書くことで分析読書をする(学習と理解について 最終回)

 
では、本を丸暗記したり、コンセプトマップを作成したり、エッセイを書いたりする行為が、「本を読む本」で説かれているような読書方法と如何なる相関関係にあるかを考えてみたい。

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丸暗記とコンセプトマップの作成、およびエッセイを書く行為が、それぞれ、「本を読む本」がいうところのどの読書レベルおよび段階に当てはまるかを示したものを表にしてみたのを次に示す。

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この表では、該当する項目には"○"、該当しない項目は"×"、どちらともいえない項目を"△"で示してみたのだけれど、初級読書、点検読書は、丸暗記、コンセプトマップ、エッセイのどの方法でも行われるのとしている。でなければ、表面的理解すら覚束ないと思われるから。

だけど、分析読書のレベルに入った途端に、差が出てくる。

というのも、分析読書は「概略を掴む段階」「解釈する段階」「批評する段階」の3つのプロセスがあるのだけれど、そのうち「概略を掴む段階」で行うべき規則は、本の内容を2~3行で表したり、内容がどう配置されて全体を構成しているのかを掴むなど、コンセプトマップを作成する際に行なうであろう行為に非常に近いことをやっていると思われる。

もちろん、丸暗記式に繰り返し読む場合でも、この「概略を掴む」事自身は可能なはずなのだけれど、明確にコンセプトマップを書くという行為がない以上、そこにはやはり個人差が出てくるのは避けられない。

当然、人によっては、繰り返し読む方法でも、頭の中で自然にコンセプトマップを作りながら読める人もいるだろうし、本当に一字一句丸暗記してしまう人だっているだろう。

先の研究では、1週間後、学生達に覚えていることに関する簡単なテストと書かれていた事実を基に論理的な結論を引き出す質問をしたところ、繰り返し読んだグループが、コンセプトマップを作成したグループよりも良い成績を収めたと報告されている。

もしも、繰り返し呼んだグループのうち、相当数が実験で読んだ文章を丸暗記してしまったと仮定するならば、それこそ、覚えていることに関するテストなんか簡単に解けるだろうし、書かれていた事実を基に論理的な結論を引き出すことも比較的容易ではないかと思われる。

しかも、今回の研究では、学生達に、科学に関する"短い文章"を読んだという条件だから、尚のこと、丸暗記はし易かった筈。

ただ、それでも、コンセプトマップを作るという課題では、コンセプトマップを作成したグループに及ばなかったという結果と照らし合わせると、やはり、繰り返し読む方式では、分析読書の第一段階、即ち「概略を掴む段階」の諸々の規則で示されるような、内容をごく短い概念で捉えたり、概念同士の関係を構造として捉えるという部分は弱いと言えるではないかと思う。

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これらに対して、エッセイを書くという行為となると、単に暗記したり、内容の概念構造を掴むだけでは済まなくなる。

なぜなら、読んだ文章に対して、自分の意見を述べる、という"積極的な読書姿勢"が求められるから。

エッセイに、賛同なり、反論なり、自分の意見が全く入らないということは有り得ない。単純に本の内容を纏めただけでは、エッセイにはならない。

ゆえに、エッセイを書く人にとっては、本の内容の把握は勿論のこと、内容に対する批評、即ち、著者の言っていることが、本当なのか、また違うのか、違うとすれば、どの部分かといった、内容の吟味に踏み込まざるを得なくなる。

こうした、著者に対する反論も含めた内容の吟味は、正に分析読書の第3段階である「批評する段階」にあたるから、文章を読んで、それに対するエッセイを書くという行為を、読書レベルに当てはめると、分析読書の最終段階に到達していることになる。

これは、無論、分析読書の第1段階辺りに相当する「繰り返し読む」方法や、第2段階の「コンセプトマップを作成する」方法よりも更に上の段階であるから、それらよりも、より深い理解を読者に与えていることも、当然だと言える。

その意味では、今回『サイエンス』で発表された、「学習し、記憶するには、それを題材にして文章を書くことが一番良い効果がある」という研究結果は、図らずも、「本を読む本」で述べられている読書レベル及び読書法の内容の正しさを傍証しているのではないかと思う。

書くということは、意識するしないに拘わらず、知的努力を要求され、理解の手助けになるという事実は意識しておきたい。


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この記事へのコメント

  • ちび・むぎ・みみ・はな

    書くということは、意識するしないに拘わらず、
    > 知的努力を要求され、理解の手助けになるという
    > 事実は意識しておきたい。

    大学の知人がプロジェクタ授業を止めたと言う,
    理由は, 低学年レベルの学生だと, スクリーンを
    見せて学生と質疑応答を盛んにやっても,
    結局は頭に残らないのだとのこと.

    江戸時代の寺子屋で行なわれていた書きとり中心の
    進度別教育が最も効率の良い教育だったのだろう.
    2015年08月10日 16:47

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