成り行きの政治
7月13日、菅首相が脱原発依存宣言をした。
内容は、「計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」としたものなのだけれど、相変わらず、そのスケジュールや具体論の話はなかった。
ただ、いきなり全原発即時停止とまでの無茶を言わなかっただけ、まだマシだったとは言えるのだけれど、ことエネルギーに関しては、安定供給できなければ話にならない。いくら今年の夏や冬の電力は供給できるといっても、既に、東電管内では電力使用制限令を出していて、通常よりも電力使用を控えさせている状態。
だから、電力は大丈夫といっても、如何なる条件で、どの程度の安定供給可能なのかの具体的計画を、政府は出す必要がある。
それに、"将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する"と打ち出すのは良いとしても、何のエネルギーによって、どうやってエネルギー供給をカバーするのかなどの見通しがなければ、ただの掛け声で終わってしまう。
全国にある原発の2010年度の総発電電力量は2882・3億キロワット時で、国内発電全体の20%程度を占める。
それ以前に、原発がなくてもやっていける社会が実現する将来とは一体いつなのか、10年後か20年後か、それとも50年後の話なのか。
そのときでも、今と同じ水準の電力需要で済む保障は何処にもない。将来を有望視されている電気自動車は勿論のこと、建設が始まったリニア中央新幹線だって、電気を使う。将来は、むしろ今よりうんと電気が必要な社会になっているかもしれない。本当は、そうしたことまで見通した上での「脱原発依存」でなければならない筈なのだけれど、なんの青写真の提示もないから、なんとも判断できない。
世論の反応は、ネットやツイッターなどを見る限り賛否両論。
ただ、今月9、10日にJNNが行なった世論調査によると、原発再稼動に反対が51%、賛成が35%だから、簡単に再稼動はできないと思われるし、原発への依存度を下げるという菅首相の会見は、ある程度、世論に受け入れられると思われるけれど、どの程度まで賛意が集まるかについては、次の世論調査を見てみるまでは何とも言えない。
だけど、そもそも脱原発が受け入れられる世論ができたのは、福島原発の事故があったから。あれがなければ、周辺住民の避難や、放射能汚染の問題も当然なく、脱原発なんて言葉すら出なかっただろうと思われる。
つまり、原発事故による被害の程度によって、脱原発の声の大きさそのものも変わった可能性もあったと思う。
たとえば、福島第一原発で電源喪失事故はあったものの、なんとか水素爆発までさせず食い止めたとか、爆発はしてしまったけれど、SPEEDIによる初期避難誘導がちゃんとしていて、住民の被曝が最小限で抑えられていた、とかであれば、原発の安全性に対する問題視はされただろうけれど、今ほどの脱原発ムードにはなっていなかった可能性はある。
それに、地震と津波までは天災として仕方なかったとしても、原発事故及びその後の対応については、人災の側面があると言われているから、そのあたりの対策や対応がもっとしっかりしていたら、もしかしたら、今回の事故でも、もう少しうまく処理できたかもしれない。
だけど、今の菅政権は、この辺りの検証をしていない。まぁ、政府内では検証をしているのかもしれないけれど、少なくとも国民には説明していない。でなければ、原発を抱える地方自治体の首長が原発安全宣言の根拠の説明を求めるはずがないし、今頃になって、ストレステスト実施に際して統一見解を出す云々を言うくらいなのだから、国民の側からは何もやっていないように見えると言われても仕方ない。
いわば、家が火事になっているのに、消化活動は付近住民に丸投げして、火災原因の究明もやらずに、この家を建てた家主が悪いだの、施工した大工が悪いだの文句だけをいう野次馬が、挙句の果てに、こんな家に依存するのは止めようと宣言するようなもの。
それに、菅首相にとって、「脱原発」は、昔からの自分の持論だったというわけでもなんでもない。事実、今回の記者会見で、福島原発事故発生前は原発活用の立場だったが、これまでの安全確保という考え方では駄目だと痛感したと述べているから、つまりは、ほんの数か月前に、脱原発の立場に心変わりしたということ。
まぁ、心変わりすること自体は、別に悪いことではないけれど、それが善い結果を導くか、悪しき結果を招くかどうかは、ひとえに、その心変わりした選択が、"正しい"かどうかにかかっている。
いくら心変わりしたところで、その選んだカードがみんな"ハズレ"だったら、その結果は、当然ハズレになってしまう。ハズレを引くのが個人一人であれば、ハズレの結果もその人だけが負えばいいけれど、それが国家指導者であった場合、ハズレを引かれたら、国民全部がハズレの結果を被ることになる。
菅首相が当たりを引く人なのか、ハズレを引く人なのかは分からない。だけど、彼のカードの選択方法に気になる点があるとすれば、それは、自らの信念や考えにもとづいたカード選びではなくて、周りの雰囲気や、声を聞いて、一番咎められなさそうな、怒られなさそうなカードを選択する傾向が見受けられること。
将棋でいえば、たとえば、始める前に、「今日はゴキゲン中飛車でいってみようか」とかいう具合に予め、構想があって指しているのではなくて、対局を見ている周りの一番声の大きい人のいうとおり指しているようなもので、戦法も何もない行き当たりばったり。要するに、"成り行き"の将棋。
だから、間違っても責任は取らないし、自分が指した後、どういう局面になるのかも分からない。こんな将棋を指して勝てると思うほうがどうかしてる。
4列目の男に国を任せると、「成り行きの政治」になる。なぜなら、自分が最前線に立たないためには、それが一番良いやり方だから。したがって、今の菅政権の政治は、政治主導でもなんでもなくて、ただの"成り行き"が主導する政治。
今、1列目、2列目に立って、国難と相対しているのは、国民そのもの。国民を危険に晒して、成り行き政治しかできないのなら、駒台に手を乗せて、最後列に下がるべき。
成り行きで勝てるほど世の中甘くない。
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菅首相:「脱原発」を明言…「将来なくてもいい社会実現」
菅直人首相は13日、首相官邸で記者会見し、今後のエネルギー政策に関し「原発に依存しない社会を目指すべきだと考えるに至った」と述べ、脱原発依存を進める考えを示した。その上で「計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」とし、将来的には原発を全廃する「脱原発」の姿勢を鮮明にした。ただ、今後のスケジュールや政府内での議論の進め方など具体論についての言及はなかった。
首相は、3月11日の福島第1原発事故発生前は原発活用の立場だったとした上で「最終的な廃炉に長い期間を要するリスクの大きさを考え、これまでの安全確保という考え方だけでは律することができない技術だと痛感した」と政策転換の理由を説明した。
停止中の原発の再稼働については、原子力安全委員会が関与するとした政府の統一見解に沿って、首相、枝野幸男官房長官、細野豪志原発事故担当相、海江田万里経済産業相の4人で判断すると説明。「専門的な立場の皆さんの提起があり、それが大丈夫となれば4人で合意して稼働を認めることは十分あり得る」と述べた。
当面の電力需給に関しては「必要な電力を供給することは政府の責務」と強調。今夏と年末については「必要な電力供給は可能との報告が耳に入っており、そう遠くない時期に計画を示す」とした。来年以降は「天然ガス活用なども含めて計画を立てていきたい」と述べるにとどめた。
与野党内で臆測が出ている「脱原発解散」については「この問題で解散するとかしないとか、一切考えていない」とした。
退陣時期では「(退陣表明した)6月2日の(民主党)代議士会、記者会見で真意を申し上げているので、それを参考にしていただきたい」と語った。
また、原発再稼働を巡る政府内の混乱については「私の指示が遅れるなどしてご迷惑をかけた。申し訳ないと関係者におわびしたい」と改めて陳謝した。【田中成之】
毎日新聞 2011年7月13日 21時31分(最終更新 7月13日 21時31分)
URL:http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110714k0000m010080000c.html
この記事へのコメント
ちび・むぎ・みみ・はな
の世代は平和・9条・反核・反原発・反米がデフォルト.
世間にあれこれ言われて頭が動かなくなって本来に
戻りつつあると言うのが実体. 反核までは状況如何で
言うかも知れないが, 生存本能が反米までは言わせない.
安田講堂を占拠した全学連の記憶が官邸占拠に被って
いるのではないか.
首相ではない. 気違い.
それに対して決断できない自民党はやくたたず.
白なまず
知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。富士から流れ出た川には、それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、みたま入れて守りの石と致してやるぞ。これまでに申しても疑ふ臣民あるが、うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てん四様を都に移さなならん時来たぞ。江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。前のやうな世が
opera
>いわば、(以前から防火対策の必要が指摘され、お金も積み立てていたのに、そのお金を宴会で使ってしまい、不慮の災害で)家が火事になっているのに、消化活動は付近住民に丸投げして(おきながら、やり方がまずいだのと大騒ぎをして消火活動を妨害し)、(自分の責任が追求されるのが嫌で)火災原因の究明もやらずに、この家を建てた家主が悪いだの、施工した大工が悪いだの(責任転嫁をして)文句だけをいう野次馬(×野次馬、○町内会長)が、挙句の果てに、こんな(町に)家(を建てること)に依存するのは止めようと宣言するようなもの。
クマのプータロー
国民には刺激的すぎて発表できないものならあるかもしれませんね。もちろん、斜め上過ぎて。
日比野