系の中で惑星の運動から得られる知識では銀河の渦巻きの中心と外側の運動を説明出来ないそうなので、太陽系と銀河では同じ方程式を利用出来ない事になる。信じる者しか先へ進めないのは最先端の仕事には付き物ですね。だから一流の科学者は神が居ないと説明できないと思えるのでしょう。

    日蓮聖人はロジカルな人だったんですね。末法の世では仏の力では収まらなくなるので、中国伝来の仏教を捨てよと仰っておられましたが、そうすると日蓮聖人は当時の仏教を背景にした政治が間違っていると否定している事になり、ここが
    2015年08月10日 16:47

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