
10月13日、文部科学省は、 東京都世田谷区弦巻の区道で最大3.35uSv/hもの高放射線量が検出された原因は、隣接する民家の床下にあった瓶の中の放射性物質だったと発表した。
民家の床下から見つかった放射性物質は、木箱の中に数十本の試験管のような瓶の中に白い粉の状態で入っていた。瓶は、木箱と紙箱で2重に梱包されており、大きい瓶は高さ7、8センチで太さは5、6センチで、茶色に変色していた。
瓶の上で放射線量は、600uSv/hで、建物の壁面では、18.6uSv/h、敷地内の木の根元付近では8.4uSv/hだったそうなのだけれど、応急処置として、区の職員が鉛容器に入れて金属管で封入し、民家の敷地境界から離れた場所に置いたところ、敷地と道路の境界付近の放射線量は0,1~0.35uSv/hにまで線量は下がった。
肝心の放射性物質は、文科省の簡易検査の結果、ラジウム226と推定され、一般に原発から出てくる核種ではないため、福島原発事故とは無関係ということがほぼ確定した。
ラジウム226は、天然に存在する放射性物質で、ウラン‐238(238U、半減期:44.8億年)が崩壊を続けて生じる。
ラジウム226の半減期1600年で、アルファ線とごく稀にガンマ線も出して崩壊し、ラドン222(半減期3.824日)になり、更に、ポロニウム-218(218Po、3.05分)→鉛-214(218Bi、26.8分) →ビスマス-214(218Bi、19.9分)→ポロニウム-214(214Po、0.00016秒)→鉛-210(210Pb、22.3年)と崩壊が続いて、最後にビスマス-209(209Bi)となって安定する。
ラジウムは、昔、夜光塗料として、時計の文字盤などに使われていた時代があり、くだんのラジウムの瓶には、今は、現存しない「日本夜光塗料製造所」の名前があったようだ。
日本夜光塗料製造所とは、夜光塗料の先駆者・藤木顕文が1929年に設立した会社で、当時の夜光塗料は、一晩中発光を持続させるために、ラジウムを加えてその放射線を利用していた。(藤木顕文は、日本夜光塗料製造所設立前の1925年からドイツの夜光塗料を輸入し、「エラジウム」の名称で販売を始めていた。)
第二次大戦中は、ラジウム夜光塗料は、軍事行動が夜間行われる近代戦において 必要不可欠のものとして、重要軍事物資として統制され、日本帝国海軍は、大日本塗料株式会社に秘密命令を発し、潜水艦内に塗る蓄光性夜光塗料の 大量生産を命じたこともあったようだ。
戦後、1954年3月のビキニ環礁水爆実験による第五福竜丸の被曝事故によって、 放射線障害に対する関心が高まり、1957年には、放射性物質取扱規制の法令が施行され、ラジウムの入った夜光塗料を使用している夜光時計が問題視されるようになった。
そこで、ラジウムに代わって、プロメチウム147(半減期2.6年)のβ線を利用した、ラジウムより安全性の高い夜光塗料(N発光:プロメチウム夜光塗料)が1960年に開発された。このN発光塗料は、多くの日本の時計メーカーに採用され、1984年には、夜光腕時計が970万個、夜光目覚時計1263万個生産されている。
1990年代になると、僅かでも放射性物質を含んだ夜光時計が、環境に廃棄されたとき問題になると、より安全性が求められ、1993年には、放射性物質を使用しない夜光塗料(N夜光)が開発され、1998年には、日本の夜光時計は全部このタイプの塗料に切り替わった。
今回の世田谷ラジウム瓶について、首都大学東京の福士政広教授は、瓶の形状などから、昭和30~40年代に置かれていたのではないかと推測していて、実際、文科省の調査で、民家は昭和27~28年に建築された建売住宅であることから、かなり前から床下に置かれていたとみられている。
昭和30~40年代というと西暦では1955~1965年にあたるから、夜光塗料としてまだラジウムが使用れていた時代だし、日本大学専任講師の野口邦和氏によると、ラジウム瓶が入っている箱の中に筆のようなものが見えるとして、このラジウムを夜光塗料として時計の文字盤などに塗っていたのではないかとコメントしている。
文科省によると、ラジウム瓶が床下に置かれていた民家は、今年2月まで90歳ぐらいの女性が一人暮らししていたといい、この女性は年間30ミリシーベルトを浴びていた可能性があるのだけれど、健康被害があったという話もなく、近隣住民もラジウムを治療で使うような病気ではなかったようだと証言している。
また、民家所有者もラジウムについて「見覚えがない」と話していることから、なぜあそこに置かれていたかの真相が明らかになるのかどうかは分からないけれど、もしかしたら、他にも古い民家から同じようなものが見つかるかもしれない。
現に、14日には、愛知県稲沢市の民家、ラベルに「ラヂウム」と書かれたガラス瓶が見つかったと県に通報があったのだけれど、こちらは、瓶の周囲の放射線量を測っても、大気中の値と同じくらいで、特に問題ないようだ。
今回の騒ぎでラジウムが発見されたのも、元はといえば、住民から、高線量のところがあると通報を受けたからで、実際、 首都圏では、放射能を自分たちで測定しようという動きが高まっているという。
先日、横浜でストロンチウムが測定されたのもそう。
今では、個人で、放射線測定器を持っている人たちがネットワークを組んで、リクエストのあった場所を測定器を所有する有志(測定メンバー)が応える形で、地点ごとの線量情報を集積・共有していくSNSサイト「測ってガイガー!」なるものもあるそうだ。
参加するユーザーはおよそ6800人で、測定メンバーは1700人あまり。投稿されている線量情報は、なんと1万8000ヶ所にも及ぶ。
このサイトの運営者よれば、「素人」の線量測定でも、複数の人が同じ地点を調査することで、情報の精度を上げることができるのではないか、とコメントしており、測定メンバーの中には、高価なシンチレーション式の機器などを利用している人もいるようで、中々どうして大したもの。
原発事故直後の3月17日に「天と民が護る国、日本」のエントリーで、細かい線量マップをつくったらどうか、といったけれど、こうした個人による線量測定のデータが集積されれば、本当にマップが作れるようになる。注目したい。

この記事へのコメント
ちび・むぎ・みみ・はな
「ラジウムがあった]より「健康被害がなかった」の
方が重要だと思うのだが, 新聞やテレビのように
世論誘導を狙うメディアは書かない.
大昔の安保騒動, 学生時代の反原発騒動と根は同じ.
このような書き方が国民を益々堕落させる.
ラジウムの夜光塗料なんて我々が小学校の頃
怪しげな行商がそこらで売っていた.
それで健康被害があったとは寡聞にして知らない.
警戒は良い. しかし, 実害も正確に報道すべし.
福島原発時この根本は日本には狼少年しかいない
ところにあると思う.
騒ぐの簡単だ. しかし, 考えるのは難しい.