「自由と繁栄の弧」の真ん中に位置し、豊かな資源・エネルギーを有する中央アジア・コーカサス地域に、皆様の注意を向けて頂きたいと思います。この地域を通り、ユーラシア大陸をタテ・ヨコ双方でつなげることに、日本は協力します。これを、「ユーラシア・クロスロード」構想と名付けます。
1.インド発アフガン経由モスクワ行き
2009年6月30日、財団法人「日本国際問題研究所」のフォーラムの講演で、麻生元総理が、「ユーラシア・クロスロード構想」を打ち出したことがある。
ユーラシア・クロスロード構想とは、中央アジア、所謂、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン辺りから、アフガニスタンを経てアラビア海に到るルートに、道路や鉄道といった「南北の物流路」を設けると同時に、同じく中央アジアから、コーカサス地方、所謂、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアを経由して、ヨーロッパに到るルートにおいて、カスピ海沿岸の港湾整備などを通じて「東西回廊」を作り出すというもの。
これは、また麻生元総理が提唱していた「自由と繁栄の弧」の具体策のひとつとされている。
2009年3月に筆者は「アフガン新幹線」、「日本ブランドと平和の駅」のエントリーで、アフガニスタンから、アラビア海に抜ける新幹線を建設したらどうか、と述べたことがあるのだけれど、その3ヶ月後に麻生総理(当時)から、ユーラシア・クロスロード構想が提唱され、その南北物流路のルートが全く同じであったのに吃驚したことがある。
筆者は、このユーラシア・クロスロード構想、中でも"南北の物流路"を作る案は、今でも、いやむしろ、今こそより有効であるように思えてならない。
たとえば、中央アジアからアラビア海へのルートとして、インドのパキスタン寄りの港から、パキスタンを横切って、アフガニスタンを縦断し、そのまま北に伸びてトルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタンを通って、モスクワまで行く新幹線を建設したらどうか。
経済発展をするためには、エネルギー供給は勿論のこと、物流も盛んになって、人と物が大量に往来できなくちゃいけない。つまり、人が集まり、商売が出来る条件が必要だということ。
幸い中央アジアには石油・天然ガスといった資源があり、インド、パキスタンには人がいる。ここに高速鉄道を通して、一気にモスクワまで繋いでやる。
「EUも中国もブロックする三日月」のエントリーで述べたように、ロシアのプーチン首相は、CIS諸国を糾合してユーラシア連合を作る構想を掲げているから、インドからモスクワまで結ぶ高速鉄道は、ユーラシア連合を構築する手助けにもなる。
ここに日本の新幹線を通せば、この地域に対する日本の影響力が増すと同時に、インドとの連携も更に強化される。
そして、できれば新幹線の車両もフリーゲージ仕様にして、広軌でも標準軌でも走れるようにしておけば、尚のこといい。
中央アジアとヨーロッパをの間には、「新ユーラシア・ランド・ブリッジ(第2ユーラシア・ランド・ブリッジ)」、別名「シルクロード鉄道」がある。
これは、江蘇省連雲港を起点として新疆、カザフスタンを通り、ロシアを経てオランダ・ロッテルダムまでの全長一万八百キロの鉄道なのだけれど、中国・カザフスタン国境と、ベラルーシ・ポーランド国境でレール幅が変わる。
中国は、標準軌の1,435㎜を使用しているのに対して、カザフスタンは広軌の1,520㎜を使っている。これは、かつてのソ連の鉄道が広軌であったからで、旧ソ連に属していたカザフスタンもそれに合わせて広軌になっている。もちろんシベリア鉄道も広軌。
そこで、中国からカザフスタンへと国境を通過するときには、貨物の台車かコンテナを積み替える必要があり、それぞれの国境駅である阿拉山口(あらさんこう)駅[中国側]とドルジバ駅[カザフスタン側]で荷物の積み替えを行なっている。
ところが、現在のカザフスタン側のドルジバ駅での荷役を交換処理する能力は既に限界に達していて、これ以上輸送量が増やせない状態なのだという。
だから、日本が広軌でも標準軌でも走れる新幹線を用意して、アラビア海からモスクワまでノンストップで走れる輸送網を確立すれば、こちらが物流のメインになることだって十分ありえる。
中国新幹線があんな大事故を起こして、信頼を落している今こそ、日本の新幹線を売り込むチャンスではないかと思う。
2.カシミールの対立
中央アジアを通す"南北の物流路"の南の起点となる、インドとパキスタンに目を向けてみると、この両国の対立は古くから知られている。
だけど、今でこそ、仲の悪い両国だけれど、その昔は、バングラデシュを含めて、みんな一つの国だった。
イギリスの植民地時代のインドは、今のインドに、パキスタンとバングラデシュ、そして、一時はミャンマーまでその版図としていた。
1930年代になると、マハトマ・ガンジーによるインドの非暴力独立運動が起き、第2次世界大戦後の1947年にインドは独立したのだけれど、以前から、インドでは多数派を占めるヒンドゥ-教徒と少数派であるイスラム教徒との対立が激化し収拾することができず、結局、英領インドは、ヒンドゥー教徒を主とするインドと、イスラム教徒を主とするパキスタンとに分離独立することになった。
そのため、パキスタンとなった地域に住んでいたヒンドゥー教徒がインドへ、インドとなった地域に住んでいたイスラム教徒がパキスタンへ、それぞれ大移動を開始するという事態が起き、なんと、両国あわせて1500万人もの人々が移動したと言われている。
更に、移動の過程で、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒が各地で衝突し、100万人近い人々が殺害されたとも言われている。現在のインドとパキスタンの対立はここに端を発している。
この時点では、パキスタンは、今のようにインドの西ではなくて、インドの東、今のバングラデシュに当たる地域も持っていたから、飛び地のように、東西にそれぞれ分かれて建国された。(東のパキスタンは、1971年にバングラデシュとして独立)
元々、インドは多民族国家であり、各地の領主を王とする半独立国の集合体だった。領主は"藩王"と呼ばれ、彼らが統治する地域は「藩王国」と呼ばれ、当時565もの藩王国があったのだけれど、イギリスがインドを統治していた時代は、藩王達が結束してイギリスに反抗してこないように、彼らに防衛と外交を除く自治権を与えることで、いわゆる分割統治をしていた。
ところが、インドとパキスタンが分割独立となり、彼ら藩王は、どちらに属するのかを選択しなければならなくなった。
このとき、インド最北端のカシミール藩王国の藩王ハリ・シンは、ヒンドゥー教徒であった為、インドへの帰属を望んでいたのだけれど、カシミール藩王国の住民の大半はイスラム教徒という複雑な事情があった。
そこで、ハリ・シンは、外交と国防をインドとパキスタンの両国に委ねることを条件として、カシミール藩王国の独立を主張していたのだけれど、そうすることが出来ないでいた。
そうこうするうちに、何処からともなく、ハリ・シンがインドに帰属しようとしているという"噂"が流され、1947年10月にパキスタンから、武装勢力がカシミールに侵入する事態となった。
この武装勢力は、パキスタンの支援を受けていると宣言していたのだけれど、藩王ハリ・シンはこれを防ぐことができず、止む無く、インドに軍事支援を求めることとなった。
インド政府はハリ・シン藩王から「カシミールを一時的にインドに帰属させる」という確約を取り付け、軍隊を派遣、パキスタンと戦闘状態となった。
結局、翌年の1月に国連の調停で停戦が成立し、カシミールは停戦ラインを挟んで東側の5分の3をインドが、西側の5分の2をパキスタンがそれぞれ分割支配することとなった。
現在は、停戦ラインはやや修正されているものの、カシミールは依然として、インドとパキスタンに分かれて支配されている。
このように、インドとパキスタンは仲が悪いのだけれど、最近は少しずつ、対立緩和の機運が生まれつつあるという。
3.インドによる中国包囲網
さて、この"ユーラシア南北新幹線"案では、インドとパキスタンを結んでいるのだけれど、勿論そこには、理由がある。
それは、インドとパキスタンとの宥和を図る狙い。
特に、今のインドはパキスタンと関係改善を急がなければならない理由がある。それは、中国が南アジア各国の戦略拠点に相次いで港を建設しているから。
たとえば、パキスタン南西部のグワダルは、中国の資金援助で2002年、港湾整備に着工し、2007年に、パキスタンで唯一大型貨物船が入港できる港として開港している。中国は、なんと建設資金の8割を提供し、現在はシンガポールの会社に管理を委託している。一部の報道によれば、パキスタン政府は、中国当局に管理契約を譲渡することを望んでいるとも言われているし、更には、今年5月、パキスタンは、中国に、グワダル港での軍港建設と中国海軍の駐留を中国政府に要請したとされている。
また、インドの南東、スリランカの小さな漁村であったハンバントータに、中国は国際貿易港の建設を2007年から始めている。建設工事は、3期十数年で面積1500ヘクタールの大規模港湾施設となる模様で、総工費は10億~15億ドル(約860億円~約1300億円)にのぼる。中国は第1期工事費の約85%に当たる約3億ドルを融資していて、今年の8月には、第1期工事が終了し、水深約17メートルの大型港が完成。スリランカ政府による開港記念式典が開かれている。
そして、東のバングラデシュ第2の都市であるチッタゴンでは、中国はコンテナや石油関連施設の整備を進めている。チッタゴン港は、コルノフリ川の河口から内陸に遡ったところにある天然の深水港で、植民地時代はイギリス軍の基地として使われていたほどの良港。
バングラデシュは、チッタゴン港の中国海軍利用と施設の受け入れを認めているから、実質、チッタゴンは、中国海軍基地のようなもの。
そして更に、東に行けば、ミャンマーのシットウェという、これまた深水港のある海上通商路の拠点があり、中国はここを利用している他、1994年6月からは、ミャンマーの大ココ島を賃借し、レーダー基地と軍港を建設している。
中国は、アメリカや世界銀行のように、借款や開発事業の見返りとして、人権問題の改善や腐敗の徹底排除などの条件をつけないために、投資を求める開発途上国が歓迎するとも言われている。
次の図は、インド洋における中国は整備する港とアメリカ海軍の主な拠点なのだけれど、ものの見事にインドが中国に囲まれつつある様子が見て取れる。
こうしたことから、インドはベトナムとの関係を強化しつつあり、8月にインドを訪れた、ベトナムのグエン・バン・ヒエン海軍司令官は、インド艦艇のニャチャン港への常駐を要請したほか、インド最大の造船所を訪れ、海洋巡視艇などの建造を依頼している。
インドは今後、ベトナム海軍兵の訓練を継続し、ベトナムがロシアから購入する武器装備の護衛を支援する他、超音速巡航ミサイル「ブラモス」のベトナムへの売却に基本同意している。
インドは、西は中央アジア、東はベトナム、フィリピン、日本などとも通じて、中国包囲網を形成しようとしているように見えなくもない。
だから、もし、インドが対中国戦略として、中国包囲網を作るのであれば、インドからパキスタンを通って、中央アジア、モスクワへの通じる高速鉄道は、インドとパキスタンの経済活性化による両国の融和の一助になるのみならず、インドからみた中国包囲網の強力な支援になる。
だから、"ユーラシア南北新幹線"という、たった一本の高速鉄道ではあるけれど、本当に実現すれば、インド・パキスタンから中央アジア辺りまでの国際情勢を一変させる可能性があると思っている。

この記事へのコメント
nagara373
1435mm(標準軌)は、中国支線末端部と中東支線末端部。
ちび・むぎ・みみ・はな
米国の原理主義に邪魔されたけれど,
日比野庵殿が考えられている様に重要なプラン.
東京の歴史あるイスラム寺院を見ても, 大体,
日本ほどイスラムと旨くやって来た国はない
のではないかと思う.
sdi
今回のインド艦艇のニャチャン港への常駐要請も、日本にとって諸手を上げて賛同と言いかねる部分がありますね。