ホリエモンの「尖閣明け渡せばいい」発言について


「中国とか北朝鮮が日本に攻めてくるわけないじゃん。そもそも、あるの?そんなの?」
堀江貴文氏 於:2011.2.4 朝まで生テレビ!


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ホリエモン氏の尖閣明け渡してもいい発言が物議を醸しているようです。この発言を聞いていて、正直クラっとしてしまったのですけれども、今日は、これについての雑感をエントリーしてみたいと思います。



1.尖閣の資源

尖閣、まぁ、沖縄もそうなのですが、ホリエモン発言について、資源という側面と地政学的な問題の2つに分けて考えてみたいと思います。

まず、資源の面です。

尖閣諸島沖は昔から、豊かな漁場として知られ、戦前には鰹節工場が作られていました。先日も、国の予算で尖閣沖の漁場調査を行ったみたいですけれども、時化という悪条件にも関わらず、大型魚が沢山とれて、関係者を驚かせたようです

また、1969年、70年の調査で尖閣沖には1095億バレルもの、要は、イラクに匹敵するくらいの埋蔵量を持つ海底油田がある可能性が高いと発表されていますから、これはもう資源の宝庫といってよいと思いますね。

では、なぜ、これまで開発されてこなかったかというと、巷でよく言われるように、掘り出すコストが高く、輸入したほうが安く上がっていたからです。掘り出した石油より掘り出す費用が嵩んでしまうから掘らなかった、それだけのことだと思います。

けれども、昨今の中東での反政府活動などがエスカレートして中東が不安定化すると、最悪の場合、石油が日本に入ってこなくなる場合だって有り得るわけです。

その時に、緊急避難的に、国内油田が開発されていれば、一時的であるにせよ凌ぐことができるのですね。

まぁ、普通、油田開発、しかも海底油田ともなれば、敷設する設備から何から開発費用は馬鹿になりませんし、すぐに石油が出る場所があったり、逆に深く掘らないと石油が出てこない場所があったりなど、何処を掘るかによっても、その費用は大きく変わりますから、一概にすぐ掘るべしとは言いにくいところもあるのですけれども、万が一に備えて、可能性があるのであれば、下調べくらいはしていてもおかしくないと思うのです。

要するに、試掘くらいはやっておくべきではないか、ということですね。




2.尖閣という橋頭堡

次に地政学的な面から尖閣諸島および沖縄を見ますと、これらはちょうど、太平洋と東シナ海の境目に位置していて、中国からみれば、まさしく太平洋に出るための玄関口に立ちふさがる石のように見えているかと思われます。

しかも、その石の上には、世界最強のアメリカ軍が居る。したがって、中国はこれまで、太平洋に進出できないでいたわけです。

もしも、尖閣諸島が中国に奪われたとしたらどうなるか。

おそらく、中国は、尖閣諸島に港を作ると思います。もしかしたら、潜水艦の基地を作るかもしれません。

尖閣諸島に港ができれば、当然漁船が出入りして、島にも人が住み始めるでしょうし、巡視船という名目で軍艦或いは空母が常駐することだって出来るわけです。要するに、尖閣が中国の橋頭堡になるということですね。

そうなると、尖閣諸島を取り返すことは非常に難しくなってきます。

仮に、中国が尖閣を獲って、港を作り、そこに空母、若しくは、潜水艦が常駐することにもなれば、今度は、沖縄と宮古諸島、あるいは、台湾との間を遮断することもできるようになります。近づいてくる船に警告射撃なり、砲撃なりして追い払うことが出来るということです。そうやって今度は、沖縄、宮古島辺りの海を"実効支配"していくことになると思います。

そうなれば、今度は台湾が危ない。台湾の周りの連絡を絶っておいて、一気に台湾を併合する可能性が高まります。

件(くだん)の朝生テレビでは、台湾が中国に併合されて、台湾海峡が封鎖されたら、日本に原油が入ってこなくなる、という話も出ていたかと思いますけれども、別に台湾を併呑しなくても、沖縄、宮古島付近の海を中国が"実効支配"してしまえば、台湾海峡を封鎖したのと同じことができるのですね。

そうしておいて、台湾に、「中東の石油は、台湾にはちゃんとやるし、護ってやるから、アメリカや日本なんかとは縁を切って、一緒になろうじゃないか」ということで、台湾を併合してくる。そして、日本に対しては、「石油が欲しければ、技術をよこせ」と脅してくる、もしくはODAだの何だの名目をつけて、お金を貢がせると思いますね。そうして、中国はアメリカに対抗し得るだけの「超大国化」を目指してくると思います。

ですから、尖閣諸島ひとつだけをみれば、あんな小島に価値なんてあるの、という意見もあるでしょうけれども、そのあとの展開を俯瞰する限り、実は結構危うい状況にあるとも言えるのです。

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3.政治は万にひとつの失敗も許されない

ホリエモン氏は件(くだん)の朝生では、北朝鮮が日本に攻めてくる確率は何%あるの、とか中国が日本に攻めてくるわけがない、とか発言していましたけれども、この問題は、何%だからいいとか悪いとかの次元で話してはいけないのだと思うのです。

なぜなら、国家の基本は、国民の生命を守ることにあるからです。

「中国が攻めてこないと思うよ」とか「北朝鮮が何しに日本を攻めるの」とか、疑問を述べるのは結構ですけれども、政治においてそれが通用するのであれば、たとえば、「洪水なんておきないと思うよ」とか、「火山なんて噴火しないと思うよ」とか、はたまた「地震なんて起きないと思うよ」といって、何もしないでいることだって出来るわけですね。

だけど、現実に新燃岳は噴火しているし、ニュージーランドでは地震が起きているわけです。昨年、奄美では大雨洪水災害もありました。

要するに、たとえ、何兆分の一の可能性しかなかったとしても、可能性がある限り、為政者はそのための備えをする必要があるということです。

まぁ、商売でしたら、たとえば、買ったばかりの品物が壊れていたから交換するとか、着てみたら丈が合わないから返品するなんてことは、簡単にできるかもしれませんけれども、人命は"お取替え"ができないのです。

一度失われたら二度と帰ってこない。そういうほんの僅かなミスも許されないのが政治なのです。

だから、政治というものは、宇宙へ飛ばすロケットとか人工衛星みたいに、一度打ち上げてしまったら交換できない、ひとつの不良品も許されない厳しい世界だということです。

だから、安易に商売の論理と同じに政治を考えるのはちょっと無理があります。

尤も、世の中には完璧な備えなど有り得ませんし、完璧を目指すにしても、人にも金にも限りがありますから、完全無欠、100%の備えを望むことはできません。ならばどうするか。

それは、過去の歴史を振り返り、常に観測を怠らずに予兆を素早くキャッチすることです。

河川の洪水だって、過去の歴史を紐解けば、記録が残っています。元禄何年のどこそこ川が大氾濫した、とか、天明何年に、どこどこ山が噴火した、とかいう記録がありますけれども、そうした記録を調べておいて、もしかしたら次があるかもしれないと常日頃から観測を続けていれば、僅かな変化もキャッチできるようになります。

火山だって、いきなり噴火するわけではありません。その前には弱い地震とか、火口から煙が上がるなど、何らかの予兆があるはずですね。

大地震の前には、ネズミが大移動するとか、井戸が突然枯れたとか、よく言いますけれども、そうした変化を事前に捉えることができていたら、それに備えることだって出来るわけです。

だから、金や人が限られている状況においては、そうした、危ない予兆がある部分に傾斜配分して予算なり人員なりを用意して備えるべきだということです。

では、日本から、中国や北朝鮮をみたら、そうした予兆があるか、と言われれば、それはもう言うまでもありません。中国のチベット、ウイグル弾圧、尖閣沖衝突事件、北朝鮮のミサイル発射に核開発。もう、予兆だらけです。

ですから、国家が、万が一の可能性を考えて、必要な備えをすることは、悪いことでも何でもありません。むしろやらなければならないことです。

特に、中国や北朝鮮のように、いつ噴火するか分からないくらいに前兆現象を発している国に対する備えはあって当然だと思うのです。




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この記事へのコメント

  • 八目山人

    確か、「昭和30年代に日本を侵略しようと計画したが、日米安保条約の文言が、解釈によってはアメリカが出てくるとも読めるとの意見が出て止めた。」と中国の偉い軍人が言っていました。

    また最近では朱徳の孫とか他の偉い中国の軍人が、日本を核で殲滅せねばならない、なんてわめいています。
    ホリエモンもひろゆきも以前はこれほど馬鹿じゃなかった。何か裏がある様に感じる。
    2015年08月10日 16:47
  • almanos

    ホリエモンは、ビジネスの観点で見て言っているだけでしょう。ビジネス絡みは結構考えているのではと思える発言もあるのですが。まあ、ライブドアが辿った歴史を見る限り、ビジネスでもちょっとどうなのでしょうという人ですけど。ビジネスとして引き合わなくても戦争や領土紛争は行われる。或いはビジネスのルールを自分により都合良くする為に。ホリエモンは今のルールがそのまま続くという前提であの発言をした。その様に考えてます。スイスの民間防衛位読んでから話して欲しいものです。
    2015年08月10日 16:47
  • クマのプータロー

    「戦争を起こせるわけがない」というのは経済的な損得関係からいろいろな人が主張しますが、ルールを守る人の間では、または容認可能な範囲内で不正をする人の間ではと言う前提がつきます。まさに経済学と同じ、結構難しい前提がつくのです。そこには、戦争を「武力行使」に限定したまま思考停止に陥っていると言う悲劇というか喜劇があります。
    堀江氏には、自分の会社すら守れなかった奴に言われたくないという思いもありますが、どこか重要なファクターを無視しないとあそこまで短期間に会社を大きくすることは出来なかったのでしょう。自社株という紙切れを日銀券のようにして使っていたスキームは、法整備の遅れがあったとはいえ、痛快だけれども複雑な思いで見ていました。
    複眼的な思考を提供してくれる意見もありましたが、こと安全保障に関しては語るレベルに達していないと言うことで、良いのではないでしょうか。
    2015年08月10日 16:47

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