菅抜き集団指導体制

 
「今日の衆議院本会議、菅総理肝いりの再生エネルギー法案にもかかわらず、与野党含め5人の質問者全員が総理に質問しない(=総理を無視する)という異常事態に。菅総理は議場の自席でずっと目を閉じて座っていました。とうとう国権の最高機関たる国会がこんな実力行使の状況まで来てしまいました。」
中後淳衆院議員 於:7月14日 on Twitter

画像


7月17日放送の新報道2001の世論調査によると、菅内閣の支持率は18.8%と前回16.4%から微増、不支持率は77.4%と前回79.4%から微減。"脱原発を目指す宣言"をした割には、支持率回復には結び付いていない。

ただ、興味深いのは、"脱原発を目指す宣言"と、"脱原発解散総選挙"に対する、支持・不支持が結構拮抗していること。

脱原発については、支持が52.6%、不支持が42.6%。脱原発解散総選挙は、解散するべきが50.8%で、解散すべきでないが45.4%。どちらも10%以内の差しかなく拮抗している。

筆者としては、脱原発に対する支持がもう少し多いかなと予想していたのだけれど、意外と世論は冷静に見ているようだ。九電のやらせメールのような情報操作がなければだけど。

7月7日の参院予算委員会で閣僚席に自分以外誰もいない"ひとりぼっち"を体験した菅首相は、7月14日の衆院本会議では、誰も自分に質問しないという"ガン無視"を体験することになった。

確かに、自民党幹部や公明党の山口代表は、「菅直人を相手にせず、だ」とか、「菅さん抜きで、心ある与野党で協議を進める」と語っていたけれど、本当にそのとおり相手にしなかった。

7/10のエントリー「閣僚辞任テロは有り得るか」で、次のように述べたことがある。
かの"生きる厄災"は、"厄災"ではあるけれど、ひとりで災害は起こす力は実は持っていない。災害が起こるのは"生きる厄災"が口にすることを、まわりの部下たちが忠実に実行しようとするところに発生する

だから、かの"生きる厄災"からの災害を止めるためには、彼に"仕事をさせなければいい"
首相の首相たる所以は、その権限にあるのであって、本人に帰属するわけじゃない。だから、首相に仕事をさせないためには、その権限を剥奪するか、権限を無効にすればいい。

そのために、普通は、内閣不信任案などを可決して、内閣総辞職か解散総選挙する方法が取られるのだけれど、これは、ちょうど、首相に仕事をさせないための前者の方法、すなわち、首相権限を剥奪する方法にあたる。

だけど、今のように、内閣不信任案が否決され、首相本人に退陣の意思がない場合には、首相権限を強制的に剥奪する方法はないから、取り得る手としては、後者の首相の権限を無効にするしかない。

そのためには、首相権限である閣僚人事権(任命権)に基づいた支持を無効にすること、すなわち、菅首相のいうことは一切無視して、何もしないか、官僚とよく相談して、省庁レベルで有効な対策を進める、または、辞表を叩きつけて、辞めることがその手段になる

冒頭のコメントにもあるように、公明党の山口代表はテレビ番組で、菅首相を抜きにしたほうが、震災復興対策の協議は進むという認識を示しているけれど、最後の最後まで、菅首相を一切無視するやり方、すなわち、閣僚レベル、省庁レベル以下で全部決めるのは、法治国家を否定するものでもあるから、そんなことはできない。法治国家である以上、最後は、菅首相の了解・了承を取らなくちゃならない。
日比野庵本館 7/10 「閣僚辞任テロは有り得るか」より引用

画像


つまり、菅首相からの災害を止めるには、菅首相に仕事をさせなければよいとしたのだけれど、本当にそうなりつつある。確かに法案成立までは、与野党が了解する限りそれでいけるかもしれないし、実際"菅抜き"でやったほうが、物事は進んでいくだろうと思われる。

ただ、100%まるっきり無視しつづけられるかどうかというと、分からない。なぜなら、「歩く人災」宰相殿は、外遊したり、記者会見するたびに、余計な事を言って、周りを混乱に陥れるから。1000万戸太陽光パネル発言然り。脱原発依存宣言然り。

これまでは、その厄介な菅首相の発言を周囲があたふたして、なんとか取り繕おうと苦しい言い訳をしながら動いていた。だけど、この間の脱原発依存宣言を、翌日に周りの閣僚らから全否定された辺りから、それも薄れつつあるように感じている。

もう、すっかり周りは菅首相を見放したのではないか。

もしかしたら、これは"菅抜き"で復興共々、物事を進めていくことで、「悪いのはみんな菅のせいだ」と、民主党内でも、菅首相に責任を押し付けようという腹でいるのかもしれない。

だけど、いくらそうしたところで、去年の代表選やら、6月の不信任案などで、菅首相を信任した責任があるし、今に至っても、菅首相を引きずり降ろせない体たらくを見せられては、世論がはいそうですか、と納得するとは思えない。

従って、菅首相が居座れば居座るほど、民主党の評判はどんどん悪くなる一方だと思われる。

このまま、菅抜きで、進めていくのなら、もうそれは「菅抜き集団指導体制」とでも呼ぶべきものだけれど、それで暫定的に国が回っていくのなら、菅首相に仕事させるよりは、まだマシかもしれない。

なぜなら、既に、民主党自身に法案作成能力がないことが明らかになっているし、復興法案も自公案を丸飲みしているから。

このまま、いろんな法案を自公案の丸飲みして成立させていって、菅首相を無視し続けることができるのであれば、それはもう、事実上、自公中心の自公民連立政権で、菅首相はただの飾り。主君押し込めと同じにになる。

だから、実質の法案審議には菅首相を呼ばず、国会で答弁を求めるときは、例の拉致容疑者親族周辺への献金問題など、国家政策とは切り離した部分だけを追及して、それ以外は一切質問しないという手はあるかもしれない。

だけど、法治国家で、一国の宰相を無視して事を進める異常事態に対する責任はいつか取らされることは忘れてはいけない。今の日本の現状の責任逃れを続ける限り、民主党に未来はない。




画像 ←人気ブログランキングへ

この記事へのコメント

  • opera

    「菅抜き集団指導体制」なるものが成り立つとしても、それはスッカラ菅が退陣の条件(?)とした案件に限定された範囲内ではないでしょうか。そして、その目処が立った段階で、局面がガラリと変わるかもしれません(たぶん自公はそれを狙っており、民主はずるずると延長国会の日程を消化しようとしています。マスゴミは報道しませんが、与党民主の審議拒否なんて前代未聞でしょう)。
     この段階で、スッカラ菅が素直に辞めることが民主党にとっては最善でしょうが、そうでない場合はどうするのか。以前、「不信任案再提出の問題は、むしろ民主党自身にボディーブローのように効いてくる」とコメントしましたが、おそらくこの問題が再浮上してくるような気がします。
     一つは、「すべてスッカラ菅が悪いんだ」と責任を擦りつけてしまう(不信任案の再提出を含む)やり方ですが、これがある程度効果的かもしれないことは、海江田の辞任騒動で分かっています。これに対して、スッカラ菅がどう出るのか(理論上は、内閣ひとりでも解散総選挙はできますが)。
     連合には、民主党内からの不信任案に同調する動きに対しては支持しないと牽制する動きもあるようですが、これは
    2015年08月10日 15:27
  • とおる

    さすが、民主党。

    ・菅即時退場を求めた長島昭久議員とアメリカでの松原仁議員
     http://island.iza.ne.jp/blog/entry/2361944/
    より、
     松原氏によれば、民主党の支持基盤をなすある種の左翼団体は、「うちの会合に出る時は、そのブルーリボン・バッジを外してくれないか」と言ってくるそうだ(同バッジは拉致被害者救出運動のシンボル。日本と北朝鮮を隔てる青い海と青い空を越えて取り戻すの意)。
    2015年08月10日 15:27

この記事へのトラックバック