首相交代という圧力釜

 
「知らないわ。何人目の首相になるの」
ヌーランド報道官 於:8/29 米国務省定例記者会見

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野田首相の誕生で、小泉政権以降、安倍・福田・麻生・鳩山・菅・野田と5年間で6人の首相交代となった。

同盟国の報道官にさえ、何人目の首相なのか知らないなどと言われるのは、情けない限りではあるのだけれど、たとえば、小泉政権の5年間で、アメリカ大統領や中国国家主席が毎年交代して5人も6人も変わるようなシチュエーションを想像してみれば、確かに、自分達だってそう思うだろう。

あまり国際的影響力を持たない小国ならいざ知らず、GDP世界3位の大国の指導者が毎年変わっていくというのは、他国からみれば、日本がフラフラしてしまって、世界は大丈夫なのか、無茶苦茶になってしまわないか、と不安を感じるのが普通だろうし、日本は、なんて指導者に恵まれていないんだ、と思われていても少しもおかしくない。

昨今話題になっている、アメリカ国務省の元日本部長だったケビン・メア氏の「日本の国民はもっと良い指導力、良い政治に恵まれるべきです。」という言葉は、各国の指導者の偽らざる本音かもしれないとも思ったりする。

8月27日、中国の人民日報系の情報誌『環球時報』は、「首相交代の連続ドラマは、人々に嘲笑と教訓をもたらす」というタイトルで、民主党の代表選の話題を社説で取り上げた。記事の概要は次のとおり。

・日本の首相交代連続ドラマ、その最新話が昨日、放送された。就任からわずか400日あまりの菅直人首相もついに「短命首相」の仲間入りを果たした。日本はアジアで最も西洋式民主主義が成熟した国である。だが、長期にわたる停滞の中、日本社会は不安に襲われ、日本の政治イメージはぼろぼろとなった。

・日本はまるでシャツを着替えるように7年で6人の首相を取り替えてきたが、ギネス記録にでも挑戦するつもりなのだろうか。

・日本の政治は決断力を喪失し、危機を突破するために力を凝縮することさえできないようだ。それでいて首相を交代することにしか希望を見出せず、相変わらず同じ場所で悶々としている。すべての国家にとって希望による社会の鼓舞は必要だ。しかし、その希望を首相交代にだけ託し、責任のすべてをなすりつけるのでは、それこそ“希望バブル”と言う他ない。

・日本の政治は派閥が林立し、党より派閥が重視される傾向があり、政界の世襲による壟断も深刻だ。世界の政治環境は大きく変わり、日本経済の相対的に位置も移り、日本に二大政党制が生まれ、社会に焦燥感が広がっても、派閥間の小さな争いに終始する姿は相変わらずだ。誰もそれを変える力もない

・2009に民主党が政権に就き、日本の政治に新しい政治改革の時代が訪れたかのようであった。しかし、この希望のバブルもあっという間に弾けてしまった。民主党は早速に自民党から首相交代という連続ドラマを引き継ぎ、あたかも自民党の別働隊のようになってしまったからだ。

・日本は明らかに大改革を必要としている。だが、それだけの指導力が日本の政治にはない。世界情勢の変化に伴い、日本の自民党支配は崩れた。だが、民主党の政治もまるで自民党の派閥が一つ増えただけのようにしか見えない。

・世界の一流国となったことを日本人は自慢していた。だが、今、体のあちこちが傷んでも、どう国を変えていくべきか、真剣に考えようとはしていない。それは日本の歴史的な過ちを認めないのと同じだ。日本民族は深く考えようとしない。自ら過ちを正す習慣がないのだ。

・ともあれ、日本はアジアの模範であった。現在の苦境もまた中国など途上国にいい反面教師となっている。国が決断力を失えばどうなるかというお手本なのだ。日本は民主主義がどんなものかを示す展示場となった。その欠点まで含めて見せてくれたのだ。

・日本民族は心から変革する必要があるだろう。国家の能力をきちんと評価し直し、世界の中の自分の立ち位置を探ることだ。中国の台頭を心から受入れ、それを行動に移すべきだ。そして(中国に対抗することではなく)自分の得意分野を伸ばしていくことを考えるべきなのだ

・それぞれの国にはそれぞれの短所と長所がある。日本はこれまで多くの点でアジアの模範であった。しかし、いまの日本の窮状は、われわれ新興国に「国が一旦決断力を失ったらどんなことになるのか」を示してくれている。民主はその欠陥を含め日本で十分な花を咲かせた。近代以来、日本はずっと中国が世界を見るための「最も近い窓」であり続けた。そしていまも世界を知る教科書として熟読に値する存在だ。



とまぁ、普通に日本政治が決断力を喪失していると批判しているのだけれど、その理由を「民主主義の欠陥」だ、としている点は、ちょっと注目してもいいかもしれない。

民主主義のいいところは、広く人材を求めることで、優れた人物を選出できることにあり、仮に間違ったときには修正することができるという点にある。

この環球時報の記事は、一見、日本をあざ笑っているように読めるけれど、その裏には、民主主義を採用したら体制が引っくり返されて大変なことになるという警戒心というか恐怖心めいたものがあるように見えなくもない。だから、殊更に、民主主義は欠陥のある政治制度だと喧伝して、人民の民主化への動きを牽制しているのではないか、と。

逆にいえば、中国人民にとっては、民主主義による政権批判や、支持率の低下によって、「革命」も起こさずに、次々と国家指導者が交代していく姿は、ある意味羨ましいと思っているところもあるかもしれない。

というのも、菅政権時、4月12日の首相会見で、産経新聞の阿比留瑠比記者が菅首相に対し「一体何のために、その地位にしがみついているのか」と質問し、菅首相が「阿比留さんの物の考え方がそうだということと、私は客観的にそうだということは必ずしも一致しないと思っています」と答えていたけれど、これを香港のメディアが中国国内のインターネットで配信し、「権力者を批判できる日本の記者は素晴らしい」「中国だったら、その記者はすぐに投獄されるだろう」「これこそ民主主義」といった日本の制度を称賛する反応があふれたという。

だから、民意の圧力で首相が交代する姿を中国に見せることそのものが、実は、中共に対して、言論の自由はなんて危険極まりないものだと思わせると同時に、中国人民に対しては、この上なく魅力的なものとして映っている可能性がある。

両者は互いに背反する項目だから、中共政府は国内の言論統制を強めるのに対して、中国の民衆は、一段と言論の自由に憧れ、それを求める。その結果、中国国内の内圧を高めさせることになってゆく。

だから、民主主義によって選ばれた国家指導者が国際的に認められるくらい優れていればいるほど、それが中国の政治体制にとってのアンチテーゼとなって、中国国内の内圧をより高めさせ、一種の牽制効果を発揮するような気がしている。

その意味では、たとえ今のように日本の首相がころころ代わることが続いたとしても、時々、「当たり」を引いて見せることが大事なのではないかと思う。


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画像中国メディア 日本の首相交代劇は人々に嘲笑と教訓もたらす 2011.08.30 07:00

民主党代表選は野田佳彦財務相が海江田万里氏を逆転する「ドラマ」で幕を閉じ、野田首相が誕生する。この政治劇を、お隣の「政治大国」中国はどうみているのか。ジャーナリストの富坂聰氏が解説する。

* * *

日本では中国の高速鉄道事故が大きな話題となり、多くの日本人がこのニュースに溜飲を下げたようだ。一方、隣の中国から見ると小粒な首相がころころ入れ替わる日本政治の迷走ぶりが何とも面白いらしい。

民主党の代表選を控えた8月27日、人民日報系の国際情報紙『環球時報』は、この話題を社説で取り上げた。タイトルは何と、〈(日本の)首相交代の連続ドラマは、人々に嘲笑と教訓をもたらす〉だ。

外交問題に慎重で言葉を選ぶメディアが多い中国にあって、この『環球時報』が一味違うのは、本音を伝えることで読者の圧倒的支持を得ているからだ。外国にはことさら厳しく、なかでも日本への論調はシビアであることから、日本の北京特派員の間で「中国の『産経新聞』」と呼ばれる日刊紙だ。

つまり、機関紙にあっても世論の本音を反映するメディアであり、中国が日本の政界をどう見ているのか、ぶっちゃけたところが分かるというわけだ。

では、その『環球時報』の社説は今回の首相交代をどう分析しているのか。

まず、冒頭で〈日本の首相交代連続ドラマの最新シリーズが昨晩また幕を開け、菅直人首相は短命首相の列に加わった。日本はアジアで最も成熟した民主主義制度を確立した国と見られていたが、長い停滞期によって日本社会を焦燥が覆ってしまい、いまや処方の迷走を通り越して破れかぶれといった有様だ。

(中略)日本はまるでシャツを着替えるように7年で6人の首相を取り替えてきたが、ギネス記録にでも挑戦するつもりなのだろうか〉と皮肉ってみせる。

その上で日本の現状をこう分析する。

〈日本の政治は決断力を喪失し、危機を突破するために力を凝縮することさえできないようだ。それでいて首相を交代することにしか希望を見出せず、相変わらず同じ場所で悶々としている。すべての国家にとって希望による社会の鼓舞は必要だ。しかし、その希望を首相交代にだけ託し、責任のすべてをなすりつけるのでは、それこそ“希望バブル”と言う他ない〉

〈日本の政治は派閥が林立し、党より派閥が重視される傾向があり、政界の世襲による壟断も深刻だ。世界の政治環境は大きく変わり、日本経済の相対的に位置も移り、日本に二大政党制が生まれ、社会に焦燥感が広がっても、派閥間の小さな争いに終始する姿は相変わらずだ。誰もそれを変える力もない〉

〈2009に民主党が政権に就き、日本の政治に新しい政治改革の時代が訪れたかのようであった。しかし、この希望のバブルもあっという間に弾けてしまった。民主党は早速に自民党から首相交代という連続ドラマを引き継ぎ、あたかも自民党の別働隊のようになってしまったからだ〉

では、『環球時報』は、こうした苦境下の日本がどうすべきだといっているのか。

〈日本民族は心から変革する必要があるだろう。国家の能力をきちんと評価し直し、世界の中の自分の立ち位置を探ることだ。中国の台頭を心から受入れ、それを行動に移すべきだ。そして(中国に対抗することではなく)自分の得意分野を伸ばしていくことを考えるべきなのだ〉

〈それぞれの国にはそれぞれの短所と長所がある。日本はこれまで多くの点でアジアの模範であった。しかし、いまの日本の窮状は、われわれ新興国に「国が一旦決断力を失ったらどんなことになるのか」を示してくれている。民主はその欠陥を含め日本で十分な花を咲かせた。近代以来、日本はずっと中国が世界を見るための「最も近い窓」であり続けた。そしていまも世界を知る教科書として熟読に値する存在だ〉

外国メディアにこんな風に書かれるのも困ったものだが、反論したいという欲求が湧いてこないのも、また一面の真理か。

URL:http://www.news-postseven.com/archives/20110830_29877.html

この記事へのコメント

  • almanos

    逆に言うと、指導者がコロコロ変わっても内政に不安がない体制だったと。民主党政権で思いっきり不安にしてくれましたけど。まあ、毛沢東の文革の偉大な業績が「負けたのが死なない」事だそうですからこういう記事が出る訳なのでしょうけど。何時まで古代政治やってるのやら?
     まあ、sdi殿ご指摘の親愛なる隣国では、体裁だけ民主主義に思えるのですけど。
    2015年08月10日 15:27
  • sdi

    民主主義の長所(ただし中共向け専用)をあげるとしたら「失脚しても生命はなくさない」あたりでしょうか?
    ただ、親愛なる(太字傍点つき)隣国では失脚すると逮捕されたり自殺したりしてますが・・・・・・。
    2015年08月10日 15:27
  • ちび・むぎ・みみ・はな

    首相がコロコロ変わることが問題ではなく,
    言論の公的なレベルでの自由が保証されていない
    というのが問題だとおもう.

    例えば, 通信の分野でいえば, 現在の通信は端末
    同士が協力し合って弱点を解消する方向にあるが,
    お前の情報は私の主張と合わないから伝えない,
    とやると全く成立しない.

    日本の弱点は公的な部分への敬意が足りないこと.

    市民バンドやパーソナル無線では, 本来は,
    ユーザ同士が譲り合いをすることが基本なのに
    何時の間にか違法改造送信器を使うトラック野郎
    に独占されてしまっているのに根本的な対策を
    とれなかったのと同じ. (少なくとも5年ほど前は.)
    2015年08月10日 15:27
  • opera

    最近、ネットで『環球時報』の引用が増えたように感じるのですが気のせいでしょうか?
     『環球時報』は、『人民日報』傘下にあるとはいえ「電波系基地外反日メディア」とか「対外強硬派御用達の国際紙」などと謂れ、もともとウォッチャーからは注目されるメディアでしたが、日本関連の記事でには結構バラつきがあり、まともな記事もしばしば散見されるようになってはいたようですが。
     ただ、今回の件については、予想が外れ、必ずしも中国にとって都合の良い首相ではないという判断もあるかもしれませんね。
    http://www.epochtimes.jp/jp/2011/08/html/d71463.html
    2015年08月10日 15:27

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