脳みそが証明した「旅の恥はかき捨て」

 
親しい友人と面識のない人の両者に対して、何らかの判断を行う場合、脳みそはそれぞれ異なる反応を示すことが、ハーバード大学Randy Buckner教授の研究室の大学院生Fenna Krienen氏らによる実験で明らかになった。

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実験はまず、被験者66名に対して、事前に、自分の性格や人となり等の個人情報と、その友人2人についての情報を提供して貰うところから始まる。ただし、その友人うち、1人は自分と似たような趣味嗜好を持っている人、もう1人は自分と似ていない人を選ぶことになっている。

そして、これらの情報を元に、研究チームが、被験者各々に対して、本人に似た"架空の"人物と、似ていない"架空の"人物それぞれの略歴を作成してから、被験者にいくつかの質問を行う。

その質問は、被験者に、研究チームが作成した"架空の"人物と、事前に提供して貰った"直接知っている"2人の友人それぞれについての質問、たとえば、「飛行機では窓側の席を選ぶか、通路側の席を選ぶか」とか「次の選挙でオバマに投票するか」とか「ペットを飼っているか」といった簡単なもので、対象相手がどのように行動するかを予測して貰うもの。

その際、被験者の脳内スキャンを行い、リアルな友人とネット上の面識のない知り合いとで脳の活動に差があるかどうかを調査したのが今回の実験。

実験の目的は、脳がこのとき、何を重視するのか、すなわち、社会的面識のある友人関係を重視するのか、それとも、自分と似ているのか、そうでないのかといった類似性を重視するのかを突き止めることだった。

その結果、興味深いことに、自分と似ている、似ていないに関わらず、リアルな友人に関する質問に答えるときだけ、脳の内側前頭前皮質(MPFC)と呼ばれる部分の活動が活発になることが分かった。



内側前頭前皮質とは、脳の前頭葉の前側の領域にある部分で、自分の心に注意を向けて考えたり、外に注意を向けて他人の気持ちを考えたりするときに活性化すると考えられており、社会神経学者は、内側前頭前皮質は他人の気持ちを察するための中心組織であるとしている。

内側前頭前皮質が、他人の気持ちを察する能力や、自分がその時々にどう感じるかという部分に関わっているということは、要するに、この脳の領域を調査すれば、自分のことを真剣に、もしくは、他人のことを親身になって考えているかどうかが分かるということ。

今回のハーバード大学の実験で明らかになった、自分に似ている似ていないに関わらず、リアルな友人に関する質問に関してのみ、内側前頭前皮質が活発になったということは、自分と直接関わっている相手に関しては、それなりに真剣になって考えるということを意味してる。

逆にいえば、直接の利害関係がない相手に対しては真面目に考えないとも言えるわけで、「旅の恥はかき捨て」という諺を、ある意味、証明してしまったとも言えるのかもしれない。

以前、『ネットが社会を変える鍵は「3次の隔たり」 』というエントリーで、幸福や肥満は伝染する、ただし、友達の友達まで、という実験結果を紹介したけれど、それはあくまでも"リアルな友人"の間での話だった。

だから、今回の"リアルな知り合いでないと真剣に考えない"という結果は、この"幸福や肥満は3次の隔たりまで伝染する"という実験結果の傍証だとも解釈できる。

これは、これまでネット上での繋がりが、実社会に対してどうアプローチできるのかについての、ひとつの参考になると思う。

知らない相手同士では「旅の恥はかき捨て」になり易いということは、たとえば、祭りの時なんかのように「今日は祭りだから」とか「祭りなんだから今日ぐらいは無礼講だ」といった、多少ハメを外した状態になり易いということでもあるから、「ぱっと盛り上がって、ぱっと終わる」という、祭り本来が持つ性質は、やはりネットと非常に親和性があるのだろう。

その意味では、ネットだけの知り合い同士の会話は常時「祭り中」だと言ってもいいのかもしれない。

こうして見ると、ネットという「祭り」でのみ出会う相手を、いかに「リアルな知り合い」に変えて行くかが、実生活を具体的にかえてゆく力になると思われる。

世の中を変える力は、非常にシンプルで、当たり前の中にある。


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画像「リアルな知人」対「抽象的な知人」:研究結果 2010年11月2日

FacebookとTwitterは現在主流のソーシャルネットワーク・サイトだが、実は、それぞれ違う性格のネットワークに対応している。Facebookの場合、リアルの生活で実際に知っている知人や友人の様子を知ることができるという性格が強い。筆者の場合は、祖母やまたいとこたち、高校の同級生といった人たちと「友だち」になっている。これは、同じ「クラン」[氏族/オンラインゲームにおけるユーザーコミュニティのことも指す]に属している人たちであり、「社会的な近さ」によって特徴づけられる関係性といえる。

一方、Twitterの面白いところは、全く社会的なつながりが無い人たちをフォローするよう推奨する傾向があることだ。同じ高校だったり、先週のパーティーで会ったからというわけではなく、同じような興味や価値観を持っている人をフォローする傾向が強い。言い換えれば、Twitterの関係性は抽象的だ。実際の社会的な近さではなく、「社会的な類似性の認識」がベースになっている。

こういった関係性の違いに関する研究が、『Journal of Neuroscience』誌10月13日号に発表された。ハーバード大学Randy Buckner教授の研究室に所属する大学院生Fenna Krienen氏らによる実験だ。

被験者66名を対象としたメイン実験において、研究チームは[事前に]被験者に、自身の人となりなど個人的なことに関する情報と、同じく友人2人についての情報を提供させた。

友人のうち1人は、被験者自身と似たような趣味嗜好を持っている人物、もう1人は自身と似ていない人物を選ばなければならない。たとえば、被験者がリベラルな民主党支持者なら、「似ていない友人」には穏健派の共和党支持者を選ぶ、あるいはパンクロックのファンなら、ショパンしか聴かない友人を選ぶ、といった具合だ。

研究チームは、被験者の提供したプロフィール情報をもとに、各被験者について、彼らと面識はないが彼らに似た人物、および似ていない人物、それぞれの架空の略歴を作成した。その上で被験者に脳スキャンを実施し、彼らに一種の『The Newlywed Game』[新婚カップルが質問を通じて互いをどれだけ知っているかを競い合う米国のテレビ番組]を行なわせて、相手の人物が一連の質問にどう答えるかを想像する課題に取り組んでいるときの脳の活動を調べた。たとえば、「飛行機では窓側の席を選ぶか、通路側の席を選ぶか」、「次の選挙でオバマに投票するか」「ペットを飼っているか」といった質問だ。[この課題は、「被験者に似ている実在の友人と、架空の他人」、および「被験者に似ていない実在の友人と、架空の他人」に関してそれぞれ行なった]

実験の目的は、脳がこのとき何に関心を向けていたか――相手との[抽象的な]類似性か、それとも社会的な親密さか――を正確に突き止めることだ。興味深いことに、実験の結果、内側前頭前皮質(MPFC)という、価値認識や社会行動の制御に関連していると考えられる脳の領域(MPFCに損傷を受けると、多くの場合、深刻な社会的障害をきたし、社会規範に従ったり、行動の結果を予測することができなくなる)は、相手と[抽象的な]類似性があるかどうかに関係なく、直接知っている友人についての質問に答えているときにのみ、活動が高まることが明らかになった。その一方で、興味の対象が似ている「見知らぬ人」の答えを予想しているときには、被験者のMPFCの活動は高まらなかった。以下、論文から引用しよう。

社会性を持つ生物種が、血縁や同じ集団の構成員、あるいは自らの生存にかかわる個体を特定し、評価するためのメカニズムを発達させることは、多くの研究成果が証明している。この観点から社会的認知を考察すると、神経機構は、個人的に重要な社会情報を見分ける方向に進化してきた可能性がある。一連の実験から、個人的に関係のある人々について判断を下す際にはMPFC内の領域が強く反応し、親しい他者(友人)について判断を下すときと、親しくない他者(面識のない人)の場合とでは異なる反応を示すということが、一貫して明らかになった。

見方によっては、これは少々悲しいデータともいえる。人間はそれほど同族意識が強く、自分と同じ部族、出身地、あるいは親族の一員かどうかで他人を判断する生き物だということなのだから。もちろん、社会的認知は複雑なプロセスであり、単一の脳の領域での血流だけに還元できるようなものではない。しかしこの研究は、なぜFacebookに5億人ものアクティブ・ユーザーがいて、そのうち半分の人が毎日Facebookのページをチェックしているのか、その理由についての理解を助けてくれる。われわれは、実際に知っている人のことを気にかけるのだ――たとえその人が、自分とは別の政党に投票するにしても。

{この翻訳は抄訳です}

[日本語版:ガリレオ-高橋朋子/合原弘子]

URL:http://wiredvision.jp/news/201011/2010110222.html

この記事へのコメント

  • クマのプータロー

    私は実社会でも言い過ぎる傾向にあるのですが、脳をうまく使っていないという可能性はありますね。使っているつもりなんだけど、方向性が間違っているとか。空気を読めないと言われているんでしょうけど、私はもっと悪質なものですから、空気を読んで世間の期待する行動を取らない、と言うことをやります。
    「愚痴なら聞くけど、相談には乗れないからな」で、結構話が終わるのはそのせいかもしれません。
    2015年08月10日 16:47
  • mohariza

    私は、基本的に学者と称する人間の実験結果と云うものは信用していません。
    貴ブログのハーバード大学の実験結果は、脳内の一部の現象を少数の実験材料で示しただけ、と思っています。

    また、私は、「友人」は、そんなに身近にいるとは思っていません。
    ネット上の「知人」は、昨年後半から益々増えていますが・・・。

    ネット上の会話でも、「知人」は出来、その思考(考え)は分かるもので、
    昨年、あるブログ仲間と初めて会いましたが、赤の他人とは感じませんでした。

    <ネットという「祭り」でのみ出会う相手を、いかに「リアルな知り合い」に変えて行くかが、実生活を具体的にかえてゆく力になる>との言は、至極当然で、
    今後の社会は、会社、近所の付き合い等の生身の人間関係より、ネットでの付き合いの方が、より深く、思考(嗜好)等で共通意識を持つと云う意味で、"リアルな知り合い”に成るように思われます。
    2015年08月10日 16:47
  • 白なまず

    20代の頃はオートバイでツーリングに行っていて、初対面のバイカー達とすれ違いざまの挨拶(ピースサイン)や駐車場での情報交換などやっていましたが、この時の同じ趣味指向の初対面の人とのコミュニケーションは確かに表面的でネットでの初対面の人に対する反応と同じ程度だと思いました。そして、例えば、宿泊先で再会し酒盛りでもしようものなら打ち解けて友人になる場合もあったと思います。簡単な体験談みたいに成ってしまいましたが、要するに、同じ目的行動を共有すると仲良く成る様です。同じ釜の飯を食うと言うようなものでしょうか。また、難しい事(仕事や作業)を共有する必要が無い方がいいですね、、、難しい仕事だと利害関係が出てきて上手くいかない可能性が有るかもしれません。対決するのでは無くて、一緒に立ち向かう事が出来れば良い関係になるのでしょう。同期の桜でしょうか。
    2015年08月10日 16:47
  • ちび・むぎ・みみ・はな

    > こうして見ると、ネットという「祭り」でのみ出会う
    > 相手を、いかに「リアルな知り合い」に変えて行くかが、
    > 実生活を具体的にかえてゆく力になると思われる。

    場合によりけりでしょうか. 「リアルな知り合い」でない
    方が良いこともあります. 例えば, ブログのコメント欄に
    ブログ主の写真が出ていたりすると気軽にはコメントを
    書き込めない.

    逆に, 選挙のように, 各人のたった一票の票を入れて
    もらうにはリアルに理解してもらう必要がある.
    その意味では, デモでもビラ配りでも本当は終った後が
    重要ですね. 折角集まった仲間をそのまま解散させない
    というのが運動のエネルギーを大きくしていく戦術だと
    思う. 保守系の運動は淡白なので, ここら辺はカルト
    の戦術を見習う必要があるとは常々感じますね.
    2015年08月10日 16:47

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